『凍え死にしたくなければ、奴等は退散するだろう』 氷河は そう言って、翌早朝、自身の館の周辺にダイヤモンドダストを降らせた。 命を危険にさらしてまで野次馬稼業を続けようとする男は、幸いにして少数派だったらしい。 氷河が ダイヤモンドダストを降らせた日の正午にはもう、野次馬の群れは ほぼ一掃されていた。 まるで秋の田に飛来したイナゴの大群が 稲を食い尽くして どこかに飛び去ってしまったかのように。 だが、“ほぼ”一掃である。 “ほぼ一掃”というのは、つまり、“完全に一掃されなかった”ということ。 イナゴの大群が飛び去ったあとに、残った者たちがいたのだ。 空調完備の超高級牛車・朗留巣呂威巣不安都夢に乗っていたために ダイヤモンドダストの直撃を免れた、いずれ劣らぬ貴公子たちが五人も。 すなわち、 冥府皇子(めいふのみこ) 双魚宮皇子(そうぎょきゅうのみこ) 右大臣笛音御主人(うだいじん ふえのねのみうし) 中納言石盾麻呂(ちゅうなごん いしのたてのまろ) 大納言威緒御行(だいなごん いおのみゆき) の五人。 財力では、氷を支配している氷河には敵わないが、身分は五人共、氷河の はるか上。 決して 名うての色好みというわけではないが、揃って プライドが高く、自分が人に負けることに我慢ならないという貴公子たち。 彼等は、一筋縄ではいかない、手強い男たちだった。 「何か、面倒臭そうなのばっかり残ったなー」 「氷河のダイヤモンドダストに退散しない者が、常識のある一般人であるはずがない」 翌日、イナゴの群れが飛び去ったのを確認すべく 氷河の館を再訪した星矢と紫龍は、館の正門前に居並んでいる五台の超高級牛車の持ち主たちの名を聞いて、嫌そうに顔を歪めたのだった。 持ち主たちの名を聞き、身分を確認してから、改めて五台の超高級牛車を眺めると、その様子が まるで、数百匹の雑魚が消えた広い海域で、凶悪なホオジロザメが五匹 悠々と泳いでいるように見えたから。 「どうすんだよ? あいつら、帰れつっても帰らないだろ。皇子だの右大臣だの」 広い庭を一望できる氷河の館の居間で、うんざりした顔で、星矢は氷河に尋ねた。 食せないことはないだろうが、凶暴なサメよりは 脂の乗ったサンマの方がずっと、星矢の口に合うオサカナサンだったのだ。 「天女は何と言っているんだ」 紫龍が そう問うたのは、凶暴なサメを追い払う どんな手立ても、氷河は持っていないと、彼が考えたからだったろう。 相手は金(財力)で動かせる相手ではない。 そして、ダイヤモンドダスト(武力)で追い払うこともできなかった。 となると、残る手立ては、知恵(知力)か人徳(人間力)ということになるのだが、氷河は その二つを ほとんど持ち合わせていない男なのだ。 にもかかわらず、氷河に焦慮の様子が見えなかったので、誰かが彼に知恵を授けたのだと、紫龍は察したのである。 事実 そうだったらしい。 氷河は、彼にしては、和やかな表情で、紫龍に頷いてみせた。 「天女は、あの五人は妻が欲しいのではなく、有り余る権力と時間と才能の使いどころがわからず、暇潰しになる娯楽を求めているだけだと言うんだ」 「正鵠を射ている。おまえの天女は、美しいだけでなく、頭もよさそうだ」 「“よさそう”じゃなく、事実、“いい”んだ。数も減ったことだし、奴等の望む娯楽を与えて、解散してもらうことにした」 「それが天女の案か。奴等の望む娯楽とは……」 紫龍の横で唐菓子を食するのに夢中でいるように見える星矢も、賢い天女が考えた策には興味があるらしい。 彼が言葉を発しないのは、口が食べ物でいっぱいだからではなく、氷河の話を聞くためのようだった。 「スセリビメを妻に迎えようとしたオオクニヌシノミコトが、姫の父親のスサノオノミコトから幾つもの難問を課されたように。婿取り譚に よくあるパターンだ。娘が欲しかったら、達成困難なミッションをクリアしろ」 「なるほど、“奴等の望む娯楽”イコール“達成困難なミッション”というわけか」 「で、姫に、珍しい宝物を探してきてもらうことにした」 「宝探しの旅に出てもらうのか」 「ああ。それで、厄介払いができて、館の周辺も今度こそ静かになる。ほぼ入手不可能な代物だから、ミッションをクリアできる者はいないだろう」 有り余る権力と時間と才能の使いどころがわからず、暇潰しになる娯楽を求めている貴公子たちには、競争相手のいる高難度のミッションは、望むところでしょう。 ――そう言って、天女は、氷河に案をさずけたらしい。 「今日、これから あの五人に ミッションを伝える。ちょうどいい。おまえら、証人として、立ち会ってくれ」 氷河のその依頼を、星矢と紫龍は もちろん引き受けた。 五人の貴公子を納得させるために、氷河は そのミッションを、御簾越しとはいえ、かくや姫のいる場で五人に申し渡すというのだ。 そんな面白いイベントには、頼まれなくても立ち会いたい。 星矢と紫龍は、氷河からの頼まれ事を、むしろ大喜びで引き受けたのだった。 |