某有名幼稚園の正規のお受験は、昨年11月前半に実施されたらしい。
まず一斉に筆記の適性検査。
後日、各家庭ごとに順次、実技試験と家族面談。
正規のお受験は、筆記試験から家族面談まで2週間もの間があった家族もあったらしいが、補欠試験は筆記試験と家族面談を一日で行なう強行スケジュール。
反対運動の一因としてマスコミに取り上げられている渦中の幼稚園なので、補欠募集は 極秘に行なったらしいが、欠員2名のところに応募者30名。
つまり、競争率は15倍。
ナターシャの生まれて初めてのお受験は、なかなか熾烈な戦いになりそうだった。


試験当日。
午前中は、筆記試験と実技試験。家族面談は午後。
さすがに筆記試験に両親が付き添うことはできないので、その間、受験生の親たちは、この幼稚園の保育の特色と、某有名小学校との連携についての説明を受けた。
園長が、某有名小学校に入学する最短で最も確実な道は この幼稚園に入園することである――というようなことを得意顔で説明している間、氷河は もちろん寝ていた。
氷河が すこやかに 呑気に居眠りをしていた時、ナターシャは筆記試験会場で、パパとマーマの名誉のために、必死に生まれて初めてのテスト問題と格闘していたというのに。

午前中の適性検査は、内容的には知能テストだったらしい。
“知能テスト”、“学力テスト”と表記することが許されないので、適性検査と呼んでいるのだろう。
図形問題、記号問題、文章問題等、発想力や思考力、記憶力を確かめる問題が出題されたらしい。
「問題は どれも簡単だったけど、数が多くて、ナターシャ、あせっちゃったヨ!」
というのが、ランチタイムのナターシャの報告。
その手の知能テストは、時間内に回答し切れない数の問題を出すので、問題を簡単と感じたのなら、全く受験勉強をしていないにもかかわらず、ナターシャは それなりの得点が期待できそうだった。

実技試験は、例年の正規のお受験では、実物を見せずに、動物や遊具の絵を描かせたり、粘土で作らせたりするらしいのだが、今年の補欠お受験の課題は、時短のためか、『好きな歌を1曲、伴奏無しで歌う』。
ナターシャは最初、星矢に教えてもらった歌と『靴が鳴る』のどちらを歌おうか悩んだそうだった。
だが、星矢に教えてもらった歌は難しいので、幼稚園の人たちには わからないだろう。
『靴が鳴る』は、パパとマーマと手を繋いで歌うのでなければ、歌っても 詰まらない。
――と考え、最終的に、ナターシャは『手のひらを太陽に』を歌ったらしい。

『手のひらを太陽に』は、ナターシャが最近覚えたばかりの持ち歌で、『ミミズだって、オケラだって、アメンボだって』を『ミミズだって、オケラだって、ナターシャだーってー』と替え歌にできるところが、ナターシャのお気に入り。
もちろん、ナターシャは替え歌の方を歌った。
「手―のひらを太陽にー透かしてみーれーばー のところはね、お部屋の中だったから、電気をお陽様の代わりにしたヨ!」
と報告してくるところを見ると、ナターシャは いつも通り、身振りつきで歌ったらしい。

それを“元気”と判断されるのか、“落ち着きがない”と判断されるのかは、瞬にも わからなかったが、ナターシャは自分の発表に満足そうだったので、瞬も嬉しかった。
ナターシャにとって お受験は、いつもとちょっと違うレクリエーション。
その程度の感覚で楽しんでいるイベントなのだ。
ぴりぴりしている保護者たちのせいで すっかり委縮しきっている他の子供たちに比べると、ナターシャ一人だけが楽しそうで、瞬は申し訳ないような気持ちにさえなっていたのである。
そんな瞬にも、午後の面談では、よその家の子供たちに申し訳なさを感じているような余裕は持てなかったが。

今回の お受験の合否のネックになるだろうと言われていた家族面談。
どうあっても合格したいというわけではないのだが、瞬は ひどく緊張していた。
もっとも、瞬のその緊張は、面談そのものではなく、氷河に対する緊張――つまり、面談の面接官の質問に(自分が)おかしなことを答えてしまうのではないかという不安ではなく、面談で氷河が何事かをしでかしてしまうのではないかという恐れから成る緊張――だったのであるが。






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