フランケンシュタインの幸福






怪物。
それが、私に与えられた名前だった。
私は私を作った者に、名さえつけてもらえなかったのだ。
人は、人の言葉を解さない犬や猫にさえ名前をつけて、愛育するらしいのに。
もし 私の容貌が 美しかったら、私は私の“親”に愛されたのだろうか。
何らかの有意義な目的のために作られたわけではなく、創造主の『神のように、命を作ってみたい』という傲慢な気まぐれゆえに作られた命であっても、美しければ愛されたのか。

私は醜さゆえに、私の創造主に愛してもらうことができなかった。
愛どころか!
私は 私の創造主に激しく嫌悪され、憎悪の対象にさせられた。
私を醜く作ったのは、他の誰でもない 創造主自身だったというのに。
何という身勝手、何という悲しみだろう。
私を作った私の創造主は、ヴィクター・フランケンシュタイン。
スイス人だが、ドイツ・バイエルンの大学に籍を置く、傲慢で軽率で残酷な青年だった。

『容姿が美しければ、私は愛されたのだろうか』という疑問が、『醜くなければ、私は人に受け入れてもらうことができたのだ』という確信に変わったのは、私の創造主が私の醜さに恐れを成し、私を作った責任を放棄して、私を見捨て 逐電してしまったあとに、ある人に出会った時だった。

私は、複数の人間の死体を繋ぎ合わせて作られた人造人間で、生まれた時から姿は大人だった。
かなり混濁していたが意識も、知能も、大人のそれだった。
だが、残念なことに、記憶は ほとんど失われていて――つまり、知識や教養は皆無。
それらを私に与える前に、私の創造主は私を捨てたのだ。
愛どころか、衣食住――生計を立てていく術さえ教えずに、私の創造主は無一物の私を放り出した。

無目的に作られ、ゴミのように捨てられた命でも――私は死にたくなかったし、生きていたかった。
命を保つためには 何よりも食べ物が必要で、それを与えてくれる親のなかった私は、人家に忍び込んで、それを無断で分けてもらうしかなかった。
普段はドナウ川沿いにある森の中に潜み、果実や貝を採って飢えをしのぎ、どうしても それだけでは足りなくなったら、近隣の村に赴いて、留守の家に忍び込み、パンや肉や、時には衣類を分けてもらう。
そんなふうにして、私は少しずつ、ドナウ川を川下へと移動していった。

場所を移動したのは、一つところに長く留まって、人に見付かり 捕えられることを恐れたからだ。
創造主にすら忌み嫌われた醜い姿。
私は、できる限り、人目を避けていたが、思いがけなく 人と鉢合わせしてしまうことがあり、そういう時、人は恐慌の悲鳴をあげて逃げ出すか、武器を持っている場合には、その武器を用いて 私を傷付け追い払おうといるのが常だったから。

私の当てのない放浪の旅が始まって どれくらい経った頃だったか――。
私は、川沿いの森の中に、村から離れたところに建つ、丸太でできた一軒家を見付けたんだ。
そこには、老人が一人で暮らしていた。
人家が幾つもある村の中に入っていて 住人が出掛けている家を探すより、森の中の一軒家の方が 安全かつ容易に食べ物を手に入れることができる。
同じ家に二度 忍び込まない――という、それまでの やり方を放棄して、私は、二度三度と その家に忍び込んで パンを分けてもらった。
そして、四度目に忍び込んだ時、ついに 老人に見咎められてしまった――もとい、気付かれてしまった。
見咎められたわけではなかったんだ。
老人は盲目だったから。

老人は、年老いてから病で視力を失ったらしい。
それで、家族に迷惑をかけないため、不要の人付き合いを減らすため、村から離れた森の中で一人暮らしを始めたのだそうだった。
彼は、私より小柄で、物静かで、私の醜さが見えないから 私の醜さに恐慌を起こすことなく、飢えている私に同情し、仕事を手伝ってくれたら食事を与えようと言ってくれた。
私は、その提案を受け入れ、彼の家の納屋で寝泊まりする許可を得た。

老人は、私を、ナポレオンのドイツ・フランス戦役の混乱で親を失い、そのため 学校にも行けなかった浮浪児だと思ったようで、私の境遇を深く哀れんでくれた。
そして、無知な私に、いろいろなことを教えてくれた。
食事の作法、火の起こし方、天気の推測の仕方。
怪我をした時や 熱が出た時の対処方法。
毎日 神に祈りを捧げ、良い人間になろうと努力しないと、死後 その魂は 厳しい神の裁きを受けること。
他者を傷付けてはならない。
嘘をついてはならない。
むやみに怒ってはいけない。
勤勉でなければならない。
それから、人の家に黙って入り込んで物を分けてもらうのは、窃盗という忌むべき罪だということ。
もし どうしても欲しいのなら、その代価となるものを渡して譲ってもらうべきだということ。
何も持っていないのなら、労働力を提供すればいいのだということ。

私は、老人に教えてもらった通りにした。
水汲み、薪集め、家や納屋の修繕や掃除をして、パンを分けてもらうんだ。
老人は、私の学習と更生を喜んでくれた。
老人は、盲目なせいもあったろうが、所作も性質も穏やかで静かで親切な人間だった。
物知りで、醜い私に優しく接してくれた。
彼と知り合うことによって、私は、『私の醜さに気付かない人は、私を受け入れてくれる』という事実を知ったんだ。
つまり、『醜くなければ、私は人に受け入れてもらうことができたのだ』という事実を。

だが、世の中には、盲目でない人の方が多いのだから――私は、盲目の老人の生活の手伝いをしながら、永遠に彼と暮らすことができたら どんなにいいだろうと、心底から思った。
もちろん、それは 儚い夢でしかなかったが。

ある日、老人の家に、老人の息子と孫だという男たちが来て、私を見るなり、恐怖の叫び声をあげた。
それで、私の静かで平和で幸福な日々は、あっけなく終わった。
彼等は、手近にあった棒を振り回し、私を打ち据えようとした。
老人が 私を庇おうとしてくれたが、老人の息子たちは老人の話を聞こうともしなかった。
「父さんは騙されているんだ! あれは悪魔だ! 化け物だ! 怪物だ! 今、父さんに襲い掛かろうとしていた!」

嘘つき! 私がいつ !?
私は、乱暴に振り回される棒より、私に向けられる彼等の憎悪にこそ恐怖を覚え、永遠に暮らしたいと望んでいた老人の家から、命からがら逃げ出した。






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