[ 絶対の味方である母親を亡くして、ただ一人 頼れるはずの父親は 愛人に取り込まれているのか、全く 頼りにならず。 いや、頼りになる、ならない以前の問題か。もうずっと 病の床に就いていて、へたをすると死にかねない。 [ 今 快癒しないまま 父親が死んだら、正嫡だが、このガキは この国の王にはなれないだろうな。 王位に就くことは可能かもしれんが、この歳で親政は無理。 多分、愛人あたりがクレームをつけてきて、繋ぎの王で構わないから 自分の息子を王にしろと言ってくる。 だが、一度 王座を手にしたら、愛人親子は 正嫡が成人しても、王の地位を手離したりすまい。 ところが愛人側も、国王候補は二人いて――正妃を脇に追いやった母親の やり口を見ていれば、自分の権利を主張はしても、相手に譲ることはしないだろう。 [ いちばんいいのは、このガキが成人するまで、あと10年ほど 現国王が生きていてくれること、か。 無論、このガキの出来がいいことが大前提だが、このガキ、あの ちゃらい双子王子共よりは利口そうだ。 暗いのが気になるが、俺だって、マーマを亡くしてから瞬に出会うまでは 自閉症と思われていたくらいだし、そんなのは出会い次第で どうとでもなる。 現国王だな、問題は ] “いちばんいいのは”――って。 ルリタニアのお家騒動になんか、まるで興味なさそうだったのに、氷河は どういうわけか、僕にとって いちばんいい展開を考え始めてる。 なぜだ? 母を亡くした子供っていうのは、それほど同情されるべき存在なのか? 僕の母様が亡くなった時――愛人に大きな顔をされても、愚痴一つ言えない正妃が亡くなった時、あの愛人親子は すっかり心を安んじて、僕に同情する振りをしようとしても、笑いを隠せないありさまだったけど。 氷河は、僕への同情も見事に隠し通している。 変な話だ。 彼の無表情が、冷たく見えなくなってきた。 [ 氷河がマーマを亡くしたのは、6歳になって まもない冬の終わり。 王子様なら、飢えて死んだり凍え死んだりすることはないだろうけど、大好きなマーマを失った気持ちに、庶民も王子様も変わりはないよね。 両親の顔を憶えていない僕の方が、そういうことでは 氷河よりずっとドライだ。 母親を失うことが どんなに悲しいことなのか、僕は氷河に教えてもらったようなものだし……。 [ 氷河は、クロリスくんの味方をするだろうな。 双子の王子様たちは、どうしたって 氷河が嫌いそうなタイプだ。 でも、彼等は彼等で、彼等にできることを一生懸命しているんだろうし――グラードとルリタニアの共同開発プロジェクトの重要性を理解してくれないのは困りものだけど。 [ クロリスくんの幸福は何なんだろう。 クロリスくんの望みは何。 ルリタニアの王になりたい? 正嫡として、正当に遇してほしい? まさか、シンデレラ姫や白雪姫の物語みたいに、自分と自分のお母さんを ないがしろにした人たちに相応の報いを与えたいなんて、そんなことを望んではいないだろうけど……。 [ 子供が―― 子供に限らず、大抵の人間は、たった一人でもいいから、誰かに心から愛されていることを信じていられれば、それだけで幸せでいられるものだけど、彼のお父さんは、自分が自分の息子を愛していることを、ちゃんとクロリスくんに伝えているんだろうか。 伝えていないのかもしれない。 伝えられていたら、クロリスくんは、あんなに乾いた目をしていないはずだもの ] 僕を愛していることを、父がちゃんと僕に伝えているか? どうして 父が僕を愛していること前提なんだ。 王位を得るために好きでもないのに結婚した女との間に生まれた子供なんて、愛してなんかいないに決まってる。 父には、誰かに強いられたわけじゃなく、自分が選んだ女と その女に産ませた息子たちがいるんだから。 僕が、意地悪な継母が その意地悪の報いを受けることを望んでいないって決めつけるのは、どうしてだ? 望んでるよ。 