「一応 言っとくけど、俺は野暮で詰まんない常識家だからな。俺には、面白いことを言う芸も才もない」
「その発言自体が、既に十分 面白いぞ。常識家というのは、3ヶ月に1回の頻度で奇跡を起こす人間のことを言うのか? おまえに常識家を称されたら、常識が自分のアイデンティティを保てなくなるだろう」
「奇跡は非常識な現象かもしれないけど、だから、奇跡を起こす人間が非常識な人間とは限らないだろ。奇跡は、凡人が死に物狂いになった時に起きるものなのかもしれない」
「……」

いつになく星矢の乗りが暗く重い。
奇異に思って、紫龍は口をつぐんだのである。
奇跡を起こしてばかりいる非常識人間と からかいながら、紫龍は 本当に星矢を非常識な人間だと思っているわけではなかった。
非常識な人間というのは、有限の命を持つ人間なら絶対に死んでいるはずの状況から、何事もなかったように幾度も生き返ってくる男や、三大神の力を自身の中に取り込み、ちゃっかり有効利用している地上で最も清らかな魂の持ち主や、ついさっきまで生死をかけた戦いをしていた敵を、小さな女の子の姿をしているからといって 自分の許に引き取り、実の父親顔負けの愛情を 当たり前のように注ぐことのできる男のことを言う。
星矢は非常識な人間ではない。
彼は非常識なのではなく――ただ“特別”なのだ。

黙り込んだ紫龍に、星矢が軽く肩をすくめて 薄苦い笑みを作ってみせる。
「俺を平凡で詰まらない男だと思ってる顔」
かすれた声で言う星矢に、紫龍は、
「まあ、氷河に比べれば」
と応じた。
星矢の苦笑に、少し軽みが加わる。
「氷河に勝とうとは思わないさ」
ほとんど独り言のように そう言って、星矢は ナターシャとナターシャのパパとマーマの姿を、ひどく遠い目をして視界に映した。

「本当に、絵に描いたような理想の家族だよな。冗談みたいに出来すぎ。非常識だ。血のつながりはないし、マーマは男だし、娘は元死人。別にいいんだけどさ」
「氷河たちは、理想の家族というより、今時の家族というべきなのかもしれないぞ。威厳と生活力のある亭主関白な父親、そんな夫に従う良妻賢母の母親にして妻、両親の美質を受け継いだ娘と息子――なんて家庭は、今の日本では絶滅危惧種だ」
「同性のパパとマーマ、血のつながらない子供。流行の最先端をいく家族なわけだ」
そう言って、星矢は 誰にともなく(もしかしたら自分のために)頷いた。

「氷河と瞬とナターシャは、違う意味で理想の家族なんだと思うぜ。伝統的で典型的な家族とは対極にある理想。ずっと このまま、幸せを絵に描いたような家族でいてほしいと思う」
「そうだな。まあ、ナターシャは、写真のバック転といい、鉄棒の足掛けまわりといい、あの歳の女の子にしては少々活発すぎるような気もするが。怪我をせずにいられるのが不思議なくらいだ。小さな怪我をして、痛みを学習しておいた方がいいような気もするな。『身体の傷は男の勲章、勇気の証』のおまえとしては、女の子の傷はどう思うんだ?」
「今は、『女の傷も勇気の証』って言わなきゃ、差別主義者のレッテルを貼られる世の中だからなー……」

ナターシャの身体に残る死体を縫合した痕は、少しずつ消えてきているらしい。
ナターシャは このまま幸せな普通の少女になるのかもしれなかった。
非常識なほど理想的な家庭のパパとマーマである氷河と瞬は、そうなることを心から望んでいるだろう。
ナターシャは、絵に描いたように幸せな家庭の中で育っている。
かつて城戸邸に集められた孤児たち――生きるため、死なないためには、命をかけて戦わなければならなかった あの子供たちとは全くちがう環境で、彼女は生きている。






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