カーテンがないのにカーテンコール。 主役を演じたのは これが初めての僕は、芸もなく、お辞儀と『ありがとうございました』を繰り返すしかなかったけど、実際、それ以外に伝えたい気持ちはなかったんだ。 観てくれて ありがとう、僕に演じさせてくれて ありがとうっていう気持ちだけ。 舞台が終わっても観客たちが なかなか席を立たなかったのは、どうやら映画スターかスーパーモデルみたいな外からの客の正体が気になるかららしかった。 それは 僕も気になったよ。 児童館の職員さんたちが 講堂に並べていたパイプ椅子を片付け始めると、世紀の美男美女カップルが女の子の側にやってきて、白百合の君が 手にしていたブーケを女の子に手渡した。 そして、舞台の片付けを始めようとしていた僕の前に来て―― 白百合の君が、僕に会釈をし、尋ねてきた。 「劇団4Sにいらした影季 将さんですよね」 「あ……はい、そうですが……」 僕は確かに劇団4Sの舞台に立ったことはあるけど、名前を覚えてもらえるほど大きな役をこなしたことはない。 なのに、白百合の君は 僕の名を知っていた。 「娘が あなたの大ファンなんです。お花を受け取っていただけると嬉しいのですが」 そう言われて、下の方に視線を向けると、オレンジ色の薔薇のブーケを持った あの女の子が、上目使いに僕を見上げていて――もじもじしているような、わくわくしているような彼女の表情を確かめるために 膝を折ろうとしたら、金髪ド迫力のイケメンが 女の子を抱き上げて、僕と女の子の視線を 同じ高さにしてくれた。 彼女は、頬を紅潮させて、 「ゴーシュが最後に優しくなって、よかったです!」 と言って、僕にブーケをくれて――僕の“大ファン”なんてものに会うのも今日が初めてなら、演じたあとに花束を貰うのも、今日が初めて。 今日は いったい なんて日なんだろう。 「あ……ありがとう……ありがとう。花を貰うなんて、生まれて初めてだ。とても嬉しい。あの……お名前は何ていうの? 僕の舞台を、前にも どこかで観てくれたのかな?」 僕の質問は、彼女にとっても嬉しいものだったらしい。 彼女は、瞳をきらきらさせて、大きく頷いた。 「私の名前は ナターシャダヨ。ナターシャは、練馬区の光が丘ホールで観た『親指姫』のミュージカルで、ツバメさんが とってもカッコよくて、優しくて、ナターシャは ツバメさんの歌が大好きになったんダヨ!」 「親指姫のツバメ……」 それで わかった。 親指姫のツバメ。あれは確かに、名のある役だ。 4Sの大劇場の舞台じゃなく、他の場所での子供向けの特別公演で、ナターシャちゃんは僕の歌を聞いてくれたんだ。 4Sの大劇場以外の場所で行なう子供向け特別公演――。 未就学児童は、4Sの大劇場では 舞台を観ることができない。 上演中に、泣いたり騒がれたりしたら困るからだ。 でも、幼い子供たちにもミュージカルの楽しさを知ってもらいたい――というので、劇団4Sは 大劇場以外のホールや公会堂で、未就学児童の観劇可の堅苦しくない公演をすることがある。 『親指姫』のツバメは、退団の2ヶ月前まで、僕が関東圏のあちこちで演じていた役だ。 「ツバメさんは、優しくて、カッコよくて、お歌も上手ナノ。ナターシャは、『悲しいことにも苦しいことにも耐え抜いて、ツバメは飛ぶ~』のところの歌い方が大好きなんダヨ。ほんとに飛ぶみたいで、好きなの。すごく素敵なの」 ナターシャちゃんは、ツバメの歌をメロディをつけて歌ってみせてくれた。 ナターシャちゃんは、僕が歌ったツパメの歌を覚えてくれてたんだ。 「あの歌を……覚えてくれたんだね。ナターシャちゃん、ありがとう」 不覚にも僕は泣きそうになった。 僕は もちろん、どの役も、どの公演でも、一生懸命 演じ歌っていたけど、それを『好きだ』『素敵だ』と言ってもらえると、その役を他の役より好きになるし、素敵に思えるようになる。 人間の心っていうのは、複雑なようで、実は すごく単純にできている。 褒められると嬉しい。好きだと言われると、自分も好きになる。 「ナターシャは、お歌には うるさいんダヨ。心を込めて歌ってなかったら、すぐにわかるヨ。