もちろん、そうなればいいと望んでる。 僕の幸せが何なのかなんて、そんなことは 僕にはわからない。 でも、僕の望みが何なのかは わかってる。 母様が生き返ることだ。 けど、それは――その望みは叶わないから――僕は、この国の王になりたいんだ。 そして、父が母様から得たものを この手に取り戻して、愛人親子の野心を挫いて 留飲を下げる。 それしかできないから、それをする。 それで 僕が幸福になれなくても、そんなことは どうだっていいんだよ! 氷河より瞬の方が公平で公正で、人間として ずっと上質なことは わかっている。 氷河は 僕の得になることを考えていて、瞬は 僕が幸福になることを望んでくれているんだ。 どっちが真の意味で 僕のためを考えてくれているのかは、僕にだって、そんなことは わかっている。 でも 僕は、瞬に対して腹が立つ。 氷河のことは、『意外と いい奴なのかもしれない』と思ったけど、瞬に対しては、『綺麗で正しいことが いいことだとは限らない』と、腹が立った。 そして、僕は 氷河と違って子供だから、自分が激していることを隠しきれなかった。 「お兄ちゃん」 激して――いつのまにか、僕の目の前にナターシャが来たことに気付いていなかった。 いつのまにか、ナターシャちゃんが僕の前に来てた。 「しゃきしゃきしゃきーんの お兄ちゃん。意地悪お兄ちゃんたちに いじめられてるの? シンデレラ姫みたいに? だったら、ナターシャのおうちにくればいいヨ。ナターシャのおうちは、パパはカッコいいし、マーマは優しいし、ナターシャも いい子ダヨ。みんなで、毎日 楽しく暮らすんダヨ」 「ナ……ナターシャ……ちゃん……?」 外務省、総務省、産業省が、無邪気な女の子の無邪気な提案に、全身を凍りつかせている。 正嫡が 意地悪な継母と その息子たちにいじめられて 国から逃げ出した――なんてことになったら、外聞が悪くて、国の立場がないよな。 さすがに、僕も そんなことはしないよ。 ナターシャちゃんは無邪気だけど、ナターシャちゃんのマーマは常識家みたいだし。 瞬が、僕とナターシャちゃんの方に駆けてきて、ナターシャちゃんを抱き上げた。 「マーマ! ね、そうすればいいヨネ。お兄ちゃんは ナターシャたちのおうちに来ればいいヨネ!」 大真面目な顔で言うナターシャちゃんに、瞬も大真面目な顔で――笑いに 紛らわせずに――答える。 「そうだね。そうできたら、ナターシャちゃんは お利口なお兄ちゃんができて嬉しいね。だけど、それは、お兄ちゃんや お兄ちゃんの世界の本当の解決にはならないんだよ」 「エ?」 「シンデレラ姫が ナターシャちゃんのおうちに逃げてきたら、シンデレラ姫の王子様はシンデレラ姫に会えないし、意地悪な継母とお姉さんたちは 永遠にシンデレラ姫に『ごめんなさい』を言えなくなる。それは 本当の めでたしめでたし じゃないんだ。わかるでしょう?」 「……」 ナターシャちゃんは、シンデレラ姫が自分の家に来た時に、シンデレラ姫以外の人間がどうなるのかを想像して――そして、マーマの言うことが正しいと得心したらしい。 「ウン……」 小さく頷いて、ナターシャちゃんは、マーマの首に両腕をまわして ぎゅうっと しがみついた。 そんなナターシャちゃんの背中を ぽんぽん叩いてから、瞬は、三役人とグラードの視察団の方に向き直った。 「皆さんは、会議室の方に移動して、プロジェクトの擦り合わせ作業の方に取り掛かってください。僕たちは、総帥に頼まれてきた仕事があるので、そちらを片付けます」 「は?」 こちらと思えば、次の瞬間には こちら――といった具合いに、話が急旋回を繰り返すので、三役人は ついていけずにいる。 別の案内人を呼ぼうという三役人の提案を、瞬は にっこり笑って辞退した。 「案内は不要です。王宮の一般公開されているフロアを見学させていただくだけですから」 [ そのついでに、国王陛下に会って、話をするだけです ] |