「アクエリアス ひとさがし屋に、いらっしゃいダヨ !! 」 自分の声を追いかけるようにして、小さな女の子が 瞬の許に駆けてくる。 膝丈のチュニック、編み上げのサンダル。 良家の令嬢とは言わないが、奴隷でもないのだろう。 察するに、裕福とはいえない自由民の4、5歳の少女。 左右二つに分けて結んでいる髪型も斬新だが、色が白色や生成り色でもなく臙脂色に染めてあるチュニック、その上 帯が黒色というのは、斬新を通り越して奇抜。 その斬新と奇抜が、彼女をどこかエキゾチックな魅力をたたえた少女にしている。 この少女は アテナイ生まれの人間ではなさそうだと、瞬は思った。 「あの……ここに、人探しの依頼を請け負ってくれる人がいると聞いて来たんだけど、まさか、こんなに可愛い お嬢ちゃんが人探しをするわけじゃないよね?」 奇抜な恰好をしている元気な少女は、顔立ちも可愛いが、手も小さくて可愛い。 瞬が彼女の前に しゃがんで尋ねると、彼女は、一生懸命 大きく花を開こうとしているオレンジ色のガーベラのような笑顔を、瞬に見せてくれた。 「ナターシャ、可愛い? ウフフ。あのね、ナターシャのパパも そう言うんダヨ」 少女の名は、ナターシャというらしい。 彼女が嬉しそうなのは、決して 自分が可愛い(ことが嬉しい)からではなく、そう言ってくれる人がいるから、そう言ってくれる人がいることが嬉しいから――だろう。 ナターシャの感性は、とても正しい。 そう、瞬は思ったのである。 実際に可愛くても、『可愛い』と言ってくれる人がいないなら、その人間が可愛いことに どんな意味があるというのか。おそらく、どんな意味もない。 大事なのは、『可愛い』と言ってくれる人がいるかいないか、なのだ。 「人探しをするのは、ナターシャのパパダヨ。ナターシャは、受付嬢ダヨ」 「う……受付嬢?」 「ウン。ナターシャは、依頼人さんに 愛嬌を振りまくのが お仕事なんダヨ。ナターシャのパパは、とっても有能な人探し屋さんなんだけど、愛想が全然なくて、愛想笑いもできないノ。だから、ナターシャがいないと、依頼人さんが逃げてっちゃうんダヨ。それでね、それで、ナターシャとパパは、綺麗なマーマ募集中ダヨ。よろしくお願いしマース!」 「マーマ募集中?」 どうやらナターシャには母がなく、父親と二人で暮らしているらしい。 女の子が母親のいない家で、男手だけで育てられると、多少なりと粗野なところのある少女に育つようなイメージがあるが、ナターシャは どちらかといえば、女の子らしさ全開の少女である。 どんな父親に育てられれば、こんな女の子らしい娘に育つのだろう? ――と、瞬が訝ったところに、話題の人が登場――したようだった。 「ナターシャ、客か」 「パパ! すごい綺麗な依頼人さんダヨ! お久し振りの依頼人さんダカラ、ナターシャ、いっぱい愛嬌を振り撒いてルヨ」 「そうか。ナターシャ、偉いぞ」 ナターシャちゃんのパパにしては、冷淡な声である。 想定外の声に、瞬が顔を上げると、彼は顔もナターシャに似ていなかった。 どこから何をどう見ても、ギリシャ人ではない。 それ自体が光を放っているような輝く色の髪と青い宝石のような瞳。 おそらく北方からやってきた外国人と思われた。 アテナイは、おそらく 現在の世界で最も高い文化を持ち、世界で最も豊かな国である。 北はルーシから、南はアフリカから、西はイベリア半島の彼方から、東はトルコから、多くの人間が流れ込んできていた。 今のアテナイには、アテナイ市民と奴隷の他に、そのどちらでもない自由民が相当数いる。 メトイコイと呼ばれる在留外人には、色々な人種、民族、国民がいたが、ナターシャちゃんのパパは、ギリシャ人的なところが何ひとつない北方系の美貌の持ち主だった。 その人が奥の部屋から出てきて、瞬を見、 「これは……確かに綺麗だ」 と呟く。 この美しい人は何を言っているのだろうと、瞬は かなり本気で思った。 パパの同意に気をよくしたらしいナターシャが、得意そうに大きく 頷く。 「デショ デショ。ナターシャのマーマになってもらおうヨ。ナターシャ、こんな綺麗なマーマだったら、ご近所のみんなに自慢できるヨ」 「こんな美少女をナターシャのマーマにできたら、俺も自分の甲斐性を自慢してまわるが、この歳の少女が一人で外を歩いているということは、市民ではなく――」 ナターシャのパパが言いかけた言葉を途切らせたのは、彼が瞬を奴隷と誤解したからだったろう。 奴隷は、アテナイ市民である主人のもので、恋も結婚も自由にはできない。 「いや、マーマ獲得の前に仕事だ。飯の種を稼ごう」 「そうだったダヨ。どうぞ、お座りくださいダヨ」 ナターシャが、瞬のために、部屋の壁際に置かれていた椅子を押してくる。 ナターシャの押してきた椅子が 部屋の中央まで到達すると、彼女のパパは それを ひょいと持ち上げて、方形の木の卓の脇に置いた。 彼が、ナターシャに最初から手を貸さなかったのは、ナターシャに仕事をさせるため。 彼女に“働いている”実感を持たせるためのようだった。 彼女は、パパが大好きで、パパの役に立つ自分でありたいのだ。 「ありがとう、ナターシャちゃん。