『大好き』を伝えに






僕の再入団が 奇跡の復活と言われていることは知ってる。
実際、そうなんだろう。
僕自身、半年前までは、僕の役者人生は、過疎化が進む地方の小さな田舎町の趣味のアマチュア演劇サークルの一員で終わるしかないんだと思ってたんだから。
いや、僕は そのアマチュア演劇サークルからさえ、脱落しかけていたんだ。
でも、僕は復活した。

その名を出せば 日本国内なら知らない者はいないだろう、知名度もレベルも国内随一の大規模劇団4S。
そのミュージカル部門の入団テストの合格率は、毎回 約2パーセント。
応募者1500人、合格者30人の難関に、僕は 二度目の合格を果たしたんだ。

一度目の合格は4年前。
19歳で合格し、僕は、まずは 研究生として、劇団4Sに籍を置くことになった。
怖いくらい順調に力を養い、よい評価を受け、役をもらい、舞台に立てるようになっていたのに、些細なことで、劇団の実力者である演出家とトラブルを起こし、僅か2年で退団。
田舎に帰って くすぶっていた僕に、もう一度 夢を見る力を与えてくれたのは、一人の小さな女の子だった。
対峙する人間を 大きな瞳で まっすぐに見詰め、『大好き』を『大好き』と言う、とても小さな、とても可愛い天使だ。


僕が劇団4Sのミュージカル俳優になると決めたのは、小学校4年生の時。
僕の暮らしていた地方が台風の直撃を受け、町の ほぼすべての住宅が浸水被害に遭うという不運に見舞われた時だった。
隣りの町では 川沿いの堤防が壊滅状態。更に その隣りの村では山が崩れ――状況は地勢によって様々だったが、住宅や田畑が 濁流や土砂に埋まったのは どこも同じ。
台風が去っても 地域の住人は皆 呆然――という ありさまだった。

そんなところに 劇団4Sが慰問に来てくれたんだ。
高台にあった おかげで奇跡的に全く被害を受けなかった僕の町の公民館で、僕は生まれて初めてミュージカルを観た。
家の床が泥で埋まってることなんて、一瞬で忘れたな。
その迫力に圧倒され、僕が進む道は それしかないと思い詰めて過ごした小中高校生時代。
僕は 高校卒業と同時に上京し、4Sの入団試験を受け、一発で合格したんだ。

そんな奇跡が なぜ起きたのかは、正直 僕自身にも よくわからない。
10分 走れば終わる故郷の町のメインストリート。
毎日 そこを走って町外れに行き、田んぼと その向こうにある山に向かって、最大音量で 歌を歌っていたのがよかったのだとしか。

実際、僕は、どんなに頑張っても、入団テストに合格するまで2、3年はかかるだろうと思っていたんだ。
その間、少しでも割のいいバイトをするために、僕は高校は普通科ではなく工業高校に進んだ。
僕の家は、町で一軒だけの電気店だったから、父さんは僕が稼業を継ぐつもりでいるのだと信じ、僕の進路選択を喜んでいた。
その父さんの期待を、僕は裏切ってしまったんだけど――なにしろ毎日 山に向かって歌ばかり歌っている僕を見てたから、母さんは そうなることを予期していたみたいだった。

ともかく、僕は、超難関と言われていた劇団4Sの入団試験を受け、一発で合格したんだ。
それで、自分には才能があるのだと思い込んだのが よくなかったのかもしれない。
研究生から、正式に劇団員になり、脇役ではあったが 大劇場の舞台で歌い演じることができるようになるまで1年もかからず、僕の役者人生は まさに順風満帆。
最初の躓きが、致命的な躓きだった。

