「おまえたち、指名手配されているぞ」
と、紫龍から連絡が入った時、瞬は、せめてそれを あと2日早く知らせてほしかった――と、思ったのである。
紫龍から連絡を受けた時、指名手配犯は既に、お上に(?)見付かったあとだったから。

自分たちも、『違法動画は、動画サイトを管理運営している会社が削除してくれているだろう』という考えのもと、著作権や肖像権のことは深く考えずに利用しているので、動画サイトに文句を言うことはできない。
――とは思った。
ナターシャは、あまり画質はよくないが、色々な角度から撮影(盗み撮り)されたパパとマーマと自分の動画を幾種類も見ることができて大喜びしていたので、瞬も、動画サイトの管理運営会社にクレームを入れるつもりはなかった。
クレームを入れたり、法的手段に訴えたりするつもりはなかったが、丁寧に削除依頼は出そうと思っていたのである。

『MJGスケートリンクで、すごいの見た! 超絶美形天才家族!』
『氷上のロイヤルファミリー IN MJGスケートリンク』
『MJGスケートリンクで奇跡に遭遇』
『尻餅のあとの垂直4回転アクセルジャンプ!』
『娘(幼女)も天才か !? イケメンイクメンパパと幼女ペアの空中5回転!』
『リプニツカヤでなくてもできたキャンドルスピン! しかも30回超! しかも子持ち! しかも超美形!』

このスクープ映像の前には個人の肖像権など存在しない! と言わんばかりに、好き勝手なタイトルを付して公開されている動画の数々。
それらは、動画サイトのトップ画面にある“人気急上昇 お薦め動画”“話題の動画”のコーナーに自動的に表示され、閲覧数は秒刻みで増えていた。
閲覧しているのは日本人だけではないらしく、コメント欄には、英語、フランス語、ロシア語、中国語等が入り乱れ、混在している。
氷河の尻餅シーンの動画があることから察するに、氷上のロイヤルファミリーは、氷上で奇跡を起こす前から、複数の人間に注目され、盗み撮りされていたのだ。
とんでもない話だった。

しかも、それらの動画を見た中に、氷河の店の客や 光が親病院を利用したことのある病人たちがいたらしく、店や病院の宣伝になるとでも思ったのか、瞬たちの素性を得意げにコメント欄に書き込んでくれたらしい。
おかげで、昨日から、瞬たちの許には、有名無名大小さまざまのスケートクラブから、ひっきりなしに 面会を求める電話やメールが入っていた。
中には、動画の真贋(編集が加えられていないかどうか)を確かめるために、アポイントメントも取らずに、直接 マンションに押しかけてくるスケートクラブの人間もいた。

それが、一人や二人ではないのである。
一人や二人ではないどころか、三人か四人でもなかった。
現在の日本国では、フィギュア・スケートが それほど大きな経済効果をもたらすスポーツであるということなのだろう。

せっかく疑ってくれているのだから、押しかけて来た無礼者共に、
「無論、編集だ。素人に、あんな真似ができるわけがないだろう。常識で考えろ」
と言いたかったのである。氷河は。そこに ナターシャがいさえしなければ。
だが、氷河には言えなかった。瞬にも言えなかった。
ナターシャの前で、嘘をつくわけにはいかないから。
そして、ナターシャは、途轍もなく正直で、率直で、純真な子供だったのだ。
「パパは氷原の貴公子ダヨ! 金メダルも取るヨ! 世界チャンピオンにもなるヨ! ジョソーすれば、10回転もアサメシマエなんダヨ。ねっ、パパ」
「……」

うちのパパは世界一と信じているナターシャに、“純真”を目にしたような目で見詰められ、『ねっ、パパ』と言われてしまった氷河が、
「む……無論だ」
という答え以外の答えを返せると思う人間がいたら、それは“本当に純真な子供”に出会ったことのない人間である。
純真な子供というものは、黄金聖闘士以上に強大な力を持つ、恐るべき存在なのだ。
なにしろ、地上世界で最も強い人間の一人であるところの黄金聖闘士に、つきたくもない嘘をつかせ、暴露したくない真実を暴露させてしまうほどの力を有しているのだから。

氷河は、もちろん、純真なナターシャの前に敗北を喫した。
これ以上ないほど見事に、完全に負け、
『ねっ、パパ』
と、笑顔でパパの首肯を求めるナターシャに、
『うん。もちろんだよ(意訳)』
と答えてしまった。

だが、氷河の本音は、
「ジャンプして回転するだけなら、5回転でも10回転でもやってやるが、フリルだのレースだののひらひらの服を着て、かぼちゃパンツを穿いて、曲に乗って、てれてれ踊るなんて、そんな恥ずかしい真似ができるわけないだろうっ!」
だったのだ。
その本音を、氷河は、ナターシャに聞こえぬよう、瞬に耳打ちすることしかできなかったが。

かぼちゃパンツは、中世ヨーロッパの王子様のイメージからの連想なのだろうか。
氷河がフィギュアスケーターに抱いているイメージは、それだけで立派に名誉棄損になりそうだった。
「昔は、氷河も踊ってたのに」
「踊っとらんっ!」
「でも、ナターシャちゃんが期待してるし」
「瞬! 何とかしてくれっ! スキーやスピードスケートなら、金メダルを取って 世界チャンピオンにでもなってやるが、フィギュアだけは駄目だ。かぼちゃパンツなんか穿かされたら、それだけで 俺は悶絶死してしまう……!」

かぼちゃパンツ着用ごときで悶絶死とは、随分と繊細な黄金聖闘士もいたものである。
かつては 白鳥座の あのヘッドパーツを平然と装着していた鉄の剛毛付き心臓の持ち主の、この弱音、この弱気。
これは進化なのか退化なのか。
瞬は、その判断に迷ってしまったのである。

それは ともかく、さておいて。
実際問題、フィギュアスケートという競技は、10回転ジャンプができて、キャンドルスピンができれば世界チャンピオンになれるというものではないだろう。
レースやフリルやかぼちゃパンツは着用しなくてもいいだろうが、音楽に乗って 情感たっぷりに何かを演じる――表現する――という行為自体が、“クールこそ、男の美学”と思い込んでいる氷河には、そもそも 実現不可能なことなのだ。

部屋にあげるわけにはいかなかったので、マンションのエントランスホールに留まっていてもらった各クラブのスカウトたち相手に、ナターシャは、パパが氷原の貴公子なことや、朝ご飯の前なら10回転ジャンプを飛べることや、シベリアに広いスケートリンクを持っていることを 熱弁している。
ナターシャは、パパを自慢できることが嬉しくて たまらないのだ。
「朝ご飯を食べたあとでも、パパは8回転くらいなら、簡単にできると思うヨ!」
ナターシャのパパ自慢には、そろそろ 希望的観測が混じり始めていた。






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