「ナターシャちゃん」 ナターシャは最初、その人を ハーデスだとは思わなかった。 パパのものでもマーマのものでもないのに、大きく強く美しい小宇宙。 こんなにマーマに似ているのに、こんなにマーマと違う人。 その人は、とても悲しそうな目をしていた。 「お姉ちゃんは だあれ? ナターシャは、ナターシャのパパとマーマのところに帰りたいノ。帰してくだサイって、ハーデスサンにお願いに来たの。ナターシャをハーデスサンに会わせてくだサイ」 頼んでから、ナターシャは、その可能性――否、そうなのだということに気付いたのである。 「ハーデスサンって、お姉ちゃんナノ? お姉ちゃんがハーデスサン?」 想像していたのと、全然違う。 ナターシャは、どちらかというと、時々見掛ける 近所の小学校の校長先生や マーマの病院の院長先生のような、歳をとった男の人を想像していたのに。 「そうみたい」 悲しい目をしたお姉ちゃんが頷く。 やはり、この人がハーデスらしい。 ハーデスは、ナターシャに、 「ナターシャちゃんは、氷河が好きなの?」 と、問うてきた。 マーマと同じ声、同じ抑揚、同じ響きで、ハーデスは ナターシャのパパを『氷河』と呼ぶ。 そこだけが同じ。 『氷河』以外のすべての言葉は、ナターシャの耳には、光のない灰色の音の羅列に聞こえた。 「あったりまえダヨ! ナターシャは、パパが世界でいちばん大々々好きダヨ!」 「そう……。きっと氷河も、ナターシャちゃんのことを 世界でいちばん大々々好きなんだろうね」 「パパは、ナターシャとマーマを同率首位で大々々好きなんダヨ。いつも そう言っテル」 「そうなの?」 「そうダヨ。それで パパはお寝坊さんで、好き嫌いがあって、自分が興味ないことには とっても不注意になるから、ナターシャとマーマで パパを守ってあげようねって、約束してるノ。ナターシャのマーマは、すごく強くて 物知りで 優しくて綺麗なんダヨ。ナターシャのマーマは世界一のスーパーマーマダヨ!」 「へえ。すごいね。スーパーマーマなんて。幸せなんだね、ナターシャちゃんたちは。氷河も……僕も……」 「……」 黒色と紫色の長いずるずるの衣装。 お姫様のドレスというより、悪い魔女の衣装。 だが、ナターシャには、ハーデスが悪い神様であるようには見えなかった。 「ハーデスお姉ちゃんは、ナターシャをパパとマーマのところに帰してくれるヨネ? ナターシャがいないと、パパは泣いちゃうヨ。ナターシャは マーマと約束したんダヨ。不注意パパを守って、それで パパの幸せを守ろうねッテ」 「氷河の幸せを?」 「そうダヨ。世界でいちばん大事なことダヨ!」 ナターシャが そう言い切った次の瞬間。 もしかしたら、パパとマーマのそれより大きく強く美しい小宇宙の持ち主。 おそらく この冥界で いちばん強くて偉い人。 この世界の帝王。 その人の瞳から、涙があふれ出た――。 「お……お姉ちゃん…… !? 」 「だめ……見ないで……!」 自分が泣かせた。 ナターシャはそう思った。 ナターシャは、パパの幸せを守りたかっただけだったのに。 それで なぜハーデスが泣くのかは わからないが、自分がハーデスを泣かせたのだと、ナターシャは直感し、確信した。 「お姉ちゃんッ!」 ナターシャは叫んだ。 |