そうして、消えかけていた黄泉比良坂に残っていた 最後の人間の姿は消えたのである。 華の死と共に、鎮の姿もまた 黄泉比良坂から忽然と消え、今 ここにいるのは――ここにやってこれるのは、冥界と現世の境界を自由に行き来できる力を持つ蟹座の黄金聖闘士と、アテナの血とハーデスの力の残滓によって、生きたまま死者の世界に存在することのできる乙女座の黄金聖闘士だけ。 黄泉比良坂は、今こそ 本当に、命のかけらすら 落ちていない茫漠とした空虚になってしまっていた。 「成仏したのか、諦めたのか……」 何もない虚空を見やり、デスマスクが ぼやく。 瞬が瞼を伏せると、彼は、やれやれというように、両の肩をすくめた。 「その しけたツラをどうにかしろよ。あいつらは、幸せになったに決まってるだろ。こっちの親切を無視して、自分のしたいようにしたんだ。あの馬鹿女が消えたタイミングで、男の姿も消えたってことは、今も二人は一緒にいるんだろうし」 「デスマスクさん、優しいですね」 悲しくて切なくて、デスマスクが優しすぎて泣きたい。 そして、つい 吹き出しそうになる。 デスマスクは、半分 笑っている瞬に そう言われ、むっとした顔になった。 「おまえを慰めようなんて殊勝な気持ちで言っているわけじゃないぞ。俺は事実を言っているだけだ。生きていることだけが幸せとは限らない。好きな奴がいないんじゃ、生きてたって 詰まらんだろう」 「ですが、生きていさえすれば……」 「好きな奴がいてこそ――と考える奴もいる。これは、理屈じゃない」 「……ええ」 共に生きていても、側にいることの許されない人間関係があることは、瞬も知っている。 人間は、生きていればいいというものではない。 心と身体と時間と場所と社会的な立ち位置。 すべてが揃った恋人たち、すべてが揃った人間関係。 それは、それこそ奇跡と呼ぶにふさわしい邂逅にして僥倖なのだ。 「好きな奴と同じ世界に生きていられる おまえは、恐ろしく恵まれていて、幸せな人間なんだ。おまけに、おまえは 好きな相手から愛されている」 「……」 まさか ここで、『あなたは片思いでも、彼女と出会えただけでも幸せなんですか?』と訊くわけにはいかない。 もちろん、瞬は訊かなかった。 デスマスクの言う通り、自分は 恐ろしく恵まれた幸福な人間なのだ。 幸福な人間は、慎重に振舞わなければならない。 そうしなければ、気付かずに 周囲の人を傷付けかねない。 瞬は、もちろん訊かなかった。 「そうですね」 瞬は、ただ微笑んで――ただ微笑むだけで済ませた。 |