夏はキャンプに行ってバーベキュー、秋には紅葉狩り、冬にはクリスマス。 新年を迎えたら初詣、2月は節分、3月には雛祭り、4月には お花のお寿司を作って お花見、5月の子供の日には、折紙で鯉のぼり作り。 ひと月に1度は、楽しいイベントがあった。 パパとマーマとナターシャと、時には星矢や紫龍、吉乃やシュラを招いたり、誘ったりして、大賑わいのお祭り騒ぎになることもあった。 ナターシャのパパとマーマは、普通の仕事の他に正義の味方の仕事もしていて、いつも忙しい。 だから、毎日 四六時中 一緒にいられるわけではなかったが、その分、三人一緒にいられる時は 嬉しかったし、楽しかった。 カッコいいパパと 綺麗で優しいマーマ。 パパに出会う前には、一人ぽっちで寂しくて悲しかった。 その時のことを憶えているから、パパとマーマと過ごす時間の大切さを、ナターシャはいつも意識していた。 パパがカッコいいこと、マーマが優しいこと。 パパとマーマが自分の側にいてくれること。 ナターシャは、それらを当たりまえのことと思ってはいなかった。 毎日が幸せなこと。 悲しいことが起きない日々。 ナターシャは、パパとマーマと過ごす日々を、ありふれた 普通の日々とは思っていなかった。 ナターシャは パパとマーマとの幸福な日々が どれほど貴重で得難いものなのかを知っていた。 そして、その価値ある日々を 毎日大切に――本当に大切に生きていたのだ。 その幸福が――大切な日々が消えた。突然 消えてしまった。 その日、ナターシャが目覚めると、パパとマーマの姿がなかった。 パパが壁に飾ってくれた、ナターシャが描いた“パパとマーマのナターシャのおさんぽ”の絵もない。 飾ってもらった絵どころか、ナターシャの部屋もナターシャの家もなくなっていた。 灰色の世界に、ぽつんと一人。 ナターシャの幸せな日々と幸せな世界は、いつのまにか消えてしまっていた。 灰色の世界に一人で放り出されること。 それは、ナターシャには初めてのことではなかった。 以前にも、こんなふうに、何もない世界に放り出されたことがある。 誰かに乱暴に首を引きちぎられて、我が身に何が起こったのかを確かめようと、顔を上げた時。 あの時も、ナターシャは、何もない灰色の世界に たった一人で立っている自分を見い出したのだった。 あの時は、自分がどこから来たのかも、どこに帰るべきなのかも わからないまま、随分と長いこと、灰色の世界に漂っていた気がする。 そうして ある日、ナターシャは パパに出会った。 灰色の世界にいるとばかり思っていた自分が、見知らぬ夜の街にいて、心細さに耐え切れず泣き出したら、パパが ナターシャの冷たい身体を抱きしめてくれたのだ。 あの時 初めて、ナターシャの身体の中の血は 温かく動き始めた。 それからは、毎日が夢のように楽しい日々だった。 毎日 遊園地で遊んでいるように、ナターシャの心は弾んでいた。 初めてパパと一緒に お洋服を買いに行った日。 キッチンを水浸しにして、パパに泣きべそをかかせた日。 初めてマーマに会った日。 マーマが ナターシャとパパの側に引っ越してきてくれた日。 あの日、パパは大喜びで、テーブルと冷蔵庫と食器棚を一度に運んでみせた。 パパとマーマとナターシャが一緒に過ごす日々は、毎日が明るく輝いていた。 その世界、あの日々が消えてしまった――。 今 自分がいる灰色の世界が本当の世界で、パパに出会い、三人で楽しく暮らしていた世界の方が夢の世界だったのか。 あれは、夢だったのだろうか。 灰色の世界に たった一人でいる自分が悲しくて 寂しくて、その悲しさと寂しさを忘れるために、灰色の世界で見た薔薇色の夢だったのか。 あるいは、夢のように楽しく明るい あの世界は現実に存在していたが、その世界が終わってしまった――ということなのか。 「ナターシャは マタ死んじゃったノ?」 「もうパパとマーマに会えないノ?」 「ナターシャ、パパとマーマにもう一度 会いたいヨ」 声に出して言ってみたが、どこからも 誰からも、答えは返ってこなかった。 死の意味は、何となく知っていた。 それが寂しくて悲しいものだということも、何となく わかっている。 それは いつも ナターシャの隣りにいた。 ナターシャは いつも 死の影に怯えていた。 だが、それはナターシャ以外の人も みんな同じ。 みんな同じなのだと、ナターシャに教えてくれたのは、マーマだった。 ナターシャだけでなく、ナターシャの20倍も長く生きている老人たちも、街のあちこちで働いている大勢の大人たちも、どんな家の子供たちも、誰より強いパパとマーマも例外ではない。 誰にでも 明日死ぬ可能性がある。 だから、人は皆、毎日を大切に楽しく生きなければならないのだと。 「僕と氷河とナターシャちゃんとで、僕たちは 一人一人ばらばらでいるのの3倍楽しく、毎日を過ごそうね」 そう言って マーマは、ナターシャのほっぺを撫でてくれた。 そして、その言葉通りに、ナターシャはパパとマーマと三人一緒に、毎日を大切に楽しく過ごしてきたのだ。 ナターシャは幸せだった。 パパとマーマと一緒に過ごした楽しい日々のことは憶えている。 だが、ナターシャは、なぜこんなことになったのか、その経緯を憶えていなかった。 自分が本当に死んだのかどうかも わからない。 だから、諦めきれない。 自分は死んだのだと、パパとマーマとは違う世界の住人になってしまったのだと、すっぱり思い切ってしまうことが、ナターシャにはできなかった。 初めて灰色の世界に来た時は、『何か恐ろしいものに首を引きちぎられて、ここに来た』という記憶があった。 僅か数秒だけの記憶だったが、それだけで十分なほど鮮明で長い記憶である。 ワダツミと名乗る“恐ろしいもの”は、『敵を油断させるために、幼い子供の顔と頭が欲しかった』んだと、そんなことを言っていた。 しかし、二度目の今は、死んだ記憶が全くない。 もしかしたら、夢のように幸福で楽しい あの日々の中で、自分は たまたま灰色の世界の夢を見ているだけなのかもしれない。 そう、ナターシャは思った。 悪い灰色の夢の世界に、自分は迷い込んでしまったのだ――と。 |