「で、その氷の中から見付けてきた身長10センチの小人ってのが、あっというまに でかくなったんだろ? 圧縮ファイルを解凍するみたいに、小さな子供だったのが、あっというまに妙齢の、光り輝くような超美人になったとか」 「そんなデマ、どこから仕入れてきたんだ」 「ほんとにデマか? この館で、天女も かくやとばかりの美女の姿を見たっていう目撃情報が多数、都中に流布してるぞ。天女も かくやとばかりの美女だから、かくや姫なんて名前が独り歩きしてる。おまえ、俺たちにまで隠す気かよ」 「……」 無責任な噂を鵜呑みにした友人の星矢の言い草に、氷河は 思わず脱力し、そして うんざりした顔になった。 よもや星矢と一緒に館を訪ねてきた紫龍までは 馬鹿げた噂に踊らされてはいないだろうと思っていたのに、その期待は見事に裏切られる。 「火のないところに煙は立たないというからな。俺たちは、外の連中のように、盗み見や覗き見などしたくなかったから、堂々と正門から来たんだ。事実と違うなら、そう言ってくれれば、俺が 外の野次馬連中に その旨を伝えて、奴等を追い払ってやろう」 紫龍の親切な(?)申し出のせいで、不愉快な現実を思い出し、氷河は一層 うんざりした顔になったのである。 “不愉快な現実”というのは、他でもない。 氷河の館の周囲には、半月ほど前から、天女も かくやとばかりの美女の噂を聞きつけた男たちが、噂の美女を一目見ようと、田の稲にたかるイナゴのように群れを成していたのだ。 身分や財力のある公達たちは牛車を設え、表門の前に ずらりと常駐。 牛車など用意できない庶民は、常駐せず通いの者が多かったが、遠方から乗り込んできた者たちは 館の裏手の塀の陰で野宿し、隙あらば氷河の館の中に忍び込もうと、様子を窺っているようだった。 たった一人の女――本当に美しいのかどうかもわからない、たった一人の女のために そこまでするかと、現代に生きる常識人は呆れるだろう。 だが、パソコンもスマホもなかった頃のこと。野心も 向学心も 特段の趣味もない貴族の男たちと農閑期の農民たちは、一言で言うなら、相当 暇だったのである。 「俺としてはさ。おまえが噂の美女を、娘として遇するのか、妻に迎える気なのか、そのあたりのことを確かめておきたいんだよ。つまり、おまえが瞬を諦めることにしたのかどうか。それって、俺たちにとっても重要なことだろ?」 星矢が言う“瞬”というのは、氷河たちの共通の友人のことである。 氷河は 幼い頃からずっと、この瞬に執心していたのだ。 ちなみに、星矢の言う『俺たち』というのは、星矢、氷河、紫龍、瞬の四人に、瞬の兄を加えた五人の幼馴染みを指す。 冷蔵庫が存在しない時代、氷は貴重品だった。 特に夏場の氷は、内裏の帝や ごく身分の高い貴族にのみ許された贅沢品で、まさに権力の象徴。 それを司る氷河は、宮内省主氷司の長に任じられていた。 藤原氏ではないので、権力の中枢に食い込むことはできないのだが、その財力は京の都 随一と言われている。 噂の美女が、その氷河の娘なら、婿候補が多数 湧いてくるだろう。 かくや姫が氷河の妻になるのなら、彼女に取り入って 金を引き出そうとする者や、贅沢品を売りつけようとする商人たちが大勢 押しかけてくる。 どちらにしても、かくや姫が 何者になるのかによって、世の男たちが 大きく動くことになるのだ。 つまり、各方面に大きな影響が出るのである。 氷河は いかにも面倒臭そうに――おそらく稀代の変人と言われる男の幼馴染みに生まれついてしまった(?)星矢の苦労に免じて、問われたことに答えを返してきた。 曰く、 「俺が小さな子供を拾ってきたのは事実だ。さすがに、身長10センチなんて、雛人形サイズではなかったがな。今、この館に、天女顔負けの美人がいることも、間違いのない事実と認めよう。拾ってきた子は俺の娘として育てるが、どこの男の妻問いも許さん。可愛い娘を よその男に渡す父親がどこにいる。俺は、帝に娘を差し出して権力を得ようとする藤原氏のような さもしい真似をするつもりはない。俺には そんなことをする必要はないからな。自分が育てた娘を 自らの妻とするような、あさましいこともせん。それは娘に対する父親の愛を、自ら汚す愚行だ。そして、もちろん、俺は瞬を諦めたりなどしない」 そこまで 一息に言い終えてから、氷河は初めて 息継ぎをした。 それから、 「質問への答えは、これで全部か?」 と、星矢に確認を入れてくる。 「あ? ああ。まあ、そうだな」 氷河の答えを脳内で おさらいしてから、星矢は、今ひとつ すっきりしていない顔で頷いたのである。 拾ってきた娘は美人だが、妻にはしない。 他の男の妻にもしない。 瞬は諦めない。 ――その答えに矛盾はないし、回答の内容も 極めて氷河らしいものだと思うのだが、なぜか すっきり腑に落ちない。 何かが引っ掛かるのだ。 それは、紫龍も同じようだった。 「かくや姫 目当てに集まってきている男たちはどうするんだ? おまえが自分の妻にするというのなら、奴等も諦めて退散するだろうが、娘として養育するとなると――。それで婿志願は受け付けないと言われても、普通の男は諦めないだろう。都で随一の財力を誇る おまえの娘の婿になれたら、美女と金を同時に手に入れることになるんだからな。この館を取り巻く男共は増える一方だろう」 さすがに 紫龍の推察を 的外れだと一笑に付すことはできなかったらしく、氷河は苦々しい面持ちで 友人たちに頷いた。 「塀を乗り越えて 館の中に入ってくる奴等は 問答無用で追い払ってきたが、最近 塀を壊して邸内に潜り込もうとする奴等が現われて、そろそろ どうにかしようと思っていたところだったんだ。明日の朝、この館の周辺ではダイヤモンドダストが舞う予定だ。命が惜しい者は皆、自分の家に帰るだろう」 「退去するよう説得もせずに、突然 実力行使か。荒っぽい やり方だが、それが最も手っ取り早い のかもしれんな」 いつもなら、穏便に振舞うよう、氷河に自重を促す紫龍が、今回は 氷河の乱暴な計画を是認する。 これは、今日、彼と星矢が氷河の館を訪ねてきた際、氷河の館の周辺に門前市を成している男たちの群れを見てしまったからだった。 紫龍は、かなり本気で、国の未来を憂えてしまったのである。 暮らしに困ることのない裕福な公達たちは、よほど暇なのだろう。 そして、貧しい庶民の男たちは、噂の美女を盗み見ることくらいしか、楽しみらしい楽しみがないのだろう。 そんな世相も問題だが、氷河の館の周辺に群れなす男たちの中にあって、自分も その群れを構成する一人なのだという事実と その不毛に気付き、正気にかえる男がいないことこそが、何よりも不気味である。 凶器準備集合罪ならぬ狂気準備集合罪。 常識で判断すれば、狂っているとしか思えない男たちを正気に戻し、家に帰してやることこそ正義だと、紫龍は思っていたのだった。 |