あの時、一生懸命、心を込めて歌ってたのは、ツバメの お兄ちゃんだけだったヨ」 「え……」 ナターシャちゃんは鋭い。 こんなに小さいのに、子供と侮ってはいけないな。 ナターシャちゃんの言う通り、大劇場ではなく子供向けの舞台では、4Sの団員でも 気を抜いて演じる役者が多いんだ。 劇団の外の会場での公演には、監督もプロデューサーも演出家も来ないし、入場料も安い。 演じるのも、ほとんど新人ばかりだ。 4Sの団員は、いい環境で演じることに慣れてるから、そうでない公民館や市民ホールでの公演は、度胸試しくらいの気持ちで臨む人間が多いんだ。 僕が大劇場でなくても手を抜かないのは、僕が生まれて初めてミュージカルを観て感動し、ミュージカル俳優になりたいと思ったきっかけが、まさに地方の公民館での公演だったからだ。 僕の人生を方向づけた あの舞台が 実は手抜き公演だったりしたら、悲しいじゃないか。 だから、どんな場所での公演だって、僕は手を抜かないし、気も抜かない。 ナターシャちゃんには、僕のその気持ちが通じたんだ。 嬉しいよ、ほんとに。 嬉しい。 本当に。 「ナターシャは もう一度『親指姫』のツバメさんを観たくて、杉並区のホールにも連れていってもらったんダヨ。そしたら、ツバメさんが別の人で、ナターシャが好きになった歌じゃなくなってタ。それで、ナターシャは、本物のツバメさんに会いたくて――」 「どうしても本物のツバメさんに会いたいというものですから、劇団の方に問い合わせたりもしたんですけど、情報はいただけなくて……。影季さんは 決して演じることをやめないだろうと信じて、お名前を 芸能イベント情報サイトの検索ワードに登録しておいたんです。この舞台の告知を見付けた時は、娘は大喜びだったんですよ」 「ナターシャは嬉しくて、バンザイしたヨ!」 ナターシャちゃんは そう言って、イケメンパパ(パパなんだよな?)に抱っこされたままで、万歳をしてみせてくれた。 それで僕は思い出したんだ。 練馬区の光が丘ホールで、僕は確かに この女の子に会っていた。 親指姫の舞台が始まる前、ホールの出入り口に障害者用に緩いスロープを作ったんだ。 そこで万歳の格好で転んだ女の子がいて、僕は その子を助け起こしてやった。 あれがナターシャちゃんだった。 そうだ、間違いない。 『大丈夫? ここは、平らなように見えるけど、少し下り坂になってて、普通に歩いていても勢いがつくんだ。ごめんね』 『ナターシャ、大丈夫ダヨ。ありがとうダヨ』 『可愛いお姫様が無事でよかった。気を付けてね』 『ハイ!』 鼻の頭が少し赤くなってたけど、大きな怪我はしていないようだった。 元気な返事を返してきたナターシャちゃんに、僕は、 『楽しんでいって。僕も頑張るから』 と言ったんだ。 それからホールの職員と、スロープの注意書きを出した方がいいんじゃないかと話してたら、 『マーマ、あのお兄ちゃんが、ナターシャのこと、可愛いお姫様だって』 嬉しそうな女の子の声が聞こえてきて、パンフレットを買ってくれたらしい“マーマ”が、 『ツバメさんの役の人だね』 と教えてやる声がして――そうだ、あの時の女の子だ。 「スロープで転んだお姫様……?」 僕が思い出したことに、白百合の君は気付いたらしい。 彼女は にっこりと僕に笑いかけてくれた。 「あれ以来、娘はすっかり影季さんのファンになって、影季さんが出演なさっている作品も すべて拝見させていただいたんです」 作品をすべて――って言っても、僕は3作品しか出ていない。 『親指姫』の他は、どれも ちょい役で、名さえない役だ。 「ナターシャは、『にゃんこ!』のDVDも『ルンバの大冒険』のDVDも観たヨ! ナターシャは早く大きくなって、DVDじゃなく劇場に、お兄ちゃんの お歌を聞きにいくヨ!」 「ナターシャちゃん……」 ナターシャちゃん、ナターシャちゃん、ナターシャちゃん。 僕に こんなに素敵なファンがいたなんて! ならば僕は―― ナターシャちゃんが大きくなった時、僕は 舞台の上にいなくては。 何としても、絶対に。 僕は ほとんど泣きそうになりながら、そう思った。 いや、そう決意したんだ。 ナターシャちゃんが大きくなった時、僕は絶対に舞台の上にいるのだ――と。 |