ナターシャは、運動神経がよく、身体能力も優れている。 その上、勘もよくて、勇気もある。 恐れることなく氷に親しみ始めたナターシャは、最初は瞬に両手を引いてもらって、途中から片手だけを繋いで、リンクを一周し終えると もう、瞬の手助け無しでも 一人で立って滑れるようになっていた。 半分 一般人で、幼いナターシャでさえ、それほどの上達を見せたのである。 同じ時間で、氷河も、彼が見るべきものを見、学ぶべきものを学び終えていた。 少し離れたところで ジャンプの練習をしている中学生とおぼしき少女たちがいたので、その様を見て、ジャンプのコツを掴んだらしい。 「パパー!」 まっすぐ進むだけなら 一人でできるようになったナターシャが、氷河の胸めがけて――実際には、胸ではなく膝めがけて、滑ってくる。 そのナターシャを膝と手で受けとめて、氷河は早速、尻餅パパの汚名返上作業に取りかかったのだった。 「ナターシャ。瞬と、そこで見ていろ」 言うなり、その場に(垂直に)飛び上がって、くるくると回転してみせる。 そして、尻餅をつかずに着氷。 もちろん、これが 氷河の生まれて初めての氷上ジャンプである。 「何回転した?」 「4回半、かな。4回は回ったと思うけど、5回は回ってないね」 「一般人と同じレベルか……」 瞬の答えを聞いて、氷河は唇の端を僅かに引きつらせた。 『一般人と同レベル』が不本意らしい。 だが、瞬としては、ここで氷河に 本当に10回転されても困るのである。 不満顔の氷河を、瞬は微笑で なだめることをした。 「一般人は助走して、勢いをつけて飛ぶからね。垂直に飛んで4回転半できたら、十分だと思うよ」 「パパ、すごく速く くるくるしてたタヨ! パパ、かっこいい! パパ、すごいヨ!」 3回転ですら速すぎて数えられないナターシャには、4回 回れば もう十分。 4回も10回も、“数えられない”という点では、ナターシャには同じこと。 パパの尻餅に衝撃を受けたあとだっただけに、氷河の4回転半ジャンプに、ナターシャは大興奮だった。 「そうか。助走を入れてからなら、10回転はできそうだが」 「多分、人目のあるところで10回転はしない方がいいと思うよ」 既に、何人かの人間が、“何かが起こった”ことに気付いて、氷河たちを見ている。 10回転はしない方がいいという瞬の意見に、氷河も頷かないわけにはいかなかった。 尻餅パパの汚名を返上し、世界一かっこいいパパの座を堅持できたなら、氷河は それで満足だったのだ。 あとは家族サービスに精を出すだけである。 「パパ、パパ。ナターシャも ジャンプで くるくるしたい!」 というナターシャのリクエストに応え、ナターシャの身体を、捻りを入れて宙に放り投げる。 ナターシャの軽い身体は 空中で5回転して、氷河の腕に受けとめられた。 「ナターシャちゃん、すごい。氷河でも4回転半だったのに、ナターシャちゃんは5回転だよ」 「うむ。さすが、俺と瞬の娘だけある」 「わーい!」 パパとマーマに大絶賛されて、ナターシャは有頂天。 頬を紅潮させて、その場で ぴょんぴょん跳ねてみせた。 今日初めて履いたスケート靴を 普通の靴と同じに、あるいは、自分の足と同じに履きこなしてみせるナターシャは、確かに 氷河と瞬に称賛されるに値する天才少女だった。かもしれない。 「マーマ。マーマも くるくるできる? えっとね、飛ばないで くるくるするのが見たい。片方の足を、頭の後ろで掴んで、もう片方の足だけで くるくるするんダヨ!」 「昨日、ナターシャちゃんが見てた動画にあったね。キャンドルスピンとかいう……」 片方の脚を背後からのばして頭上に高く持ち上げて行なうキャンドルスピン。 瞬が30回ほど回って見せると、ナターシャは これまた大喜び。 なにしろ ジャンプの回転と違って、スピンは回転数を数えることができる――すごさの数値化が容易なのだ。 「すごーい。ナターシャも くるくるしたいー!」 「ナターシャちゃんには、まだちょっと難しいから、僕が抱っこして くるくるしてあげるよ」 ナターシャは 本当に“くるくる”が好きである。 瞬が右腕に座らせるようにしてナターシャを抱きかかえ、その場でスピンを始めると、ナターシャの興奮は最高潮。 「わあ、ナターシャ、目がまわるヨー!」 身長制限に引っ掛かるせいで遊園地の絶叫マシンには(まだ)乗ることのできないナターシャには、これが初めての絶叫マシン体験といっていい。 絶叫マシンに乗ることのできる身長になったら、ナターシャは大喜びで あちこちのマシンに乗りたがりそうである。 だが、ナターシャの身体は ちゃんと成長してくれるのか――。 そんなことを考えていたせいで、瞬は気付くのが遅れたのである。 広いアイススケートリンク上にいる約半分の人間が、スケートリンクにいるのに滑っていない――という事実に。 かなりの人間が リンクの外に出ている。 氷上にいる者たちも、瞬たちの周囲の利用者は ほとんどが その動きを止めていた。 「リンク整備の時間か?」 「そうなのかな。アナウンスはなかったと思うけど……。ナターシャちゃんの手がちょっと冷たいね。4回転の証明はしたし、あったかいココアでも飲みに行こうか?」 頬は紅潮しているのに、手指は冷たい。 昨今は、末端冷え性の幼児も増えているが、ナターシャを 安易に その同類と見なすことはできない。 瞬が 暖かい場所への移動を提案、その意図を酌み取った氷河は、瞬からナターシャの身体を受け取った。 「氷上のプリンより、氷原のキコーシだよ。パパ、かっこよかっタ! マーマ、綺麗だっタ!」 「今度、シベリアに行って、もっと広いところで滑ろう。シベリアでは、川や湖が凍って、あちこちに天然のスケートリンクができるんだ」 「そういうところは、氷がでこぼこで、スケートには不向きなんじゃないの?」 「なに、紫龍を連れて行って、天才少女ナターシャに ふさわしいリンクに整備させればいい。エクスカリバーで氷上を水平に撫で切れば、綺麗なリンクになるだろう」 アテナの聖闘士の力は そんなことをするためにあるのだろうか。 氷河は本気で 紫龍にそんなことをさせるつもりでいるわけではないだろうが、ナターシャに アテナの聖闘士の力の使い道を誤解されるのはまずい。 氷河をたしなめようとした瞬を、(そうと意図せず)止めたのは、ナターシャだった。 「そしたら、シベリア中の子供が スケートリンクで遊べるネ! きっと、みんな、大喜びダヨ!」 天才少女ナターシャは、黄金聖闘士に整備させた天然のスケートリンクを一人占めする気はないらしい。 ナターシャの優しさと寛大に免じて、瞬は氷河を叱るのをやめたのである。 ナターシャ自身は気付いていないが、氷河は、自分がナターシャによって守られたことに気付いていた。 助けてもらった恩は、返さなければならない。 リンクを出て 外苑のイチョウ並木の入り口にあるカフェに入った氷河は、瞬に反対される前に、クリームたっぷりのキャラメルミルフィーユパンケーキを ナターシャのためにオーダーしてやったのだった。 |