「まあ……!」
エスメラルダは、瞬の報告を聞いて、瞬の努力が報われたことを我が事のように喜んでくれた。
エスメラルダは、おそらく、それが自分のことではないから、瞬の成功を心から喜べるのだ。
エスメラルダは、そういう少女だった。
「おめでとう! 瞬ちゃんなら きっと、なりたいものになることができると信じていたわ。瞬ちゃんは、これからも ずっと、自分の願いを叶え続けるでしょう。いつか肉親を探し当てることも、きっとできる。瞬ちゃんは強いもの。きっと……きっと……」
『私には無理』と思っても、エスメラルダは それは言葉にしない。
瞬の喜びに水を差さないために。
エスメラルダの そんな気遣いがわかるから、エスメラルダの力になることを、瞬は ためらわなかった。

「エスメラルダさんは、これから ゆっくり女王としての力を養っていけばいいんだよ。とりあえず、今回のエティオピア国王との対面の場は、僕が何とかする。大丈夫」
「でも、そういうわけには――」
「国王に謁見となったら、どうせ長いマントつきの長衣を着ることになるでしょう? 体型は完全に隠れるから性別なんて わからない。エティオピア国王がエスメラルダさんの顔を知らなくても、エティオピア側の誰かは、戴冠式でのエスメラルダさんの様子を憶えてるよ。エスメラルダさんは綺麗だもの。きっと誰かが記憶してる。向こうがエスメラルダさんの顔を知ってくれてる方が好都合だ。僕が行っても、偽物だとは気付かれない。エティオピア軍の船に行って、王に挨拶して、殺されずに帰ってくればいいんでしょ? 簡単簡単」

エスメラルダを安心させるためだけではなく――瞬は本当に それを簡単な仕事だと思っていた。
瞬はエティオピアの国王など恐くはなかったし、エティオピアの大船団も恐くはなかった。
着衣をすべて剥ぎ取られでもしない限り、女王の偽物だと気付かれる可能性もないと思っていた。
エティオピアの兵が待ち構えている船に乗り込み、エティオピア国王に挨拶をし、生きて帰ってくる。
何らかの手違いで その計画が破綻しても、エスメラルダの命は守られるのだから、問題はない。

「でも、危ないわ。エティオピアの船1隻に兵士が300人 乗っていたとして――」
「300人くらい、軽く のしちゃうよ。剣や弓は僕には通用しないし」
「でも……」
エスメラルダは、自分が負うべき危険や試練を 他人に肩代わりさせ、自分は安全な場所にいることで安心していられるような人間ではない。
自分の代わりに誰かを苦しめるくらいなら、自分が苦しんだ方が つらくないと考える人間なのだ。
エスメラルダの そんな性格を知っているから――瞬は、この身代わりの対面には、身代わりになる側の人間にも益があるのだということを、エスメラルダに告げたのである。

「これは、エスメラルダさんのためにというより、僕自身のための提案なんだ。僕、あの船の中に会いたい人がいるんだよ。名前もわからない人なんだけど……その人が誰なのかを知りたい」
「会いたい人……?」
エスメラルダが疑わしげに首をかしげたのは、瞬の言う『僕自身のため』が、窮地に立つ非力な女王のための嘘なのではないかと疑っているからだったろう。
他者への気遣いが過ぎるエスメラルダに、瞬は小さく嘆息した。
それから、力強く頷く。

「うん。エティオピアの船団がデスクィーン島の沖に姿を現した翌日に、アンドロメダ島の北側の浜に、見知らぬ人が流れ着いていたんだ。多分、エティオピアの船から、小舟を使わずに、泳いできたんだと思う」
「それは、あり得ないわ」
エスメラルダが言下に、それは あり得ないと決めつけたのには、もちろん理由がある。
現在、エティオピアの船団とデスクィーン島とアンドロメダ島は、東から西に向かって並んでいる。
エティオピアの船からアンドロメダ島の北側の浜に行くためには、デスクィーン島の北の海域を ぐるりとまわって、更に進まなければならない。
距離もあるが、デスクィーン島とアンドロメダ島の北の海域は 巨大な鯨の化け物ケートスの棲み処でもあるのだ。
北の海域に流されてしまった船や その乗員を何十隻、何百人と、海の底に沈めてきた縄張り意識の強い化け物のテリトリーの上を突っ切らなければ、エティオピア軍の人間は アンドロメダ島の北の浜に辿り着くことはできないのである。

「浜で見付けた時、その人は ひどい怪我をしていた――」
つまり、彼は、海獣ケートスに襲われたのだ。
にもかかわらず、死ななかったのである。
「聖闘士になれたら、僕がしようとしていたことを、先にされてしまったんだ。彼はケートスを倒した」
最初に彼を浜で見付けた時は、見知らぬ怪我人に驚き、その手当てに気を取られて、怪我の理由にまでは 全く気が回らなかった。
常人であれば、動けるようになるまで1週間、完治には1ヶ月もかかるほど深刻な怪我だったのに、2日ほどアンドロメダ島で過ごして、ほぼ元通りに動けるようになった彼は、
「改めて、礼に来る」
と言い残して、姿を消してしまった。

彼がエティオピア軍の船に乗って この海域に来たらしいこと、彼が海獣ケートスを倒したらしいことに、瞬が気付いたのは、彼がアンドロメダ島を立ち去ってから。
怪我の理由にも気が回らないほど、怪我人の手当てに夢中になっていた瞬は、エティオピアの船団がやってきて デスクィーン島の港近くに陣取っていることすら 知らずにいたのだ。
瞬は、彼に会って、聞きたいこと、確かめたいことがあった。
そのために、エティオピア軍の船に乗り込みたかったのである。
「無理を言っていることはわかってる。でも、僕は、どうしても もう一度、彼に会いたいんだ。あのケートスを倒したのは本当に彼なのか、どうやって倒したのか、なぜ倒したのかを確かめたいし……僕、彼の名前も聞いてない。僕、もう一度、彼に会いたいんだよ!」

海獣ケートスのことは、本当はこじつけだった。
彼に もう一度会いたいという気持ちは真実のものだったが、その理由は、『なぜか彼が気になるから』だった。
それ以上でも、それ以下でも、それ以外でもない。“彼が気になるから”。
いずれにしても、瞬が彼にもう一度 会いたいのは、自分のためで、エスメラルダのためではなかった。
自分の望みを叶えることが エスメラルダの役にも立つのなら、渡りに船だとは思ったが、ともかく 瞬は自分のためにエティオピアの船に乗り込みたかったのである。
それがわかったから、エスメラルダは瞬の提案を聞き入れてくれたのだろう。


艀舟に乗ることのできる護衛は4人だけ。
長いマントのついた長衣。
身代わりを立てたのではないかと疑われることを避けるため、あえて 顔は隠さなかった。
それでも、エティオピア国王の待つ帆船に向かう瞬を エスメラルダ女王ではないと気付く者は、デスクィーン王国側の人間の中にも ただの一人もいなかった。






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