夕涼み






日本の気象用語では、最高気温 摂氏25度以上を夏日、30度以上を真夏日、35度以上を猛暑日という。
そして、夜の最低気温20度以上を真夏夜、25度以上を熱帯夜、30度以上を超熱帯夜という。
練馬区光が丘は 今日は、最高気温38度の猛暑日で、最低気温26度の熱帯夜になると予想されていた。
予想最高気温37度38度の猛暑日が続くと、気温30度でも涼しいと感じるようになるから、人間の温熱感覚――むしろ順応力?――は恐ろしい。
人間の感覚は それほど相対的かつ流動的、つまり不確かなものであるから、特に夏場は、客観的な指標に基づいて健康管理を行わなければならないのだ。

梅雨が明けてから毎日のように、関東甲信越地方のニュースでは、熱中症で倒れ 病院に搬送された人の数が報告されている。
その半数が65歳以上の高齢者なのは、歳をとると『暑い』と感じる感覚が鈍ってくるから。
人間の感覚というものは、ことほど左様に 信用ならないものなのだ。
であればこそ、高齢者に限らず、抵抗力の弱い子供も、健康管理は、客観的な指標に従って行動することが大事なのである。

そういうわけで。
ナターシャは、外気温が33度より低くならないと、公園に遊びに行ってはならないことになっていた。
10分20分で済む近所への買い物くらいならいいのだが、陽光の照りつける公園で長時間 遊んでいいのは、天候にかかわらず、外気温33度以下の時だけ。
それは、ナターシャの身体(というより命)を守るためのルールである。
だが、ナターシャの命を守るための このルールが、ナターシャの中に大きなフラストレーションを生んでいるのもまた、紛う方なき事実だった。

夜の仕事に従事している氷河の就寝時間は 基本的に早朝から午前中で、ナターシャを朝の公園に連れて行ってやることはできない。
そして、8月の東京の気温は、朝9時には30度に達し、10時から夕方4時頃までは最高気温付近を うろうろしていることが多いのだ。

ナターシャは梅雨明け以降 毎日、光が丘公園の現在の気温を確認できるサイトをパソコンのディスプレイに映して、15分おきに気温を確認し、
「33度になあれ、33度になあれ」
と、呪文を唱えていた。
今日は日曜日で、瞬も家にいるのだが、午前10時に35度に達した公園の気温は、午後2時現在37度。
夕立でも降らない限り、日没前に33度まで下がることは期待できそうになかった。
つまり、ナターシャは、十中八九、今日も公園で遊ぶことはできない。
大人なら さっさと諦めて、空調の効いた屋内で映画鑑賞でも始めるところだが、ナターシャは決して希望を捨てないのだ。
今日こそは。今日こそは。
そんなナターシャを見守っている大人にも、結構つらいものがある。

「どうして夏なんて季節があるんだろうな。あってもいいが、最高気温40度は、いくら何でもひどい」
40度というのは、さすがに 光が丘の気温ではない。
昨日の、埼玉県某市と岐阜県某々市、高知県某町で記録された気温である。
東京でも、日向のアスファルトの上の温度は そんなものなのかもしれないが。

屋内なら クーラーもあるし、氷河は小宇宙で冷やすこともできる。
しかし、屋外(=人目のある場所)では、文明の利器にも アテナの聖闘士の小宇宙にも頼ることはできない。
熱中症の可能性を考えると、ナターシャを猛暑日の日中に公園で遊ばせるのは、どう考えても 危険すぎる冒険だった。
「都内の学校は、猛暑日には 屋外の運動場での体育の授業やクラブの練習を禁じてるんだって。それどころか、屋外プールでの水泳も禁止してるとか。昔は、暑いからプールに行ったものだけど、今は暑いからプール禁止。地球は本当に おかしくなってきているよ」
「外で遊べなくて 子供がフラストレーションを ため込むのは、昔は 冬の専売特許だったんだがな」

氷河が自嘲めいた笑みを目元に刻むのは、彼が自分を冬を同一視しているからだろう。
冬(自分)は子供に喜ばれる存在ではないと、氷河はずっと思っていたのだ。
「俺たちには縁がなかったが、昔は、海水浴にキャンプ、花火に夏祭りと、子供が喜ぶイベント目白押しの夏は 無条件で子供に歓迎される季節だったのにな。冬は、動物も植物も活動しなくなり、実りはないし、凍死の心配はあるし、嫌われる季節だった。『冬来たりなば、春遠からじ』。冬は苦しい時代の代名詞だったんだが」
「昨今は、すっかり、『夏来たりなば、秋遠からじ』だね」