劇団4Sは、年に1つか2つ、新しい演目を舞台にかける。
基本的に1ヶ月間の公演。
人気が出れば公演期間は延び、何年ものロングランになることもある。
入団して1年が経った頃、新しい演目のメインキャストの劇団内オーディションをするから 明日4時にスタジオに入るようにという連絡を貰った僕は、いよいよ脇役卒業かと胸を高鳴らせながら、指定されたスタジオに、4時に10分前に入った。
そしたら、すべてが終わったあとだった。
オーディションは2時からだったっていうんだ。
僕は、劇団の事務方から、4時にスタジオ集合っていうメールを貰って――確かに、『4時集合』っていうメールを貰って――そこに行ったのに。

劇団内オーディション自体は極秘で行なわれた。
メインキャスト3人を選ぶのに、候補が6人。
その6人に、オーディション実施の連絡をメールで入れたらしい。
そのメールの文章の一部――集合時間が、僕宛てのものだけ違っていたんだ。

劇団4Sは時間に厳しい。
時間を守れない者は、存在自体が論外。問答無用で役を下ろされる。
時間を守れないと舞台に穴が開くんだから、それは当然のことだ。
僕は新作の演出家の先生から かなり期待されていたんだそうだ。
先生は、メインキャスト3人のどれかは 僕に任せるつもりだったらしくて――だからこそ 先生は僕の遅刻に激怒したらしい。

4時に集合っていう劇団事務からのメールを先生に見せて、僕にも オーディションを受けさせてもらえないかと懇願したんだが、その願いは受け入れてもらえなかった。
そういう特別対応は 劇団4Sでは許されない。
事務方は、同じ文面のメールを候補者6人にBCCで送信したのだから、僕のメールだけ内容が違うはずがないと、取り合ってくれなかった。
実際にメールを見せても、『それが あとから細工したものではないと、証明できないだろう』と逆に疑われ、もうキャストは決まったんだと、冷たく突き放された。

自分は 悪意ある誰かの罠に はまったのだと、僕は思ったんだ。
その“誰か”が劇団の事務方の連絡係に、僕にだけ集合時間の違うメールを送るよう仕向けたのだと。
“10年経っても 脇役”が大部分の劇団で、コネも華々しい受賞歴もないペーペーの僕が 大役を任されることを快く思わない人間がいる可能性に、その時になって初めて、僕は気付いた。
僕は 田舎では、“イケメンでもないのに、芸能人を目指して歌ばかり歌っている変人”で、人に羨まれたり妬まれたりしたことは、ただの一度もなかった。
だから、そういったことに鈍感だった。自分が人に妬まれ陥れられるなんて、そんなこと、考えたこともなかった。

初めて人の悪意の標的にされて、僕は ほとんど恐慌状態に陥った。
僕は 自棄になり、生まれて初めて酒を飲み、酒に飲まれ、アパートに帰る途中の路上で寝てしまい――夜明け近く、自転車で通りかかった人が、歩道に足を投げだして眠っている僕を避けようとして バランスを崩して横転。全治1ヶ月の怪我を負った。

請求された治療費と和解金は100万円で、脇役で舞台に立つのがやっとの しがない劇団員に払える額じゃなかった。
劇団員は副業禁止だし――副業が禁止されてなくても、僕は結局 そうしていただろうな。
自分が情けなくて、恥ずかしくて――僕は そのまま劇団4Sを退団した。
小学生の頃から憧れ続けてきた劇団を、入団して たった2年で。
それまでが順調すぎるほど順調だったから、挫折感が大きくて、僕には、ミュージカル俳優になるのを諦めるっていう選択肢しか 思いつかなかったんだ。

劇団を退団した僕は、昼間は家電修理のアルバイト、夜は いわゆる夜の店のホールスタッフとして働いて、半年かけて 何とか治療費を支払った。
支払い終えた時には 身体も心も ぼろぼろで――『親には頼れない』って思って頑張ってたのに、死なないためには 親元に帰るしかなかった。
死なないため――いや、僕が田舎に帰ったのは、未練を断ち切るためだったかもしれない。
ミュージカル俳優になりたいという夢は、僕にとっては、小学生の頃から10年以上の長きにわたって抱き続けてきた大切な夢だ。
劇団4Sの大舞台に立つ夢は破れても、簡単に吹っ切ることは難しかった。






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