「ところで、あなたは自殺志願者でないなら、ここに何をしにいらしたの。僕を さらいに? それとも、殺しに?」
侵入者は、まず、
「ああ、忘れてた」
と、呑気な声で ぼやいた。
それから、彼の来訪目的を、瞬に打ち明けてくる。
「俺は、世界を征服するつもりでいるんだ。だから、ここに来た。おまえをどうするかは、おまえに会ってから決めようと思っていた。参考までに訊きたいんだが、これまでの挑戦者たちは、おまえを さらおうとする者と殺そうとする者ばかりだったのか? まさか、自殺志願者が いちばん多かったのではないだろうな」

意外にも、侵入者は ちゃんと(?)世界征服の野心を抱いているらしい。
しかし、神託の王子のいる塔に侵入できるほどの計画性と行動力を持ちながら、神託の王子をどうするのかを決めていないとは。
普通なら、漠然とでも、さらうか、殺すか、別の第三の道を採るのかくらいのことは計画してから、ここに来るのではないかと、瞬は少々――否、かなり――呆れた。
これまで、そんな大雑把な やり方を通してきたのなら――それで 大きな失敗をせずに済んできたのなら――この青年は相当 運のいい人間なのだと思う。
実際 彼は神に愛されているのかもしれない。
そう思わせるだけの美貌と、妙に心惹かれる何かを、彼は持っていた。

「ええ。大抵は、さらうか、殺すか、そのどちらか。そのどちらかを企んでいるのなら、それは無益で危険なことだから やめるよう説得できますが、自殺志願者とは冷静に話ができないので 厄介なんです」
「俺が 自分を殺しに来たのだとは思わなかったのか? おまえは、少しも俺を怖がっていないように見えるが」
「可能性はあるでしょうが、僕を殺して世界を手に入れようとする人は、大抵、僕の柔弱振りを見て、あえて殺そうとは考えなくなるんです。僕の命を奪うことが 世界を手に入れることではない。僕は、王冠や王笏のようなもので、あえて壊す必要はないと考えるようになるみたい」

10歳を過ぎて、『イオアニナの王子は、普通の人間は近付くことのできない毒性人間』という情報がギリシャ中に行き渡るようになると、瞬を我が物にして世界を支配する帝王になるという野望に挑む者の数自体が減った。
自分が世界を支配する帝王になれなくても、他の誰も世界の支配者になれないのなら それでいいではないかと考える者が増えたのだ。
何事も、命あっての物種だと。
侵入者は、瞬の説明に得心したように頷いた。

「たとえ殺すつもりで ここまでやってきても、実際に 自分の目で おまえを見てしまったら――こんな綺麗なものを壊す気はなくなってしまうだろうな。王子? 姫君ではなく? 本当に?」
「ええ」
「そうか。女なら――いや、男でも――」
「男でも?」
侵入者が言葉を淀ませたので、その先を促す。
侵入者は 両の肩をすくませて、言い淀んだ言葉の先を口にした。

「おまえを抱いて死ぬのも悪くはないと思った」
本当に世界を支配する帝王になりたいという野心を抱いているのか 疑わしい淡白な軽さを、この侵入者は その身にまとっている。
それでも自殺志願者ではないという言葉を信じて 安心していたのに――。
瞬は少しく慌てた。
慌てて、確認を入れる。

「あなたは自殺志願者ではないんですよね? あなたは 世界の支配者になりたいのではないの?」
「まあ、その予定なんだが――俺の名は氷河だ」
「……氷河」
急に名を名乗られて――瞬は 彼の真意を図りかねたのである。
これからも会話を続けたいから 名を名乗ったのであれば問題はないが、墓石に刻んでもらうために その名を手渡してきたのなら、そんなものは受け取りたくない。

「僕は瞬です」
瞬が探るように、自分の名を名乗ると、
「さすがに、おまえの名は知っている」
実に尤もな答えが返ってきた。
『生きていたい』という熱烈な思いは感じられないが、熱烈に『死にたい』と願っている気配も感じられない。
とはいえ、『熱烈に死にたい』は『熱烈に生きていたい』の裏返しであることが多く、そのどちらにも意欲的でない人間こそが最も死に近いところにいることを知っている瞬としては、まだ油断がならなかった。

ただ氷河は、瞬との間に一定の距離を保ったままでいて、それは瞬には一つの安心材料だった。
用心深く、更に探りを入れてみる。
「氷河はどこの国の王子様なの?」
「俺が王子とは面白い冗談だ」
「違うの? とても美しいのに」
「褒めてない」
「褒めたつもりはありません。事実を言っただけです」

瞬が『褒めていない』と言うと、氷河は逆に戸惑ったような顔つきになり、戸惑ったような声で、
「誉め言葉に聞こえるようになった」
と呟いた。
そして、わざとらしく瞳を大きく見開き、
「もっと暗くて陰鬱で、不幸な顔をした王子が出てくるとばかり思っていたんだが……。おまえ、愛されて育ったんだな」
と告げる。
その推察が事実だったので、瞬は俯くように頷いた。
「……ええ、そうですね」






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