ありがとうございます、アクエリアス……さん?」 「氷河だ、氷河と呼んでくれ。アクエリアスというのは、ただのかっこつけだ」 「恰好つけ……?」 てっきり何か いわれのある屋号なのだと思っていたのに。 軽く吹き出してから、自分がここに来たわけを思い出し、瞬は慌てて居住まいを正したのである。 笑いながら仕事を依頼したら、依頼された方も真剣に動いてくれないかもしれない。 だが、事態は深刻なのだ。 「こちらで、人探しをしてくれると聞いてきました。ギリシャ国内なら どんなところにでも 行って、必ず目指す人を探し出してくれると」 「そうだ。だが、ギリシャ国内だけでなく、国外にも行くぞ。逆に、捜索範囲をアテナイのみに絞って、アテナイにいないことを証明することもある。払ってもらえる代金次第だ。捜索期間がどれほどかにもよるが。期間が短いと、当然 捜索範囲も狭まる」 「礼金はいくらでも払いますし、期間は 目的の人が見付かるまで、です。ですけど、その前に、あの……素朴な疑問ですが、人探しなんて、そんなことが仕事として成り立つんですか?」 『人探しをしてくれる人がいる』という噂を聞いて、ここまで やってきたが、実は 瞬は その噂の内容に関して半信半疑だったのだ。 そもそも 人探しなどという仕事があることを、瞬は これまで聞いたことがなかった。 「成り立つさ。現に、こうして依頼人が来る。おまえが どこで誰から俺のことを聞いてきたのかは知らないが、実績が宣伝になり、噂になり、評判にもなる。そして、現状があるというわけだ」 「あ」 氷河の答えを聞いて、瞬は自身の迂闊に 少々 恥じ入ってしまったのである。 氷河の言う通り、人探しの仕事は成り立つに決まっていた。 「そうですね。自分が仕事の依頼に来ていながら、僕、馬鹿なことを聞いてしまいました」 「いや。この商売は、俺が考案して始めた商売だ。アテナイでやっているのは、俺だけだろう」 「そうでしょうね。誰にでもできる仕事ではありません。有能だという噂を聞いてきました」 「ちなみに、俺は、人探しだけでなく、素行調査もする。娘や息子の結婚相手候補の素行調査を依頼してくる親も多い。需要は多いんだ。探してほしいのは誰だ? 金に糸目はつけない口振りだったから、金持ちの主人の使いで来たんだろう? こんな美少女の許から逃げ出す男がいるはずがない」 「……」 彼の有能の噂は信じるに足るものだろうか。 多分に漏れず、自分の性別を誤認している“人探しの名人”の前で、瞬は悲しく小さく吐息することになったのである。 手足を剥き出しにした膝上丈のチュニック着用。 間違いなく男子の恰好をしているのに、『僕は男です』と言うのも癪で、瞬は、その件については あえて訂正を入れなかった。 奴隷という誤解も解かずに、依頼用件を口にする。 「エリティス家の令嬢で、エスメラルダさんという人を探してほしいのです」 「エリティス家のエスメラルダ? エリティス家というのは、“セフェリス家とエリティス家”のエリティス家か?」 問われて、瞬は僅かに顔を歪めた。 いつからアテナイで暮らしているのか わからないが、外国人である氷河も知っているほど、両家の不仲は有名なのだ。 セフェリス家といえばエリティス家、エリティス家といえばセフェリス家。 セフェリス家とエリティス家は必ず並び称される二つの家。 両家の不仲は、既に伝説の域に足を踏み入れているのかもしれなかった。 「僕は、セフェリス家の者なんです。瞬と言います」 依頼内容を わかってもらうために、一気に誤解が解けるだけの情報を与える。 その情報を、氷河は すぐには信じてくれなかった。 「まさか……。セフェリス家なんて、アテナイで1、2を争う有力貴族の令嬢が 一人で外を歩くなど――」 「ええ。あり得ないことですよね。令嬢なら」 瞬が指摘すると、氷河は 実にあからさまな態度で、瞬の胸の辺りを凝視してきた。 おそらく誤解を解き、だが、彼は自らの誤りを認めず、『ごめんなさい』も言わなかった。 賢明な対応である。 謝罪などされても困る。 「では、礼金無制限は口から出まかせではないということだな。宿敵の一族を根絶やしにするのが目的か? こんな 清らかな純白の花のような顔をして――。飛ぶ鳥も落とす勢いのセフェリス家。対して、エリティス家は見る影もなく零落しているそうじゃないか。根絶やしにするのは簡単だろうな。エリティス家の直系は令嬢が一人 残っているきりと聞いている」 人探しを生業にしているだけあって、氷河は情報通のようだった。 あるいは、エリティス家の噂(セフェリス家とエリティス家の噂)が そこまで人口に膾炙しているということなのか。 前者であってくれればいいと思いながら、瞬は、あえて 清らかな純白の花らしくないことをしたのである。 テーブルの上に、硬貨の入った袋を置く。 「グラウカイ硬貨が25枚。100ドラクマ入っています。手付金として持ってきました」 1ドラクマは、アテナイの労働者の1日分の平均的賃金と言われている。 それが手付金として妥当な額なのかどうかは、瞬にはわからなかったが、袋の中を確かめると、氷河は、その表情から軽さを消した。 |