今日に限っていうなら、人気のメロンパンが売り切れていたことは幸運だった。 並ばずに買うことができたし、今のチョコちゃんには、甘い菓子パンより、タンパク質重視の消化のよいパンの方が適している。 野菜やタマゴ、ハムやチーズのサンドイッチ、豆類やポテトのサラダ、ミルク、ポタージュスープ等々。 芝生広場の脇にある東屋のテーブルに、“公園のパン屋さん”で買ってきたものを並べ、瞬はチョコちゃんに頼んだのである。 「ちょっと買いすぎちゃったから、チョコちゃん、食べるのを手伝ってくれる?」 「……」 空腹なのに すぐに頷かないのは、『よし』を言われる前に食べ物に手を伸ばして、きつく叱られたことがあるからだろうか。 あるいは、自分は“いいこと”とは無縁だと信じざるを得ない経験を繰り返してきたからか。 チョコちゃんは、“幸運”や“親切”を信じることができなくなるような経験を積んできたのか――。 瞬は、それがチョコちゃんのためのものであることを示すために、紙パックのミルクにストローを挿して、チョコちゃんの手に持たせようとした。 「パンを食べるのは、ミルクかポタージュを ちょっと飲んでからにしてね。ミルクは苦手? もし そうなら、野菜ジュースを――」 「飲める」 チョコちゃんは、ストローで飲み物を飲めないところまでは弱っていないようだった。 ミルクを一口分、口に含み、ごくりと嚥下すると、彼女は それまでの遠慮(むしろ、恐れ)を忘れたように がつがつと、凄まじい勢いで目の前の食べ物を口の中に押し込み始めた。 「チョコちゃん。ここにあるものは どれでも好きなものを食べていいから、そんなに慌てないで、ゆっくり食べて。よく噛まずに、たくさんの食べ物を急に おなかに入れると、おなかがびっくりしちゃうからね」 瞬が 意識して ゆっくりした口調で そう言うと、チョコちゃんは 慌てる必要がないことを理解してくれたらしく―― 一度 咀嚼を中断してから、今度はゆっくりと、その作業を再開した。 「ゆっくり、たくさん噛むんダヨ。そうすると、顎や口のまわりの筋肉が元気になって、可愛い笑顔が作れるようになるんだヨ」 お行儀よく有益な食べ方を知らないチョコちゃんを見て、お姉さん気分になったらしいナターシャが、チョコちゃんに貴重な知識を披露する。 毎日 パパのために、可愛いナターシャになるための鍛錬を怠らないナターシャは、表情筋が いかに重要なものなのかを知っていた。 可愛らしさというものは、天から与えられるものではなく、努力して手に入れるものなのだ。 ナターシャにとっては とても重要で大切な知識、 それは、だが、チョコちゃんには、錆びた10円玉1枚ほどの勝ちもないものだったらしい。 チョコちゃんは、 「あたしは可愛くないカラ」 の一言で、ナターシャのアドバイスを切り捨ててしまった。 「エ……」 まさか そんな答えが返ってくるとは、ナターシャは考えてもいなかったのだろう。 即座に『そんなことないヨ』と言えるほど 世慣れた大人でもなかったナターシャは、そのまま その場で凍りついてしまった。 氷河が そんなナターシャの背中を ぽんぽんと叩き、瞬がナターシャの指先を握りしめる。 それで、ナターシャは、自分が悪いことをしたのではないと思うことができたらしく、戸惑いつつも、強張らせていた身体から力を抜いた。 チョコちゃんが、自分は可愛くないと、自分で判断したはずがない。 誰かに そう言われたのだとしか思えない。 いったい誰が 彼女に そんなことを言ったのか――そんな ひどいことをしたのがチョコちゃんの母親だとは、瞬は思いたくなかった。 そうだったとしても、そうでなかったとしても、事実をチョコちゃんに確かめることはできなかったが。 それが母親であっても、母親以外の誰かであっても、同じことである。 そんな残酷な場面を チョコちゃんに思い出させ、語ることなど、できるわけがない。 おなかがいっぱいになると安心して 気が緩んだのか、チョコちゃんは ベンチの上に身体を丸めて、、その場で眠り込んでしまった。 |