何も言わずに僕を迎え入れてくれた両親に詫びるように稼業の電気店の仕事を手伝い始めた僕は、町の公民館の空調点検に行った時、そこで、過疎化が進む田舎の町の活性化のために住民が主体になって、様々な地域活動が行われていることを知った。 健康講座だの、英会話教室だの、絵画サークルだの、卓球クラブだの、それから 郷土料理保存サークルなんてのもあった。 中に、演劇サークルっていうのがあって、つい そこを――演劇サークルが活動している会議室を覗いてしまったんだ。 参加したいと思ったわけじゃなく、『どんなことをしているんだろう?』っていう、単なる興味本位で。 ところが、なにしろ、過疎の町で、参加者が足りていない小さなサークル。 一人でも多くの参加者をほしいサークルのメンバーに、『見学だけでいいから、ぜひぜひ』と、すぐに部屋の中に引っ張り込まれてしまった。 その演劇サークルがやっているのは、ミュージカルではないが、ストレートプレイとも言い難い、一種独特の演目。 (民謡っぽい)歌あり、(盆踊りっぽい)ダンスありの、素朴な郷土紹介劇だった。 35歳から67歳まで、メンバー数は全部で8名。平均年齢51歳。 とにかくメンバーを増やしたい。 若い者なら、更にいい。 町に一軒だけの電気屋の夫婦なら、みんな知ってるし、その息子なら 身元も確か。 『ぜひ仲間になってくれ』、『ちょうど台所に温風器を買おうと思っていたところだ』、『ちょうどいいから、冬が来る前に空調を新しくしようかな』なんてことまで言われて、断り切れず――しばらく試しに、サークルのおじさん おばさんたちと一緒に活動してみることにしたんだ。 だけど――。 歌も芝居も、『へただ』と言われたわけじゃない。むしろ、その逆。 僕 一人だけが本格的すぎて、浮く。溶け込めてない。不自然だ。 もっと素人っぽい方がいいだの、毛並みが違いすぎるだの、そんなことを言われた。 歌や演技が下手な人間の演じ方も知らないわけじゃないから、それもやってみたんだけど、それには、『なーんか、下手さが上手すぎるんだよなぁ』というコメントをもらった。 過疎の町のアマチュア中年だけの演劇サークルとはいえ、健康教室でも卓球クラブでもなく 演劇サークルを選んで参加しているだけあって、彼等は実技は 好きの横好きだったけど、見る目は確かだったんだ。 彼等は『うーん』と唸って 黙り込んでしまい、僕は それを『もう来なくていい』という彼等の意思表示なのだと思い――それきり演劇サークルには行かなくなった。 でも、そこで、歌ったり演じたりしたのが よくなかったんだろうな。 僕は、舞台に立ち、人前で歌い演じることの快感を思い出してしまったんだ。 こういうのも『焼けぼっくいに火がついた』って言うのかな。 そう。 一度は消えかけていた僕の夢の枝に、再び火がついてしまったんだ。 誰かとチームで演じるのが無理なら、一人芝居という手がある。 僕は、ネットで 一人でも演じられそうな演目の脚本を探し、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』を音楽劇に仕立て上げた台本を見付けた。 登場人物は、ゴーシュの他に、猫、カッコウ、タヌキ、野ネズミ。 それを全部 一人で演じれば、一人ミュージカルの完成だ。 必要な音楽や効果音は事前に用意しておいて、演技しながら 僕がオンオフのスイッチを入れればいい。 『できる』と思ったんだ。 準備に一ヶ月かかった。 歌や演技より、衣装や大道具の準備の方に苦労するかと思ったんだけど、ハリボテのセロ、猫耳、カッコウの翼の耳、タヌキの耳、ネズミの耳、劇で使った道具の中古品。 今は、ネットで探せば格安で すぐに手に入る。 すべての準備が整ったら、僕は もうやるしかなかった。 演じる場所もあった。 劇団4Sの大劇場1500席に比べたら、その30分の1くらいだけど、町の児童館の講堂。 乳幼児から18歳未満の子供の遊び場である児童館は、いつも“遊び”のネタやイベント募集中なんだ。 町に 特別の予算を求めず、公序良俗に反しない内容なら、使用許可を得られれば、講堂は無料で貸してもらえる。 