沙織が 水瓶座の黄金聖闘士と乙女座の黄金聖闘士を ここに呼んだ理由に、瞬より先に気付いたのは氷河だった。
気付くなり、一瞬のためらいもなく、沙織に釘を刺す。
「俺たちに、犯人を捜し出して、絵を取り戻せとせというんじゃないでしょうね? 言っておくが、窃盗事件の犯人捜しは警察の仕事だし、失せ物探しなら、それは探偵にでも頼めばいい。アテナの聖闘士の仕事は、世界の平和を守ることだ!」

氷河の主張は正しい。
実に理に適っている。
窃盗犯を捕まえるのは警察の仕事、失せ物を探すのは探偵の仕事。
アテナの聖闘士には、本物の絵が誰の手の中にあろうが、どこにあろうが、全く無関係。
本物の絵が誰の手の中にあろうと、どこにあろうと、世界の平和が脅かされるわけではない。
それは氷河の言う通りである。
だが、今回に限って言うならば、重要なのは、『沙織は水瓶座の黄金聖闘士と乙女座の黄金聖闘士に何をさせようとしているのか』ではなく、『沙織はなぜ水瓶座の黄金聖闘士と乙女座の黄金聖闘士を この場に呼んだのか』ということだった。
そう、瞬は考えた。

「公にはできないわ。こんな、子供の意地の張り合いのような経緯で50億円の絵画が盗まれたなんて――大企業としての面子もあるし、盗難保険も扱っている損害保険会社としての立場もあるし、盗難の事実を公にしたところで、世間に同情もしてもらえない。それに、盗難の事実を公表することは、既に絵が盗品取引市場に出回っていた場合、盗品に 本物のお墨付きを与えることにもなる」
「ですが、盗難の事実を隠蔽して 積極的な対応をせずにいるうちに、絵が海外に流出するようなことにでもなったら――」
そうなれば、まず 取り戻すことは不可能になるだろう。
他人事で、しかも 被害者の危機管理意識の低さが原因の自業自得とはいえ、さすがに それは気の毒である。
と、同情の気配を醸してしまったのが まずかったのか、沙織が すかさず、瞬に迫ってきた。

「ええ。そんなことになったら大変よ。そこで、あなた方の出番というわけ。現場は、光が丘公園内の図書館。あなたたちのホームグラウンドでしょう? この件を秘密裡に綺麗に治めないと、あの展示スペースを使っての お絵描き展示は今後一切できなくなるかもしれない。そんなことになったら、ナターシャちゃんが がっかりするわね、きっと」
それは、沙織の言う通りだろう。
それは沙織の言う通りなのだが、それこそ“こんなこと”で、子供たちが楽しみにしている展示イベントをなくすようなことを、区や図書館がするのは間違っている――と、瞬が言おうとした時。

「それに――」
「それに?」
50億円の絵を、セキュリティシステムの脆弱な図書館に平気で運び入れるような輩とは異なり、沙織の危機管理意識は高く、鋭敏でもある。
その沙織の表情が曇るということは、この件には、まだ他に何らかの問題があるということ。
この件には、光が丘図書館の展示コーナーの閉鎖以外にも、何らかの重大な問題があるということである。
続く沙織の言葉を待つ瞬の前で、沙織はゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、疑いと困惑と憂いが、複雑な割合で入り混じり、たたえられていた。

「問題の絵は、多くの人間の注目を集めてはいたようね。あまり、良くない意味で」
注目どころか、その存在をまともに認識すらしなかった瞬としては、少々 肩身が狭かったのだが、“本物”の価値に気付いた人間が多くいたのなら、それはよいことである。
よいことなのだろうと、瞬は思った。
だが、名画が よくない意味で注目を集めていたとは、いったいどういうことなのだろう?
「大人たちは、当然、その絵を本物とは思わず、スルーしていた。本物の絵に対する感動は、大人たちの心の内には生じなかった。“本物”に 敏感だったのは、むしろ子供たち。子供たちは 50億円の名画を明確に避けていたようね。好んで見る子は少なく、見た子供たちの中には泣き出す子も多くいて……つまり、本物の名画は 嫌われ、疎んじられていたのよ。光が丘図書館の児童図書室に向かう子供たちに」

「それは……」
それは、それこそ“本物”ならではの現象なのかもしれない。
その段になって、瞬は、沙織の瞳にたたえられている疑いと困惑と憂いの原因に思い至った。
沙織は、子供たちの中の誰かが 不快な絵をどうにかした――と考えているのではないだろうか。

「50億円の絵を、まさか、全く無防備に展示していたわけではないですよね? 警備員や監視カメラは――」
氷河と目を会わせてから、瞬は、救いを求めるように沙織に尋ねた。
警備員や監視カメラの映像データが、罪無き者の無実を証明してくれるはずだと訴えるために。
沙織が水瓶座の黄金聖闘士と乙女座の黄金聖闘士を ここに呼んだのは、この盗難事件にナターシャが関わっているから、もしくは、その疑いをかけられているから――だったのだと気付いて。

「監視カメラは、もちろん設置してあったのだけど、展示コーナーではなく、図書館の出入り口と児童図書室の出入り口だけを映していたの。普通、子供の絵は盗まれないでしょう? 図書館が防ぎたいのは、高価な本や備品の窃盗、危険人物の侵入、危険物の持ち込みだから」
知りたいのは、そんなことではない。
「盗まれた絵のあった場所には、代わりの絵が飾られていたのよ」
その代わりの絵から、大泥棒の指紋でも出たのか。
「絵が盗まれたと思われている時間帯、監視カメラに映っていたのは、児童図書室に向かう子供たちと児童図書室から出ていく子供たちばかりだった。そして――」

“本物”の価値に、大人たちは誰も気付かなかった。
50億円の名画の価値に気付いたのは、子供たちばかりだった。
「監視カメラに、ナターシャの姿が映っていたのかっ」
沙織の回りくどい物言いに耐えられなくなったらしい氷河が、単刀直入に切り込んでいく。
沙織も、それには迅速かつ明快に答えてきた。
「絵が盗まれたと思われる僅か30分の間に、なんと4往復」
「……」
つまり、ナターシャは、50億円の名画盗難事件の容疑者とまではいかないが、重要参考人ではあるらしい。
沙織が氷河と瞬を城戸邸に呼んだのは、バブル景気の話をするためではなかったのだ。






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