「君は彼女を生き返らせたいとは思わないか?」
「なに?」
俺に そんな話を持ちかけてきた男が 胡散臭くて――。
俺は露骨に不審人物を見る目を、その男に向けた。
当然だろう。
マーマを生き返らせる。
そんなことができるわけがない。
マーマを誰より愛している俺が その傍らに立っても、マーマは目を開けてくれないのに。

「誰だ」
俺が問うたことには答えず、その男は、
「場所を変えないか」
と、俺に提案してきた。
真冬のシベリアの浜では、まともに話もできないらしい。
「君に重大な話がある」
胡散臭い上に、根性もない男。
俺が そんな男の話を聞く気になったのは、その胡散臭い男が、
「若く美しく善良な人間が死に、醜く強欲な人間が いつまでも生きている。全く、この世は理不尽にできている。神は いったい何を考えているんだろう」
と、俺がいつも考えているのと同じことを口にしたから。
神と人間が作った世界への不平不満。
同じ敵を持つことが、人間に連帯感を抱かせるというのは、紛れもない事実だ。

俺たちは、コホーテク村で唯一の食堂付きの宿屋に場所を移動した。
男は そこに2日前から泊っているんだそうだ。
そして、俺と俺のマーマの情報を集めていたらしい。
宿の食堂の隅にある密談用の二人掛けの古い木の卓に腰を下ろすと、胡散臭い男は、妙に浮かれた調子で 自己紹介を始めた。

「私は、アメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校の動物学博士、ロバート・コーニッシュという。動物の蘇生についての研究をしている。ノヴォシビルスクで、この村の人に会って、君と君のママの話を聞いたんだ。それで、君の母親を生き返らせてやろうと思って――」
「そんなことができるわけないだろ」
最後まで聞かずに、俺はコーニッシュ博士とやらの話を遮った。
俺は信用しなかった。そんな話。
当然だろう。
今は、まがりなりにも20世紀。
冥界の支配者ハーデスに頼めば死人も生き返った神話の時代じゃない。
死んだ人間の復活なんて奇跡が起こったのは、紀元後では ラザロとイエスだけだ。イエスが最後だ。

「それができるんだ」
「できるわけない」
「人間の蘇生は科学的に、理論的に可能なんだ。その人間の身体が、生前のまま保たれているなら。体内に新鮮な血を送り込み、心臓を再び動くようにしてやればいい」
言いながら、コーニッシュとやらは、自分の写真付きの新聞の切り抜きを何十枚も貼りつけたスクラップブックを卓の上に広げてみせた。
大きな犬と一緒に映ってる写真や、人間を張りつけたシーソーみたいな器械の横に立ってる彼の写真。
記事は、ロシア語でも日本語でもフランス語でもなく――俺が知ってる言語じゃない言語で書かれていて――まあ、アメリカから来たって言ってたから、英語なんだろう。

コーニッシュとやらは、かなり自己顕示欲が強い男らしい。
自分の記事が新聞に載ったら、それを喜んで切り抜いてスクラップブックに貼るくらいのことは、普通の人間だってするだろう。
でも、わざわざ持ち歩かないだろ、そんなもの。
コーニッシュが自分が主役のスクラップブックを持ち歩いているのは、どう考えても、自分以外の人間に見せて得意がるため――だよな?
こんなに何十枚も――何十回も新聞に記事が載ってるんだから、アメリカでは有名人なのかもしれないし、新聞には その研究成果を称賛する文章が掲載されてるんだろうけど、あいにく 俺には読めない。
写真だけは――何が写ってるのかだけはわかるけど。

コーニッシュも、こんなロシアの辺境の村にいるガキが母国語以外の言葉を読めることは期待してなかったらしく、言葉で(ロシア語で)得意げに、新聞の写真の説明をしてくれた。
自分大好き男の 自画自賛部分や自慢部分を省いて事実だけをまとめると。
ロバート・コーニッシュ博士の研究テーマは人体蘇生。死人を生き返らせること。
その前段階として、死んだ犬を生き返らせる実験をし、既に幾度か成功している。
次は(当然のことながら)死んだ人間を生き返らせたいと考え、処刑された死刑囚の死体を蘇生実験に提供してほしいと アメリカ各地の刑務所に依頼したが、その依頼を受けてくれる刑務所は、一ヶ所もなかった。
理由は、『生き返った死刑囚の処遇について定めた法律がないから』。
新大陸での蘇生実験の実現は無理と判断したコーニッシュは、実験体を求めて旧大陸に渡ってきた――のだそうだった。

