それは氷河だけに限ったことではないと思いますが、人は、大好きな人の涙は見たくないものです。 どうせなら 明るい笑顔を見たいと思うものです。 ところが、氷河が誰よりも愛している瞬は、とっても泣き虫。 もしかしたら、その頃の我々の国で いちばんの泣き虫だったかもしれません。 ですから、氷河は瞬の涙を消し去るために 日々奮闘することになったのです。 花が散るのを見て 瞬が泣いた時には、その花の種を拾って、瞬と一緒に庭に植え、『来年一緒に花を見よう』と言って慰めました。 怪我をして狂暴になった野良猫の手当てができなくて 涙ぐむ瞬のために、自身が傷だらけになって、その猫を取り押さえ、瞬に手当てをさせてやりました。 子供同士の喧嘩を見て泣き出した瞬の涙を止めるために、喧嘩に割って入り、とばっちりを食って怪我をしたこともありました。 そんな氷河を見て泣く瞬のために、氷河は『ちっとも痛くない』と言って強がってみせました。 救貧院は瞬を泣かせるためにあるような施設で、瞬が そういった貧しい人たちのための施設に食べ物や衣服を寄付することを覚えたのは、瞬が10歳を過ぎた頃でした。 遠い場所で始まった戦争に瞬が泣く時には、犠牲者が出ないように、二人で神様に祈りました。 戦いのニュースに涙ぐむ瞬の気持ちを少しでも和らげるために、モスコヴィア大公家やシベリア公家の家紋付きの封筒と便箋で、戦いをやめるよう 嘆願書を書いたこともありました。 十代の子供が書いた手紙に どれほどの効力があったのかは わかりませんが、父の死によって 氷河は14歳でシベリア公爵位を継いでいましたから、二人の嘆願書が一顧だにされなかったということはなかったでしょう。 瞬の涙を止め 乾かすために 奔走しながら、氷河は少しずつ大人になっていきました。 もちろん 瞬も同じだけ大人になりました。 小さな頃には大粒の涙を零して泣いていたような事態に遭遇しても、最近は 涙ぐむだけで 涙を零すことはなくなりました。 瞬は、泣くことで問題は解決しないと考えるようになったのです。 それが 瞬が大人になるということでした。 |