氷河が 突然 女帝に呼び出され、スカンディナヴィアにあるアスガルド王国の女王の妹フレア姫を シベリア公爵家の館で しばらく保護するようにとの ご下命を受けたのは、その2日後のことでした。
当時、我が国の西方スカンディナヴィア地方は政情が不安定で(まあ、我が国が 何かとちょっかいを出していたせいもありましたけれど)、スカンディナヴィア各国の王家に連なる方々が相当数、女帝陛下の許に保護を求めて、いらしていたのです。

アスガルド王家では 内紛が起きていて、軍部が 親海皇派の女王派と 独立派に分かれて、一触即発状態。
反女王派(というより 反海皇派)の妹姫が、女帝陛下の冬宮に身を寄せていたのです。
そこに女王派の使節団がやってくることになったので、用心のために、妹姫が 一時的に冬宮の外に避難する必要が生じたということでした。

都にあるシベリア公の館には 空いている部屋はいくらでもありましたし、シベリア公爵家は スカンディナヴィア地域の利権とは無関係。
アスガルド王家の姫君を預かっても 特段 不都合が生じるわけではありませんでしたので、氷河は、フレア姫と彼女の従者を数名、自分の屋敷に預かったのです。
ま、少しくらい不都合があったとしても、面倒くさいと思ったにしても、女帝陛下のご命令に逆らうことは、氷河には できなかったでしょう。
その頃、我々の国の女帝陛下の権力は圧倒的でしたし、その威厳たるや、歴代の皇帝と女帝を全部合わせても負けてしまうくらい物凄かったのです。
お部屋を数部屋貸して、召使たちに お食事のお世話をさせて――氷河自身はフレア姫とは没交渉でした。


フレア姫がシベリア公の館に来てからも、来る以前と変わらず、毎日モスコヴィア大公家を訪問し、瞬に、
「今日は何が悲しいんだ?」
と尋ねる習慣を変えることもしていなかったので――彼は そもそも自分の興味のあることにしか注意を向けない男でした――氷河は、知らなかったのです。

女帝陛下がフレア姫をシベリア公の館に預けたのは、アスガルド王家のフレア姫と 我が国有数の大貴族であるシベリア公氷河を結びつけることで、我が国のスカンディナヴィア地域での発言力を増そうという、女帝陛下の企みに違いないという噂が、都中に広まっていたことを。
そして、それとは別に。
女帝陛下の許に伺候したシベリア公に一目惚れしたフレア姫が、内乱が落ち着きそうにない祖国より、広大な領地を持つシベリア公の夫人になることを目論んでいるに違いないという噂が、都中に広まっていたことを。
どちらの噂が真実でも 真実でなくても、フレア姫と氷河は既に親密な関係になっているに決まっている――というのが、世間一般の見方でした。

本当に、知らぬは氷河ばかりなり。
氷河が そんな噂のあることを知ったのは、彼が彼の館にフレア姫を預かってか半月後。
彼が いつも通り、モスコヴィア大公家の瞬の許に行き、
「今日は何が悲しいんだ?」
と尋ねた時。
瞬に、
「氷河は、もう 僕の悲しみを気に掛けるのはやめて。フレア姫を 幸福にすることだけを考えて。ここに来るのは、今日を最後にして」
と言われた時でした。

瞬の悲しみをすべて消し去り、瞬の笑顔を見ることが、氷河の生きる目標。最終目的。
そのために、世界中で いちばん最後に幸せになることも覚悟したのに。
氷河に、
「フレア姫を 幸福にすることだけを考えて」
と告げる瞬は、形ばかりの笑顔の中で、氷河が これまで見た中で いちばん悲しそうな目をしていました。






【next】