つまり、コーニッシュは、美しい死体(腐敗していない死体)を求めているらしい。
別に、ただ一人の肉親を失って孤児になった俺を哀れんで、マーマを生き返らせてやろうと考えたわけじゃなく、自分のスクラップブックに貼る記事を増やすために。
俺が、マーマは綺麗なままだけど、深い海の底から引き上げるのは無理だって言ったら、コーニッシュは、蘇生実験を大勢の人間に見せる興行にすればいいと言い出した。
蘇生実験を見る権利を前売り券にして売って、その金で マーマを引き上げるための船や機械を調達すればいい――と。
「奇跡の様を 多くの人に見てもらうんだ! 私も私の実験の成功を証言してくれる証人は多ければ多いほどいい」

コーニッシュは、本気なのかもしれないけど、正気とは思えない目をして、俺に迫ってきた。
鬼気迫る目っていうか、半分狂ってるみたいな目。
母国に拒絶されたも同然の このハカセ様は、自分の実験を成功させ、母国の奴等を見返してやりたくてたまらないんだろうなって、思った。
そして、新聞に載って、みんなの注目を浴びて、みんなに称賛されたいんだろう。

でも……そんなことが、ほんとにできるのか?
マーマが生き返って、もう一度、俺の名を呼んでくれる?
懐かしい優しく白い手で、俺の頭を撫でてくれる?
また、二人で一緒に暮らせるようになる?
そして、俺は、マーマを死なせた自分の罪を贖うことができるのか?
それなら、俺はアテナの聖闘士になんかなれなくても――。
俺が そんな夢を見始めた時だった。

「優しく美しかった母を懐かしむ小さな子供の心を弄ぶのはやめなさい」
そう言って、俺とコーニッシュが着いていたテーブルの脇に、誰かが立ったのは。
この宿屋 兼 食堂を、宿屋として使う旅行者なんて、月に一人いればいい方なのに、今日は二人も宿泊客がいたのか?
夏場でもないのに? 
しかも、若い女の人。
テーブルの脇に立って、俺とコーニッシュの話を中断させたのは、村では見たことのない人で――若い女の人で、しかも、この隙間風が入る おんぼろ食堂で、あり得ないほどの薄着をしていた。

薄着っていっても 肌を露出してるわけじゃないのに、俺とコーニッシュには気も留めず 酒を飲んでいた他の客たちが(さほど広くない板間の部屋で、中年の男が5、6人、酒を飲んでただけだったけど)みんな、その女の人を見てる。
美人だった。
“美人”なんて言い方していいのかどうか悩むくらい、普通の美人とは違ってたし、俺のマーマとも全然違うタイプだったけど、でも、美人だった。
不思議な光る空気に包まれてるみたいに見えて、白い百合の花を抱いたマリア様みたいな表情と綺麗な瞳の――天使か女神様みたいな、特別な何か。

どこから来た誰なのかは わからないけど、普通の人間じゃないことだけは 確信できる その人は、なぜだか コーニッシュを ひと睨みして、すぐに 俺の方に視線を戻してきた。
澄んで綺麗な目に、俺が映ってる。

「氷河、この人は、多分 詐欺師だよ。この新聞記事は30年も前のものだ。サンマテオ・タイムズやタスカルーズ・ニューズなんて、今は発行されていない新聞だ」
「えっ」
今は発行されてない、30年も前の新聞?
確かに、妙に写真が荒くて、わかりにくいとは思ってたけど――。
「おそらく、古い新聞に載っていた写真のコーニッシュ博士が自分に そっくりだったから、こんなチケット詐欺を思いついたんだろうけど」
「詐欺師……?」

どっちも今日 初めてあった見知らぬ人だけど、どっちが嘘をついてるのかは、俺にはすぐ わかった。
あとから来たのが若くて女神様みたいに綺麗な お姉さんだからじゃなく、お姉さんが言葉を重ねるたびに、コーニッシュが顔を悪魔みたいに引きつらせていったから。

「嘘つきっ!」
マーマを生き返らせることができるなんて、そんなこと、信じてたわけじゃない。
そんなこと できるわけないって思ってた。
それでも、もしかしたら――って。
それでも、もしかしたら……って!

「おまえも嫌いだっ!」
俺は、俺を騙そうとしてた詐欺師の正体を暴いてくれた お姉さんまで怒鳴りつけて、食堂とは名ばかりの酒場を飛び出した。
お姉さんは綺麗で親切なだけで、何にも悪くないのに。
俺が、勝手に一人で 馬鹿な夢を見ただけなのに。

マーマが もし生き返ってくれたなら、マーマを死なせた俺の罪も帳消しになる。
そして 俺はマーマが生きてた頃みたいに、マーマの可愛い氷河に戻れる、マーマに愛してもらえるようになるって、勝手に馬鹿な夢を見て、その夢から目覚めさせてくれた人を逆恨みしただけ。
お姉さんも 馬鹿な子供に構わなきゃよかったって、今頃 自分の親切を後悔してるだろう。
そう思ってたのに――お姉さんは、あの薄着のまんまで、氷のつぶてが飛び交っている浜まで、俺を追いかけてきた。






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