ただし、町民から入場料や参加費を取るのは駄目で、完全自腹のボランティア。 でも、それで 演じる喜びを もう一度感じられるのなら。 僕は ためらわなかった。 一応 ネットのイベントPRサイトには登録したけど、僕は全く無名だし、僕の町は東京から電車で2時間かかる超田舎。 その上 児童館は 駅からも遠い。バスも1時間に1本しかない。 名目は子供のためのレクリエーションだから、当然、平日の午後早い時間の公演。 いくら無料でも、外部からの観客は期待できない。 当日は、小学校にも入っていない歳の幼児が10数人。 幼児の母親が数人。 午後の授業がない小学校低学年の児童が10数人――という、ささやかなものだった。 これで50ある席の6割が埋まったんだから、大したものだ。 それから、公民館の町内イベント告知掲示板で この公演のことを知ったんだろう、劇団サークルのメンバーが来てくれた。 僕の公演を すごく観たいわけじゃなく、興味があるわけでもなく、どちらかというと、自分たちが追い出したメンバーの失敗を期待しているんじゃないか、失敗したら嘲笑ってやろうと考えているんじゃないかと、正直、僕は疑心暗鬼を生じかけた。 けど、たとえ そうだったとしても、観てもらえるだけで嬉しいと――演じることに飢えていた僕は、虚心に そう思ったんだ。 50ある席が40埋まっただろうか。 開幕予定時刻の10分前、ちょっとした――いや、かなりの騒ぎが起きた。 児童館の車寄せに すごく大きな黒塗りのセダンが乗りつけて、その車から 異様に目立つ家族(?)が降り立った――らしい。 演劇サークルのメンバーが、僕を“浮く”と言ってたけど、浮くどころの話じゃない。 彼等は そんなに派手な服を着ていたわけじゃなかったし、ごく静かに講堂に入ってきたんだけど、それでも席に着いて開幕を待ってた観客たちが 一斉に その家族の方に視線を向けた。 人気絶頂期のジュリー・アンドリュースや ジーン・ケリーだって、ここまで輝いていたかどうか。 金髪長身の超イケメンと、白百合の聖母もかくやとばかりに清楚な美貌のパートナー。 金髪イケメンは、明るく生き生きした笑顔を持った小さな女の子を抱きかかえていて、自分自身が白百合のような美人は花束持参。 特別な人たちだと察したのだろう児童館の職員が、いい席を用意しようとしたが、彼等はそれを固辞したらしく、結局 小さな女の子だけが、児童館の子供たちに混じって前方の中央の席に着くことになった(いい席も そうでない席も、要するに ただのパイプ椅子なんだけどな)。 誰なのか、全く心当たりがない。 一度でもあったことがあるなら、忘れるはずがない。 間違いなく、今日が初対面だ。 だが、とにもかくにも、世界的映画スターかスーパーモデルの見た目とオーラを持った二人の観客の登場で、僕の舞台への期待値が(いわゆるハードルが)上がった。 これほどの人たちが観にくる舞台が しょぼいものであるはずがない。 未就学児童は別として、それ以上の年齢の観客たちの目が真剣になったように見えた。 いや、実際に真剣になったと思う。 そして、開幕(開く幕はなかったけど)。 僕自身 滅茶苦茶緊張して(それは何て心地良い緊張であることか)、夢中で――全身全霊で、演じた。 楽団長に叱責されて、失意のセロ弾きのゴーシュ。 そのゴーシュを、めいめい 好き勝手なことを言って練習に誘う動物たち。 動物たちのおかげで見事な演奏ができるようになり、演奏会で大喝采を浴びるゴーシュ。 音響が良いとは お世辞にも言えず――むしろ、かなり悪く――大道具も ほぼないようなもの。 耳と歌声だけが違う、猫、カッコウ、タヌキ、野ネズミは、子供たちにもわかるように かなり大袈裟に演じたつもりだが、わかってもらえたかどうか。 僕は 少なからず不安だったんだが、不安は杞憂だった。 用意していた、ゴーシュのセロの演奏に向けられた“大喝采”のBGMは、実際の観客たちの拍手で聞こえなくなっていて―― 一般人(その中には、もちろん僕も含まれる)とはオーラが違う二人と一緒に来た、明るい目をした小さな女の子が、いちばん大きな拍手をしてくれていた。 |