古代ギリシャ、アテナイの最盛期を築き上げた大政治家ペリクレスは、『沈黙と寡言が女の飾り』と言った。 端的に意訳するなら、『女はでしゃばるな』ということである。 スパルタ等 ごく一部を除いて、古代ギリシャでの女性の地位は低かった。 民主政が定着した頃のアテネにおける女性の地位は最低だったというのが定説。 古代ギリシャでは、市民の妻になった女性は、家庭内の仕事に従事し、外出することは まずなかった。 外出どころか。 夫や息子たちが自宅で饗宴を開く時でも、その家の主婦や娘たちが 客の前に出ることはなかった。 そういうことは、そういう仕事の専門家――ヘタイラと呼ばれる高級遊女たち――と奴隷たちが行なったのである。 妻や娘たちは、夫や父親の持ち物で、家の奥まったところに しまっておくものだった。 婚資――いわゆる持参金(現金、貴金属、不動産)――という制度は、そんなふうに低い地位、弱い立場にある女性を守るためのものだったろう。 アテナイ市民の娘が アテナイ市民の男性の許に嫁ぐ時、婚家に持っていく持参金は妻個人の財産で、彼女の夫になった男にも自由に使うことはできない。 二人が 離婚に至った場合には、妻は自分の持参金を持って実家に帰るため、夫になった男は、妻を粗略に扱うことができず、また 自身の身勝手で軽々に妻を離縁することはできなかった。 そして、母親の持参金は彼女の子供たちに――特に娘に――受け継がれることが多かったようである。 パルテノン神殿のあるアクロポリスの丘を見上げる場所。 アテナイの下町、石造りの家が ごみごみと並ぶ道を、瞬は歩いていた。 迷ってはいないと思うのだが、似たような造りの家が並んでいるので、迷っていないという確信も持てない。 だが、おそらく、ここ。多分、ここ。 そう思われる家の木の扉を、瞬は恐る恐る押してみたのである。 その家の扉には、波立つ水面のマークが刻まれた銅板が掛けられていた。 「ごめんください。お仕事をお願いしたいんですけど……」 中を窺いながら、声を掛けてみる。 光が上方から入り込むように、採光が考えられている家。 ごく普通の 市民の住宅の つましい部屋だが、家の中は明るい。 その光より明るい声が、途轍もない勢いで 瞬を出迎えた。 |