馬で駆けて、アテナイから9日、テッサロニキから6日、イグメニツァの港からは2日。 イオアニナは ギリシャの辺境にある小国である。 そのギリシャの小国に 王子が生まれたことが、すべての始まりだった。 王位を継ぐ第一王子は既にいて、二番目の王子。 瞬と名付けられた二人目の王子は、『無垢な赤ん坊だから』では済まされないほど美しく澄んだ瞳の持ち主で、その瞳に出会った者たちは誰もが、その清らかな様子に息を吞むことになった。 面立ちも もちろん素晴らしく愛らしい。 そのため、イオアニナの王城で働く者たちは誰もが――小間使いも料理人も武人も大臣も 国王夫妻までが、『人は、神に愛されるから美しいのか、美しいから神に愛されるのか』という、答えの出ない楽しい命題に 頭を悩ませることになったのである。 イオアニナの王城で ただ一人、二歳になっていた瞬の兄王子だけが、 「瞬は、俺の弟だから、こんなに綺麗で可愛いんだ」 と自信満々で主張し、皆を『なるほど』と唸らせていた。 瞬は そんなふうに誰からも愛される王子で、彼が幸福な一生を送ることが約束された王子だということを疑う者は、イオアニナの国には ただの一人もいなかったのである。 瞬が生まれた日から7日後の午後。 イオアニナの国王夫妻は、すべての神々の神殿――パンテオンに赴き、新しく授かった命への感謝を神々に伝え、子供の未来の多幸を祈った。 それは子供を授かった家で行なう しきたりで、神々を敬うギリシャの民なら、国王、市民、奴隷の別なく行なう慣例行事だった。 そんな、どの家でも行なう ありふれた慣例行事の最中に、極めて特別な出来事が起きたのである。 神託を求めたのではなかったのに、イオアニナの第二王子に対して 一つの神託が下されたのだ。 それは極めて特別な出来事――過去に例のないことだった。 そもそも 神託は、求めても得られぬことの方が多いもの。 それゆえ、イオアニナの第二王子への時ならぬ神託には、神の気まぐれには慣れている万神殿の神官たちですら、大いに驚き、当惑したのである。 その神託――その神託が、大神ゼウスからの神託か、運命の女神モイラたちからの神託か、予言の神アポロンからの神託か、掟の女神テミスからの神託か、あるいは神々の総意によるものなのかは示されなかった。 だが、その場に、そんなことを気にする者はいなかった。 “そんなこと”でしかなかったのだ。神託を下した神が誰なのかということは。 その神託の内容の重大さに比べれば。 求めたわけでもないのに、突然 下された神託。 それは、 『その子供を我が物とした者が、この世界を己が手に収めることになるだろう。慎重に育てよ』 というものだった。 神託に驚いたイオアニナの国王は、 「それは我が国イオアニナがギリシャの覇者になるということですか?」 と、万神殿の神々の像の前で問うた。 だが、問うたことへの答えは示されなかった。 神は、自分が そうしたい時、自分が そうしたいことをする。 人間に 何を問われても、答えたくなければ答えない。 人間に 何を求められても、与えたくなければ与えない。 それが神というものなのだ。 であればこそ、瞬への神託は異例のものだったのである。 ともあれ、その時、瞬を中心とする世界の運命の歯車は回り始めたのだった。 |