晴れた空。そよぐ風。 それが何かの歌の出だしだということは知っているが、何の歌なのかは知らない。 当然 続くフレーズを知らない星矢は、心の内で その歌を歌うのをやめた。 季節は初夏。 梅雨に入る前の短い夏。 空の青は 盛夏のそれほど 強い青ではなく、風も熱を含んではいない。 晴れた爽やかな日。 晴れて爽やかなまま終わるだろうと確信できる6月の ある日の昼下がりだった。 「マーマ、マーマ、見て! ナターシャ、足掛けまわりができるんダヨ!」 万歳をして やっと手が届く高さの鉄棒にぶら下がったナターシャが、両足を後方に ほぼ直角に曲げた態勢で、瞬を呼ぶ。 日曜日の昼下がり。 都立光が丘公園のちびっこ広場には、たくさんの親子連れがやってきていた。 ちびっこ広場だけで、子供が100人前後いるだろう。 芝生広場、昆虫原っぱ、クスノキ広場、ケヤキ広場、バードサンクチュアリ――光が丘公園全体の入園者となれば 数千人は超えている。 その数千人が一堂に会することになっても、その数千人の中で最も目立つ親子は この三人なのに違いない。 ナターシャはただ、鉄棒から数メートル離れた場所で 仲間たちと立ち話をしていて 自分を見てくれないマーマを呼んでいるだけなのに――ただ それだけなのに、ナターシャと彼女の保護者たちは周囲の人間の意識と視線を集めていた。 「足掛けまわり? ほんと?」 「ほんとダヨ。ナターシャ、今週 毎日 パパと特訓したノ。それで、昨日できるようになったノ」 「足掛けまわりは、逆上がりより ずっと難しいんだよ。小学生の大きな お兄さんやお姉さんだって、なかなかできないのに」 「ナターシャはできるんダヨ!」 今日は、パパとマーマだけでなく、星矢と紫龍も来ているので、ナターシャはいつにもまして張り切っている。 星矢と紫龍が今日、光が丘にやってきたのは、ナターシャに『光が丘に来て』とねだられたからだった。 とはいえ、それは、特訓を重ねて ついにできるようになった足掛けまわりを見てもらうためではない。 それもあったが、それだけではない。 ナターシャが星矢たちに見てもらいたいものは、他にあった。 先日、公園利用促進のために、東京都と練馬区、複数のNPO法人が主催して、光が丘公園を舞台にしたフォトコンテストが開催されたのだが、その家族の部で、氷河と瞬とナターシャの写真がグランプリを取ったのだ。 長く まっすぐなイチョウ並木を歩いている三人。 パパとマーマと手を繋いだまま、バック転をしたナターシャが着地を決めた瞬間の写真。 両腕を大きく左右に広げ、Yの字の形で着地したナターシャは、イチョウ並木の西から差し込む陽光の塊を掴み、支え挙げているように見えた。 光の効果。 重力に屈する直前、空中で絶妙な流線を描いているナターシャの髪の流れ。 着地を決めたナターシャを見詰めるパパとママの表情。 希望と愛と美しさ。 これこそ“光”が丘の名にふさわしいというので、その写真がグランプリに決定した(らしい)。 もちろん、写真を撮ったのは、氷河でも瞬でもない。 撮影者は、光が丘公園フォトコンテストの、家族の部ではなく自然の部に応募すべく、園内で写真を撮っていた40絡みの男性。 そして、撮影は無許可で行われた。 が、一生に一度 捉えられるかどうか わからない奇跡の瞬間を収めた傑作(と、彼は自分で言った)を このまま埋もれさせるに忍びなく、ついコンテストに応募してしまったらしい。 グランプリに決定の連絡を もらってから大慌てで、彼は瞬たちに撮影許可を求めてきた。 なにしろ、グランプリを取った作品は、ポスターにして公園内の施設や掲示板に貼り出されるだけでなく、都営大江戸線各駅の構内に設置されているモニターに映像広告として映し出されることになっていたのだ。 肖像権を無視して写真を撮り、許可も得ず コンテストに応募。 たとえ悪意がなかったとしても、瞬と氷河は その盗撮者に 写真撮影の事後許可を与えるわけにはいかなかったのである。 ところが、ナターシャが、 「パパの髪が お陽様の光を受けて きらきらダヨ。マーマは すごく優しい目をしてて、超美人さん! それで、ナターシャは超々カッコいい。お陽様を持ち上げてるみたいダヨ!」 といった調子で、その写真を大いに気に入ってしまったのだ。 「ポスターにされて、あちこちに貼り出されるのは恥ずかしくない?」 には、 「ナターシャは、パパとマーマと一緒で、鼻高々ダヨ!」 の返事。 「ナターシャちゃんが可愛いことを、今よりずっと たくさんの人が知ることになるから、誘拐犯がナターシャちゃんに近付いてきたりするかもしれないんだよ」 には、 「パパとマーマが守ってくれるから、大丈夫ダヨ!」 と自信満々。 ナターシャに そうまで言われてしまうと、瞬も氷河も強固に反対し続けることができなかったのである。 |