ナターシャへの事情聴取は城戸邸の客間で行なわれた。
ナターシャは大喜びで、取調べ室に飛んできた。
栄養バランスがよくて、彩りもいいから――という理由で、魔鈴とジュネの作ったチーズタルトの上には、生のゴーヤのスライスが飾られていたらしい。
その味見という拷問にかけられる直前の事情聴取要請に、ナターシャは 地獄で仏を見た気持ちだったのだ。
「魔鈴お姉ちゃんも ジュネお姉ちゃんも、すごく美味しくできたって得意そうに言って、ぱくぱく食べるんダヨ。ゴーヤの乗ったチーズタルトを! ナターシャ、信じられないヨ!」

それは、瞬にも信じられないことだった。
だが、今は、信じられないことではなく、信じたくないこと――ナターシャにかけられた容疑――を晴らすことが先決である。
ゴーヤのチーズタルトにはノーコメントで、瞬は逆に ナターシャに、“本物”の絵に関するコメントを求めた。
「魔鈴さんやジュネさんたちは、舌も鍛えてあるからね。それで、ナターシャちゃんは、展示コーナーの絵のことで、何か気付いたことはあったの?」
取調べを行なう刑事の心臓は 不安で破裂しそうなのに、取調べを受ける容疑者は全くの平常心。
ナターシャからは、即座に極めて率直な答えが返ってきた。

「あれは、ダリアか菊の花の絵だったのかなぁ。もしかしたら、ひまわりの絵だったのかもしれない。すごく へたっぴな絵で、半分 枯れてるみたいな お花の絵なの。ちっとも綺麗じゃないし、見てると気持ち悪くなるんダヨ。なのに、あの絵だけ、立派な額縁に入ってるノ」
「……」
“本物”の絵は、ナターシャを気持ち悪くし、その気持ち悪い絵が受けている厚遇は、ナターシャの気分を害したらしい。
ナターシャは むーっと頬を膨らませ、唇を尖らせた。

「児童図書室でね、みんなで、気持ち悪い絵だねって言ってたんダヨ。あんな嫌な絵、ナターシャも初めて見た。恐くて 見たくないから、あの絵がいなくなるまで もう図書館に来ないって言う子もいたノ。それで、ナターシャ、あの絵を別の絵と交換しちゃおうって、テイアンしたんダヨ。そしたら、みんなが大賛成でね。みんなで明るくて綺麗な お花の絵を描いて、気持ち悪い絵と交換したんダヨ。これなら、展示コーナーの前を歩くのも恐くないって、みんな 大喜びの万々歳だったヨ!」

大喜びの万々歳。
瞬に50億円の名画窃盗の罪を自供するナターシャは、本当に嬉しそうだった。
みんなが喜ぶことをして、自分も気持ちよく気分よくなれたのだ。
これほど嬉しいことはないだろう


自分は正しいことをしていると信じて行われる犯罪を“確信犯”と言い、確信犯を行なう者を“確信犯罪者”もしくは“確信犯罪人”と言う。
悪事と知りつつ罪を犯すことを“確信犯”とするのは誤用である。
ナターシャは、正しい意味での確信犯を行なった、確信犯罪者だった。
確信犯罪者であるナターシャに罪悪感はなく、自らの行なった行為に、ナターシャは誇りと喜びを感じているのだ。
ナターシャの(誤用ではない)確信犯を知らされた瞬の頬からは血の気が引き、
「ど……どうやって、絵を入れ換えたの?」
と尋ねる瞬の声は――その気になれば地球を壊すこともできる乙女座の黄金聖闘士の声は――情けないことに 不安と恐怖で震えていた。

「みんなの明るい絵 設置ぷろじぇくとチームを作ったんダヨ。みんなで力を合わせて、絵の交換をしたノ。児童図書室に通ってる みんなは、毎月、絵の貼り換えをどんなふうにしてるか 知ってるし、ナターシャは、図書館の先生の貼り変えのお手伝いをしたこともあるから、ケイカクは完璧にスイコウされたヨ!」
「で……でも、展示コーナーにはガラスの覆いがあって、覆いには鍵が掛かっていて――」
「展示コーナーの鍵のアンショーバンゴーは、11104442ダヨ。イイとうシヨシツー。みんな知ってるヨ」
ナターシャのお友だち皆が知っていることを、瞬は知らなかった。

「図書館に来る人たち みんなに喜んでもらおうと思って、ナターシャたち、頑張ったんダヨ。廊下で見張りをする係と、司書の先生に気付かせない係と、気持ち悪い絵を外す係と、みんなで描いた絵を飾る係を決めて、司書の先生が本の整理してるうちに、ニンムスイコウしたんダヨ。ナターシャはリーダーの係をしたヨ!」
事が事でなかったら、その計画性やチームワーク、実行力を、瞬は『よく頑張ったね』と褒めてやりたかった。
しかし、なにしろ、事が事だったのだ。
気付かぬうちに 世にも稀なる大泥棒のマーマになってしまっていた瞬の頬は真っ青、大泥棒のパパの氷河など、今にも泡を吹いて倒れそうなありさまだった。

「そ……その気持ち悪い絵は、今、どこに……」
「光が丘図書館の門の脇にある掲示板の裏に、額縁ごと置いといたヨ。あそこだと、新しい お知らせを貼り出す時に図書館の係の人が必ず 窓を開けて、中を見るでショ。気持ち悪い絵だから、みんな、見たくなくて、触りたくなくて、額縁から出すのも嫌がったんダヨ」
心底 嫌そうに言うナターシャの繊細・鋭敏と、“本物”の持つ強い影響力に、瞬は心から感謝し、安堵した。
50億円の本物の名画は、その気持ち悪さが幸いして、捨てられずに済んだのだ。
より正確に言うなら、捨ててもらうことすらできなかったのだ。
大きく深く長く――長い長い溜め息が、水瓶座の黄金聖闘士の唇から吐き出された。






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