希望は未来に






城戸邸の裏庭に吹く風は、完全に秋のそれだった。
夏はもう終わってしまったのだ。
裏庭の片隅に、リンドウが一輪だけ、いかにも秋の花らしい色の花を ひっそりと咲かせている。
『リンドウは、決して群れて咲かない花だ』と、以前 兄に教えてもらったことがある。
特定の花を好む理由として、それは いかにも兄らしい理由だと感じ、仲間たちに その話を披露したら、紫龍がリンドウの花言葉を教えてくれた。
『悲しんでいる あなたを愛す』

「一輪だけで咲く姿が格好いいからではなく―― 一輝は、泣き虫のおまえを大切に思う気持ちを重ねて、リンドウの花を好んでいるのかもしれないぞ」
そう言う紫龍に、
「あの一輝が、花言葉なんか知ってるわけがない」
と反論したのは氷河。
「いや、わかんねーぞ。あいつ、荒くれ系 装ってるけど、意外にロマンチストだから」
星矢の意見に、
「なるほど。おまえが ロマンチストなんて言葉を知ってるなら、一輝がリンドウの花言葉を知っていることもあるかもしれないな」
氷河が失笑する。
あとは売り言葉に買い言葉だった。
「それはどういう意味だよ!」
「どういう意味なのか、おまえの国語力じゃ わからないか」
「なにをーっ!」

自分が持ち出したリンドウの花の話のせいで、あれよあれよという間に 氷河と星矢の間で 取っ組み合いの喧嘩が始まってしまった。
瞬はといえば、その横で あっけにとられるばかり。
「おまえのせいじゃない。気にするな」
いつものこととて、二人の喧嘩を止める気もない紫龍。
そこにやってきた瞬の兄は、喧嘩を止めるどころか、二人に混じって暴れ出し――。

たった2日前のことなのに、それは既に懐かしく大切な思い出になってしまっていた。
明日は、兄だけでなく、気の置けない大切な仲間たちとも離れ離れにされてしまう。
庭の片隅に一輪だけ咲くリンドウの花の前に しゃがみ込んで、瞬は一人で ずっと泣き続けていた。
兄の前で泣くわけにはいかないので、瞬は隠れて泣くしかなかったのだ。
弟が弱いせいで――弱い弟を庇って、兄は生きて帰ってきた者が一人としてない地獄の島に送られることになった。
そして、たとえ楽園に送られても、兄なしでは生きて帰ってこれそうにない無力な自分。

明日の別れが永遠の別れだと、瞬はほとんど確信していた。
だから、瞬の涙は止まらない。
だから、瞬は、ここに隠れていなければならなかったのだ。
涙を兄に見せるわけにはいかなかったから。

『俺が、地獄の島から生きて帰ってくる最初の一人になる』と、兄は言った。
『だから、おまえも必ず生きて帰ってこい』と。
そんなことは無理だと思いながら、瞬は兄に頷いたのである。
兄に涙は見せられない。
兄にだけは 生きて帰ってきてもらいたい。
そのために、瞬は 絶対に、兄の負担になるわけにはいかなかったのだ。






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