その写真が 昨日からポスターになって、光が丘駅のモニターや公園の掲示板に貼り出され始めたので、ナターシャは早速『見に来て来て』と(マーマに頼んで)星矢と紫龍を光が丘に招待し(てもらっ)たのだ。 『車じゃなく、電車で来てネ』 というナターシャの指示に従い、都営大江戸線で光が丘まで やって来た星矢と紫龍は、乗り込んだ新宿駅から光が丘駅まで すべての駅のホームの壁や柱に 氷河たちの写真が映し出され 貼り出されているのを見ることになってしまった。 終点の光が丘の駅では、『希望を掴める光が丘へ ようこそ』の文字データが表示される三人の巨大デジタル映像に出迎えられた衝撃に足をすくわれ、星矢は危うく そこで すっ転びそうになったのである。 ここまで露出が激しいと、顔の無い者も、闇に紛れて ひっそりと裏切者を粛清することは不可能――むしろ粛清する気も失せるのではないかと思わずにいられないほど、ナターシャは目立ちまくり。 ナターシャは、今や 光が丘公園のナンバー1アイドルだった。 そのナンバー1アイドルが、もっと自分を見てと、星矢と紫龍に要求してくる。 「星矢ちゃんと紫龍おじちゃんも、ちゃんと ナターシャを見ててネ!」 「見てるけどさー。ナターシャの身長じゃ、そもそも鉄棒に足掛けができないだろ」 「足掛けは パパが協力してくれるノ。パパ、行くヨ」 「ああ」 氷河は すっかり お姫様に仕える下僕である。 ナターシャの号令一下、彼は すぐに彼の仕事に取り掛かった。 両手でナターシャのウエストを掴み、その身体を鉄棒の高さまで持ち上げる。 ナターシャは両手でしっかり鉄棒を掴んで、右足を鉄棒に掛けた。 ナターシャの身体の重心が定まるのを確かめて、氷河がナターシャの身体を支えていた手を離すと、ナターシャは、 「ナターシャ、回るよーっ!」 の掛け声と共に、勢いをつけて上体を倒し、その勢いに乗って一回転。 彼女は 無事に、そして見事に、元の態勢に戻ってみせてくれた。 脇に立っている氷河が、ナターシャの身体に直接触れることなく、しっかりと補助している。 手を触れずに添えているのは、万一 ナターシャが失敗して鉄棒から落ちそうになった時のためのものだと、ナターシャには言ってあるのだろう。 実際、氷河は、ナターシャの一回転に 物理的に どんな力も加えていなかった。 ナターシャが ためらいなく勢いよく回転することができるのは、失敗してもパパが必ず助けてくれるという信頼ゆえで、氷河が すぐ横に立っていてくれなかったら、そもそも ナターシャの中には 鉄棒で遊ぼうという考え自体が生まれてこないに違いない。 一回転して、元の態勢に戻ったナターシャは、誇らしげにマーマに成功を報告してきた。 「ヤッター! マーマ、大成功ダヨ!」 初めてマーマに披露する足掛けまわりの一発大成功に、ナターシャはご機嫌だった。 オリンピックで逆転優勝金メダルを決めた体操選手のように興奮しているナターシャの歓喜に、星矢が水を差す。 「えーっ、でも、足掛けまわりの成就要件って、何よりもまず、自分の腕の力で 身体を鉄棒の高さまで持ち上げて片足を掛けることだろ。そこを氷河にやってもらうのは、どう考えたって、普通にズ」 『ルじゃん』と、星矢は言うことができなかった。 星矢が『ル』を声にする直前に、紫龍が星矢の口をふさいだから。 ほぼ同タイミングで、星矢が言いかけた言葉を打ち消すように、そして 星矢の姿を背後に隠すように、瞬が鉄棒の側に駆け寄っていく。 ナターシャは、鉄棒の上から氷河の腕の中に移動した。 「ナターシャちゃん、すごい。足掛けまわりはね、ほんとに難しいんだよ。勢いをつけて思い切り回らないと、元の位置に戻れなくて、コウモリみたいに逆さに鉄棒にぶら下がったままになっちゃう。勇気がなきゃ成功しない技だ。ナターシャちゃんには勇気がある!」 「うふふ。パパとの特訓の成果ダヨ。ナターシャは頑張ったヨ!」 成功が嬉しいのは、成功に至るまでに重ねた失敗と努力の記憶があるからである。 その記憶の上に築かれた成功体験を否定することは、たとえ正しいことでも益がない。 瞬が 星矢を ナターシャの視界に映らないように隠すのは、ナターシャのマーマとしては当然のことだったろう。 「うん、ナターシャちゃんは一生懸命頑張った。とっても立派だったね。でも、これは危険な技だから、必ず氷河か僕と一緒にいる時に挑戦してね」 成功体験は大事だが、自分の力を過信するのは危険である。 瞬が さりげなく注意を喚起すると、ナターシャからは、 「ハーイ。鉄棒は絶対に一人でやっちゃ駄目ダヨ。ナターシャ、知ってるヨ。パパかマーマが横にいてくれないと、スカートが 跳ね上がって ぱんつが見えるカラ、駄目だよって、パパが言ってタ。オシトヤカな れでぃはそんなことしないんダヨ」 という返事が返ってきた。 「さすがはナターシャちゃん。ナターシャちゃんは お淑やかで お行儀のいいレディだもんね。ナターシャちゃんが 氷河の言いつけを忘れない いい子で、僕も氷河も安心だよ」 瞬に褒められたナターシャの顔が、嬉しそうに ぱっと輝く。 ナターシャが嬉しいのは、“ナターシャが いい子だと褒められたから”ではなく、“パパの言いつけを忘れないナターシャが いい子だと褒められたから”である。 ナターシャにとって、“ナターシャが褒められること”は、そのまま“パパが褒められること”なのだ。 「いや、フツー、お淑やかなレディは スカートで鉄棒しないと思う」 星矢のコメントを、紫龍は今度は口をふさがず、深い溜め息で やめさせた。 「星矢。おまえ、そんな、びっくりするほど常識的なセリフを並べ立てて楽しいか? あんな絵に描いたように幸せそうな家族の図を見せられたら、大抵の人間は常識も非常識も忘れて、ひたすら ほのぼの にこにこするだけだ。そんな詰まらんことは、言わない以前に思いつかん。常識を求めすぎると野暮になるぞ」 「ふ……ん……」 長身美形の甘々パパと、美人で優しく聡明なマーマ。 その愛を一身に受け、明るく おしゃまに育っている、愛らしい娘。 幸福の神様も妬みそうな幸福な家族の図。 以前から目立っていたのだろう。 それがポスターになって、一層 衆目を集めるようになった。 これまでとは少々 様子が違っていて、今日の ちびっこ広場には 子供と一緒ではない大人たちの姿が多い。 ポスターの家族が来ていると知って、実物を見物に来た野次馬たちのせいのようだった。 彼等は、動かないポスターではなく、実際に動く綺麗な家族、幸福な家族を眺めて、目を細めている。 幸福を絵に描いたような家族を見て、彼等ほど幸福ではない(かもしれない)人々は何を思うのか。 我が身に比して、幸福や美しさのレベルが違いすぎると、人は妬みも感じないものなのか。 あるいは、身の程をわきまえずに 彼等に自己を投影して、自らも幸福な気持ちになるものなのか。 星矢には、氷河たちを わざわざ見物にやってくる善男善女の気持ちがわからなかった。 |