氷河が、
「おまえの手に触れたい」
と言い出したのは、三度目の訪問の時。
「おまえを抱きしめたい」
と言ったのは、四度目の訪問時。
「触れ合わなくても、愛し合うことはできる」
が、八度目の訪問時。
そして、
「俺は、俺の生きる目的を変更した。今度の目的は、“おまえを幸せにする”だ」
氷河が決然と、だが、他に仕様がないというような諦めの念をも 僅かに表情に にじませて、宣言したのは、ちょうど十度目の訪問の夜だった。

「なので、行ってくる」
「行くって、どこに」
「おまえを自由にする方法を探しに、とりあえずは聖域に。そこで埒が明かなかったら、オリュンポスに」
「氷河……!」

氷河の腕にしがみつき 彼を引き止めることのできない自分を、今ほど もどかしく思ったことはない。
瞬は、氷河に向かって腕を伸ばして 彼を捕まえる代わりに、言葉を尽くして、氷河の決意を翻させようとしたのである。

氷河は、神によって下された神託を無効にしようとしている。
それは真っ向から神の意に背くこと。
神々が快く思うはずがない。
神託の王子が 神託から解放され 自由を得る前に、氷河が神々に罰せられることになるに違いないのだ。
「氷河が僕のせいで、そんなことになったら……!」
手を伸ばせないことに 身悶えるように訴える瞬に、氷河は、僅かに眉根を寄せ、首を左右に振った。
「おまえのせいで、“そんなことになる”わけではない。俺は、俺自身のため、俺が生きるために そうするんだ。おまえが自由で、幸せでいてくれないと、俺が不幸になるから。それだけだ」

氷河の言う通り、それは“それだけ”のことである。
“それだけのこと”は、氷河が『その子供を我が物とした者が、この世界を己が手に収めることになるだろう』などという面倒な神託を受けた王子を、身体が毒そのものでできていて 触れ合うことすらできない おぞましい王子を 愛しているということ。
そして、瞬は、自分が誰かに愛し愛され幸福になることなど あってはならないことだと思っていたのだ。
瞬は、氷河の命を守るため、何としても 氷河の無謀を止めなければならなかった。

「氷河。僕のためでなくても、氷河自身のためでも、氷河が 僕の神託に関わることで命を落とすようなことになったら、僕は不幸になる。氷河が生きていてくれないと、僕は幸せになれない。氷河、無茶はやめて。氷河に そう言ってもらえただけで、僕はもう十分に幸福だから! 世界一、幸せだから」
瞳を涙で いっぱいにして 瞬がそう叫んだのは、氷河が初めて東の塔に侵入してきた夜と同じ、白く丸い月が 空の遠くで輝いている夜だった。

その月の光も星の光も消し去るほど強い光が、ふいに東の塔の部屋の中を いっぱいに満たす。
それは、部屋の主である瞬自身が生み 放っている光だった。
真夏の昼の日光よりも明るく白い その光は、だが 決して眩しくはなく、熱くも激しくもなく、やわらかで温かいものだった。






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