翌日以降、ナターシャは、約束通り 孤独な老婦人を見舞うため、毎日 瞬の職場にやってきた。 知り合いのいない東京の病院の大部屋で 見舞客が一人も来ない入院患者をしているよりは、たとえ血縁でなくても、毎日 可愛い孫(に見える子供)と そのパパが見舞いにやってくる おばあちゃん(=親族に心配されている おばあちゃん)と見られている方が、彼女は 居心地が いいらしい。 三ツ橋夫人の病状は、熱中症は もちろん、心情面での落ち込みも 肉体の疲労も、担当医の見立てより早めに快方に向かっていった。 ナターシャは大部屋の入院患者たちの人気者で、一度は パパだけでなく、カミュおじいちゃんを伴って見舞いに行き、同室の入院患者たち(全員おばあちゃん)に黄色い声を生ませていた。 ナターシャの人気に あやかって、三ツ橋夫人自身も人気者になり、その事実は 彼女の気分と病状を極めて良好にしたのだった。 「今度、光が丘公園で はちみつの日のイベントがあるんダヨ。れんげ草のハチミツとか、アカシアのハチミツとか、オレンジの花のハチミツとか、食べ比べができるイベントなんだっテ。それで、みつばちは とっても働き者だっていう お勉強をして、ナターシャは ステージで ぶんぶんぶんを歌うんダヨ。ナターシャ、今、張り切って ぶんぶんぶんの練習中ダヨ。おばあちゃんも 聞きに来てくれる?」 「はちみつの日……って、8月?」 「はちみつの日だもん、8月ダヨ。7月だったら、はちみつの日じゃなく、しちみつの日になっちゃうデショ?」 「さすがに、そんなに長くはいられないかな……。もう1週間も、予定外の入院をしてるし」 「そっか……」 せっかくの晴れの舞台。 できるだけ多くの人に練習の成果を披露したかったのだろうナターシャが、しょんぼりと項垂れる。 ナターシャが三ツ橋夫人の見舞いに来ていることを看護師からの報告で知り、ちょうど様子を見にきたところだった瞬は、三ツ橋夫人がナターシャの落胆を、心のどこかで喜んでいる――残念に思っているばかりではない――ように見えたのである。 はちみつの日の晴れ姿を おばあちゃんに見てもらえないことを、ナターシャはがっかりしている―― ナターシャは平気ではない。 そのことが嬉しい――少しだけ、ほんの少しだけ嬉しい。 ほとんど無意識で、全く悪気はないのだろうが、それが三ツ橋夫人の真情なのだろう。 ナターシャのお供をしてきた氷河も、そんな三ツ橋夫人の気持ちを感じ取っているようだった。 「おばあちゃんは、おじいちゃんの お仏壇の ご飯を変えてあげなきゃならないの」 「おばあちゃんちのおじいちゃんは、ずっと ご飯を食べてないの?」 「ご飯は置いてあるんだけど、そろそろ違うのが食べたいって、べそをかき始める頃なんだよ」 「ンー。ナターシャのパパなら、自分で ご飯 作るんだけどナー」 誰もが料理上手ではないことも、健康上の問題で 自力で食事の準備ができない人がいることも、ナターシャは知っている。 ナターシャは我儘を言わない子だった。 「でも、おばあちゃんが元気になって退院するなら、それがいちばんダネ。おじいちゃんに、新しい ご飯を食べさせてあげなきゃ、おじいちゃんが かわいそうだヨネ」 「ナターシャちゃんは、お利口さんな上に優しいね」 パパとマーマのいるところで、“よその おばあちゃん”に褒められて、ナターシャは ご満悦である。 ナターシャの嬉しそうな笑顔の訳を、三ツ橋夫人は正しく理解していたかどうか――。 ともあれ、これなら一人旅も問題なくできるだろうと思われるところまで回復した三ツ橋夫人は、7月の末に光が丘病院を退院して、福島に帰っていった。 その三ツ橋夫人から、光が丘病院の瞬宛てに 手製のリボンが届いたのは、退院の翌々日。 黄色と茶色の尻尾。白い透き通ったサテンの羽。 それは、蜜蜂の姿をかたどった5センチほどの大きさの二つの髪飾りだった。 家に帰って すぐ、大急ぎで作ったのだろう 蜜蜂のリボンには、 『今日送ると、8月2日に着くと言われたので、失礼を承知で病院に送らせていただきます。はちみつの日のイベントで、ナターシャちゃんが ぶんぶんぶんを歌う時に、よかったら髪に飾ってください』 というメッセージが添えられていた。 |