『冬来たりなば、春遠からじ』
If Winter comes,can Spring be far behind ?
原典のパーシー・ビッシュ・シェリーの詩は、『冬のすぐ後ろに春がいる』程度の意味なのだが、日本では、このフレーズは、『苦しい時を耐え抜けば、幸せは必ず やってくる』、『寒く厳しい冬が来たということは、暖かい春が すぐそこまで来ているということだ』というような、慰撫と激励の言葉として流布している。
意訳というより超訳の一例だろう。

「俺は夏より冬の方が好きだったから、冬を苦難と試練の季節と見なされることが不本意だったんだが、昨今 夏が危険視され嫌われている様を見ていると、夏が気の毒になるぞ」
「冬も夏も、ただ 自然に巡ってきて、そこにあるだけで、人に 好かれようとか、愛されたいとか、そんなことは毫も考えていないだろうにね」
身体を動かせないナターシャのフラストレーションを、少しでも やわらげてやるために、今日のおやつは 完熟マンゴーに 濃厚バニラアイスクリームとミルクティのシャーベット添え。
ミネラル補給のために、夏場の飲み物は 極力 麦茶にするよう言われて、甘いジュースへの渇望が頂点に達しかけていたナターシャは、甘さ全開の 今日の おやつを見て 少し――否、かなり――機嫌をよくしてくれたようだった。
にこにこ笑顔になって、スプーンでアイスクリームをすくう。

「ナターシャは、冬が大好きダヨ! ナターシャが パパに会ったのは冬だもん。可愛いコートを着れるし、雪で遊べるし、スケートもできるから、ナターシャは冬が大好き! 夏は お外に出られないヨ……」
パソコンの画面を見ると、公園の気温は37度。
甘い果物もアイスクリームもシャーベットも、思いきり外を駆け回る爽快感の魅力には敵わないらしい。
甘いシャーベットを味わいながら、ナターシャは恨めしそうに、ベランダの向こうに見える攻撃的なほどに青い空を見詰めた。
ナターシャに 公園の気温を忘れさせるために、瞬は さりげなく氷河と冬の話を始めたのである。

「冬は氷河に似てるよね。……氷河が冬に似てるのかな。静かに雪が降るみたいに無口で――。好きになってくれとか 愛してほしいとか、うるさく訴えるようなこともしない」
「それは皮肉か」
「え?」

音もなく降り積む雪のように、氷河の愛は降り積む。
気付かぬ人は気付かない静かな その愛に、ナターシャは ごく自然に気付き、信じている。
それは何よりもまず、ナターシャが氷河を好きだから。
――そんなことを思いながらの発言だっただけに、瞬は氷河の反応が意想外だったのである。
しばらく氷河の瞳を見詰め、彼の意図を探り、そして察した。

瞬が乙女座の黄金聖闘士になる前、アンドロメダ座の聖闘士に振り向いてもらうために、自分は 瞬へのアプローチやアピールを うるさいほど繰り返した――と、氷河は記憶しているのだろう。
あの頃の氷河の働きかけは 確かに熱心で熱烈なものだったが、全く うるさくはなかった――氷河は、ほとんど言葉を用いずに、それをした。
氷河は、自分が無口に それをしたことを忘れているのかもしれなかった。

何にせよ、瞬は、皮肉を言ったつもりは全くなかった。
「氷河は うるさくしたことはないでしょう。氷河は、言葉に訴えるタイプじゃない。時々 言葉が足りなすぎて誤解されるんじゃないかって、心配になるくらい」
氷河は、白鳥座の聖闘士だった頃も無口だったし、黄金聖闘士になった今も それは変わらない。
アンドロメダ座の聖闘士の心を手に入れようとしていた時も、手に入れたあとも静かなまま。
水瓶座の黄金聖闘士になってからは 特に、子供の頃の熱っぽさは表に現れなくなっている。

白鳥座の聖闘士だった頃、うるさくしていたのは自分の心の中だけで、外に向けて 言葉を駆使したことは ほとんどなかったことを、氷河は思い出したらしい。
軽く 顎をしゃくるようにして、彼は頷いた。
「俗に、『理解されたい人間は 口数が多くなる。愛されたい人間は 喋らない』と言うぞ」
それは過去の自身の言動の説明か、それとも、氷河は 今も もっと愛されることを求めているのか。
どちらにしても、瞬は取り合わなかった。

「氷河は愛されたいから喋らないわけではないでしょう。特に理解してもらいたいと思わないから、喋らないだけ」
氷河は、必要ではないから、働きかけないだけ。
怠惰怠慢とまでは言わないが、ものぐさではある。
あるいは、効率的な省エネ体質と呼ぶ方が、より適切なのかもしれなかった。






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