「すみません。口の利き方がなってなくて。あ、えと、ところで、そこの窓辺に立っている、あの男の子は誰ですか」 「は?」 「あの子、まだ 10歳にもなってませんよね。学校はどうしているのかと思って……」 瞬は、氷河の無礼をごまかすために、話を脇に逸らした――つもりだったんだろう。 だけど、恰好ばかり気にしている双子の王子に代わる人材を求める発言のすぐあとで 僕に言及するのは、ものすごくまずいよ、瞬。 「彼がどうかしましたか」 予想された質問にも適切な答えを返せない無能役人が、予期せぬ質問に、まともな答えを返せるはずがない。 「いえ。どうかしたというのではなく、娘が気になっているようなので」 「ナターシャ、あのお兄ちゃんと お友だちになりたいノ。お利口さんで、しゃきしゃきしゃきーん」 氷河が むっとする。 三役人は、『しゃきしゃきしゃきーん』の意味が わからず、ごまかし笑い。 読んでも詰まらなそうだから、三役人は僕の思考読み取りの遮断対象だが、三役人が瞬の質問に答える気になったのは、“瞬が本当に知らないから”のようだった。 “知っているのに、わざと訊いた”のではないから。 それに、隠したって、いつかは ばれることだもんな。 「あれは、クロリス殿下です」 「殿下? 王室の一員なんですか?」 「国王陛下のご子息です。双子の王太子殿下の腹違いの弟君になります」 「なにぃ !? 」 これには、氷河も驚いたみたい。 まあ、驚くだろうね。 「腹違いの――王子様なんですか」 「しゃきしゃきのお兄ちゃん、王子様なのッ !? 」 ナターシャちゃんが嬉しいのは、自分が気に入った しゃきしゃきのお兄ちゃんが王子様だったからではなく、 [ ヨカッター! 沙織サンは 嘘つきじゃなかったヨ! ] だから、みたいだった。 そんなところに嬉しさや喜びが転がってるなんて、僕は考えたこともなかったよ、ナターシャちゃん。 「年長ってことを考慮してもだ。双子兄貴たちが あんなところで衆目を集めて ちゃらちゃらしてるのに、弟の方は人目を避けるように部屋の隅にいる――というのは、あのガキの母親が正妻じゃないとか、後妻で出自が怪しいとか、そんなところか」 氷河が、ずけずけ ぬけぬけと、言いにくいことを 平気で言ってくれる。 三役人の中の産業省が、あまりの的外れに虚を衝かれて(?)、うっかり事実を口にしてしまった。 「逆です。クロリス殿下の母上は正妻、歴とした王妃陛下。前国王陛下のご息女で、王女様でした。現国王陛下の方が傍系で、王女様の夫に迎えられ、国王になることができたんです。つまり、本家に婿養子に入った。双子王子の母親の方が愛人で、アメリカの女優崩れだ」 仕事仲間しか聞いていないと油断して、産業省は言いたい放題。 外務省が、慌てて 間に割って入る。 「クロリス殿下の母上様は、前国王陛下の一人娘で、我が国で最も高貴な姫君でした。現在の国王陛下とは 又従兄妹同士になります。先の国王陛下が その才能を見込んで ご息女の夫に迎え、ために、現国王陛下はルリタニアの国王となることができたのです」 言い方を変えても、事実は一つ。 我が父は、ルリタニアの王位に就くために、我が母と結婚した。 二人は政略結婚の夫婦。 そういうことだ。 父は、王位欲しさに、愛していない女と結婚したんだ。 「陛下には、王妃様とご結婚する前から お付き合いのあった恋人がいました。アメリカの売れない女優で、当然、平民です。二人の間にはお子様もいて――それが、双子の王子殿下。しかし、国王陛下は先王の王女様と結婚し、やがて クロリス殿下が生まれて、それで安心されたのか、先王は崩御された。娘の産む世継ぎの顔を見るまでは死なぬとおっしゃっていた先王は、まさに その願いが叶った3日後に崩御されたんですよ。ところが、先王が亡くなり、現国王が即位すると、それまで潜んでいた愛人が、表に出てきた。王の子であることに変わりはないのに、庶子だからといって 王子として下に見られるのはおかしいと、彼女は 差別撤廃を訴え始めた。10歳も年上の双子王子の方が、庶子とはいえ、王国のために働くことができると言い出したんです。皆様の目には、ちゃらちゃら写真を撮っているだけのように見えるかもしれませんが、実際、あれで 立派に 我が国の観光資源になっているんです」 外務省の取り繕いを、 「グラード財団との再生エネルギー共同開発プロジェクトの重要性は、全く理解してくれないが」 産業省が 腐す。 産業省は、別に僕派というわけじゃないんだ。 双子派ではないだけで。 「正妻の息子は、まだ ほんのガキで、海のものとも山のものともつかない。愛人の子供は 能無しで、しかも二人。現国王が亡くなれば、王子たちが王位を巡って、お家騒動勃発 待ったなし。沙織さんが心配するわけだ」 氷河が、心底から興味なさそうに ぼやく。 その興味のなさは、総務省の、 「クロリス殿下の母上は、先の国王陛下の一人娘で、文字通り お姫様育ちでした。人と争う術も知らないようだった王妃様が2年前に他界してからは、ただ一人の正嫡だというのに、クロリス殿下は既に存在していないような扱いを受けていますよ」 という言葉で揺らいだ。 [ 母親……亡くなったのか ] 氷河は、急に俺に同情的になった。 瞬は瞬で、そんな氷河の感情の動きを察知したように、切なげな微笑を浮かべる。 それから 瞬は、僕の名の由来を思って、気持ちを沈ませた。 クロリスというのは、女の名前だ。 14人もいた子供たちのうちの13人までを、アポロンとアルテミス兄妹に殺されたテーバイの王妃ニオベ。 彼女の たった一人の最後の生き残りの末娘の名がクロリス。 兄姉たちが次々に殺される様を見て、彼女は、クロリス(青ざめた顔の娘)となった。 母は、お祖父様亡きあと、二人の王子の母として登場し、正妃である自分より大きな存在感を示し始めた派手な愛人とその息子たちに殺されたりせぬようにと願いを込めて、僕に そんな名前をつけたんだろうか。 訊く前に、母は死んでしまった。 もう訊けない。 父にも――。 父は僕を愛しているのか、疎んじているのか。 そして、父は母を、母は父を愛していたのか、憎んでいたのか。 人の心を読める僕が、恐くて読めない。 母が亡くなっても、愛人を正妻に迎えないのは、母に義理立てしているからか――少しでも、母を愛していたのか。 それとも、単に、あの愛人に王妃は務まらないと考えてのことか。 僕は恐くて読めない。 僕は世界一の臆病者だ。 |