それはさておき。
乱暴な言葉や汚い言葉が混じるようなことさえなければ、瞬は ナターシャのいるところでも、難しい話や 込み入った話を避けないことにしていた。
ナターシャが興味を示したら、ナターシャにもわかるように、その話の内容を噛み砕いて説明してやる。
そんなふうに、大人たちの話、大人たちが口にする言葉を聞いて、子供は新しい言葉を覚えていくものだろう。
子供が覚える語彙の数、その種類、傾向に、大人は多大な責任を負っているのだ。

ナターシャは、公園の気温の低下を待ち望む気持ちを しばし忘れて、愛と理解の関係に興味を抱いたようだった。
サイコロ状にカットされたマンゴーをフォークで口に放り込み、その甘さに唇で笑みを作ってから、
「理解サレタイ人は、お喋りになるノ? “愛サレタイ”と“理解サレタイ”は、どう違うノ?」
と、瞬の顔を見上げて尋ねてくる。
一時(いっとき)でも、ナターシャの意識が パソコンに表示される外気温から逸れてくれるなら、それが何よりである。
ナターシャの疑問に、瞬は真剣に応じた。

「んー。そうだなあ。ナターシャちゃんが、氷河に、『お仕事から、早く帰ってきて』って言うのは、ナターシャが氷河を大好きで、氷河がいないと寂しい気持ちになるから、できるだけ 氷河と一緒にいたいと思っていることを理解してほしいから、言う言葉。ナターシャちゃんが、可愛いお洋服を着て、氷河の前で 可愛いナターシャちゃんでいたいと思うのは、氷河に愛してほしいから、かな」
「だったら、ナターシャは、“愛サレタイ”と“理解サレタイ”の、両方ダヨ! ナターシャは、ナターシャがパパを大好きなことを パパに知っててもらいたいし、パパにもナターシャを大好きでいてほしいヨ!」
「そうだね。大抵は、両方だね」

ごく幼い子供は、普通は、“愛サレタイ”一辺倒である。
“理解サレタイ”と願うほど、複雑な感情や思考が自分の中にあるとは思っていないから。
“理解サレタイ”と“愛サレタイ”の両方だというのなら、ナターシャはバランスがとれている。
否、ナターシャは むしろ、見た目の年齢よりずっと大人なのかもしれなかった。
おやつを食べ終えたナターシャが、もうパソコンの画面は見ずに、ソファに座っている瞬の すぐ隣りに移動。
そして、彼女は、半分 瞬の膝の上に乗り上げるようにして、
「マーマはどっち?」
と、瞬に尋ねてきた。

ナターシャに そんなことを問われるとは思っていなかった瞬は、僅かに首をかしげて、しばし考え込むことになったのである。
そうしてから、
「僕は、氷河を誤解してほしくないから、氷河のために喋っているかな。ナターシャちゃんは いつも、そんな僕に協力してくれてるね」
と答える。

ナターシャは本当は、マーマ自身は“理解サレタイ”と“愛サレタイ”のどちらなのかを問うたのだったろう。
だが、パパが誤解されるのが嫌だから お喋りをするという瞬の気持ちは、ナターシャにも よくわかる――ナターシャも同じ気持ちでいる。
氷河が誤解されやすい人間だということには、ナターシャも気付いている――感じているのだ。

「パパはカッコいいし、優しくて強くて、それで 正義の味方ダヨ!」
「そうだね。ナターシャちゃんは さすがだね。氷河を愛していて、理解もしてる。でも、氷河は あんまり お喋りしないし、自分が正義の味方だってことを宣伝しないし、綺麗すぎて冷たく見えるところもあるから、怖がる人もいるんだよ」
瞬のその意見には、ナターシャも異論はないらしい。
ナターシャの大好きなパパを、悪者でもないのに怖がる人がいる事実を、ナターシャは不本意ながら認めているようだった。

「パパは 今より いっぱい笑えば、パパを怖がる人はいなくなると、ナターシャは思ウ。でも、ナターシャは、今のままのパパの方がいいヨ。パパが 超モテモテになったら、ナターシャはきっと焼きもち 焼いちゃうカラ」
氷河を怖がる人がいることを認めた上での提案。
自分の提案を推奨しないナターシャの正直さに、瞬は、ほとんど微笑にしか見えない微苦笑を浮かべた。

「氷河の“愛されたい”は、“みんなに愛されたい”じゃなく、“氷河が愛している人にだけ、愛されたい”だからね。氷河は、ナターシャちゃんをいちばん好きで、いちばん好きな人に愛されていれば、それでいいって思っているんだ」
「ナターシャとマーマダヨ!」
氷河の愛されたい人リストに、ナターシャは すかさず 瞬を追加した。

それは、ナターシャが氷河を愛し理解しているから発揮される利発である。
氷河がナターシャを愛するのは当然のことだろう。
ナターシャは 実に氷河好みの少女だった。
彼女は そのように育っている。
半分は自然に。半分は、ナターシャの意思で。
瞬は時折、ナターシャは 氷河より ものを考えているのではないかと思うことがあった。
そんなナターシャのパパに訊いてみる。

「氷河は、ナターシャちゃんのパパとして、ナターシャちゃんに どんな人になってほしいと思っているの? 人に愛されるナターシャちゃんと 理解されるナターシャちゃん」
氷河からは、
「ナターシャには、多くの人に愛され理解される人間になってほしいな」
という、子供の親としては ごく普通。言わずもがなの答えが返ってきた。
「氷河自身は、人に 理解されることなんか求めていないのに?」
「俺自身は どうでも構わないが、ナターシャが人に誤解されるのは嫌だ」
「ふふ。氷河らしい」
子供の親としての ごく普通の答えが、“氷河らしい”。
これは滅多にない事象だった。






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