瞬が10歳になった頃には、神託の王子を“我が物にする”とはどういうことなのかを、ギリシャ中の人間が考えるようになっていた。
“我が物にする”ことが“側に置く”ことなら、イオアニナの国が とうの昔に世界を支配しているはず。
だが、そうではない。

瞬を殺してしまえば、それが瞬の命を“我が物”にしたことになるのではないかと考える者も いたようだった。
だが、どうやって?
耐性があるので、毒では殺せない。
剣で切り殺して、毒の血しぶきを浴びるようなことになれば、殺人者は 自らも命を落とすことになるだろう。
何より、吐く息すら毒かもしれない毒性人間に、どうやって近付くのか。
もし瞬を我が物にすることが、瞬の命を奪うことであるなら、それは ほぼ不可能なことだった。
同様に、命を奪わないにしても、たとえば剣や弓等の武器で脅して、言うことをきかせることも無理である。

いったい 人を一人“我が物にする”とは、具体的にどういうことを言うのか。
何をもって“我が物にした”とするのか。
女子なら、肉体的に交わったり、法的に妻とすることが考えられる。
男子でも それは可能だが、それは身体が毒でできていない人間が相手の時のこと。
毒と交わることは死を意味する。
もし情交が可能だったとしても、それは はたして“我が物にした”ことになるのか。
肉体を縛ることはできない。まして、心は。


瞬が生まれて16年。
『その子供を我が物とした者が、この世界を己が手に収めることになるだろう。慎重に育てよ』という神託が下って16年。
あの神託は、『人間は誰も、世界を手に入れることはできないのだ』という、神から人間への忠告だったのではないかと、人々は考えるようになっていた。
あるいは、瞬自身が世界の帝王になるという意味だったのではないのか――と。

とはいえ、生まれたままの状態で、中身はともかく 肉体はごく普通の人間として成長していたなら まだしも、現在の瞬は、その身が毒でできていて、瞬に接した者は命を落とすことになるのだ。
人を統べること、兵を指揮して敵(?)と戦うことは、他人と接触することのできない瞬には ほぼ不可能なことといっていいだろう。
瞬がイオアニナの城の塔を出て 世界の王になろうとすれば、瞬の周囲には死人の山が築かれ、いずれ世界は滅びてしまうのだ。

それは、神託が実現したとは言わないだろう。
そして、神託は実現されなければならない。

16年。
瞬を手に入れて 世界の王になろうとする者は、もはや現れないのか。
ギリシャに数ある国々の君主や武人たちは皆、世界の王になるという、自身の野心を諦めたのか。
ここ数年、瞬の周辺は静かだった。
イオアニナの国は、瞬の兄が王となり、平和に治めていた。
瞬は、イオアニナの国に敵を呼び寄せる存在だったが、同時に 敵を遠ざける存在でもあったのだ。






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