術後の経過確認のため。これから2週間ほど、瞬は城戸邸には帰らず、グラードのメディカルラボの方で寝泊まりすることになった。
ラボの研究員たちは、睡眠中の瞬のAIチップの働きを確認したいらしい。

瞬はラボに残り、星矢、紫龍、氷河は、沙織にラボに来るよう言われた時 同様、三人だけで 城戸邸に帰ることになった。
酒でも飲まないことには やっていられない気分になったのか、沙織が準備してくれた車に 氷河は同乗しなかった。
学生の瞬が城戸邸在住のままなので、氷河も城戸邸を出ていないが、氷河は本当は何かと制約の多い城戸邸を出たいのかもしれない。

今回の事件が アテナの聖闘士たちの関係と環境に何らかの変化をもたらすのではないか。
星矢と紫龍は、その可能性を考えないわけにはいかなかったのである。
城戸邸に居住していない一輝も含め、瞬は、アテナの聖闘士たちを結びつける もやいのようなものだった。
瞬がいるから、瞬がいるところに行けば、皆が集まる。
皆が繋がっていることを確信できる。
天馬とも 龍とも 白鳥とも 鳳凰とも違う、唯一 翼のないアンドロメダだからこそ、自由に飛び回れる者たちは 瞬の許に帰っていくのだ。

その瞬が変わってしまったら――それでも、五人のアテナの聖闘士たちの関係は、これまで通りでいられるだろうか。
大雑把で鷹揚、細かいことは気にせず、詰まらぬことには頓着しない星矢でも、さすがに それは不安だったのである。


「氷河の奴もやりにくそうだな」
「瞬が、これまでは 何も言わずに自然にしていたことを、いちいち言葉にしたり、記憶域にアクセスして確認するために 一拍 間を置く、あの ぎこちなさが もどかしいのかもしれん。0.01秒の遅さや タイミングのずれというのは、1時間の遅刻より 神経に障るものだ」
「わかる」

車の運転手は、後部座席の二人の会話が聞こえていない振りができる。
聞こえていても、1時間の遅刻より、0.01秒のタイミングのずれが神経に障るアテナの聖闘士たちの感覚は、彼には理解できないだろう。
彼は、5分、10分の遅れに最も神経を使う世界で生きているのだ。
1日が24時間の人間、1日が1440分の人間、1日が86400秒の人間。
人の時計は、人それぞれである。

「あの二人、元通り くっつくかな」
「さて。嫌い合っていないのは確かだが、瞬は以前のパーフェクトな瞬ではないからな。瞬の完璧さは、子供の頃からの経験の蓄積が作ったものだ。出来はいいが 完璧ではない瞬に、はたして 氷河が耐えられるかどうか」
「氷河の方が瞬を拒むってのかよ?」
「振るとしたら、氷河の方だろう。瞬は、振る振らない以前。まだ氷河を好きになっていない。好きだったという記憶があるだけだ」
「んー……」
意図して だらしなく 座席から ずり落ちようとした星矢の身体を、シートベルトが きっちり阻止する。
仕方なく、星矢は 姿勢を正して、座席に座り直した。

「瞬は 優しくて綺麗で頭もよくて、我儘で甘ったれな氷河とは、人間の出来が違うじゃん。その瞬が、あの甲斐性なしの氷河の世話して、面倒見て、あれこれ尻拭いまでさせられてる。氷河が瞬に何かしてくれるわけでもないのにさ。だから 俺は、氷河と瞬は別れた方がいいって、ずっと思ってたんだけどさ」
「それで、瞬が幸せになれるとは限らん」
「そうなんだよなー……」

問題はそこなのである。
恋が、運や偶然やタイミングに大きく左右され、論理も利害も度外視したものであるように、人の幸福もまた、運や偶然やタイミングに大きく左右され、論理も利害も度外視したところにある。
氷河とは別れた方が、瞬の得になると思っていた星矢も、今は、元通りの二人になることが瞬の幸せなのではないかと思い始めていた。
なにしろ、氷河と共にいることは、パーフェクトだった頃の瞬が、自分で考え 判断して選んだ状況だったのだから。


それから2週間。
アテナの聖闘士たちが 聖闘士として活動する必要のない日が続き、彼等は 一般人並みに平和な日常を送ることができていた。
グラードのメディカルラボに機材を納めていた会社の営業社員が、ラボの研究員たちの話を漏れ聞いて、グラードの医療チームが 脳死をなくす試みに成功したらしいという発言を インスタグラムで公開し、契約違反の騒ぎが起きた他は、いたって平和。
瞬が生んでいた0.01秒のずれは、0.001秒にまで短縮されていた。






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