ナターシャは すっかり、“おじいちゃんに甘やかされる孫娘”モード。
ほしいものは何でも買ってくれて、甘いケーキは食べ放題、甘いジュースも飲み放題。
マーマと違って、『麦茶で我慢して』と言わないカミュに 狂喜しているようだったナターシャの様子が 変わってきたのは、カミュの“孫娘を甘やかす おじいちゃん”ライフが始まって1週間ほどが経った頃だった。

孫を溺愛し 甘やかしまくるのは困りものだが、カミュがいれば、ナターシャの身の安全は確実に保障される。
それだけは安心して、仕事に行く準備をしていた氷河の許に、ナターシャが やってきて、何やら大きな箱を差し出した。
大きな箱といっても、ナターシャが一人で持てる程度のものであるから、さほど重いものではない。
「パパ、今日から、これを背負って、お仕事に行って」
ナターシャが そう言って 氷河に差し出したものは、カミュから買い与えられたとおぼしき薔薇色のランドセル(の入った箱)だった。

「何だ、これは。ランドセル……?」
「ウン。おじいちゃんが買ってくれたノ」
国籍はフランス。正真正銘のフランス人。勤め先の本部はギリシャ。赴任地はシベリア。
そんな身の上で、孫にランドセルを買うことを思いついたカミュを、ナターシャのパパは褒めるべきなのだろうか。
そんなことを思いついてランドセルを買うカミュもカミュだが、売る店員も店員である。
それとも小学校入学まで何年もある孫のためにランドセルを買おうとする祖父母というものは、昨今の日本では さほど珍しいものではないのだろうか。
だとしても――たとえナターシャが『おじいちゃん』と呼んでいても、カミュはナターシャの祖父には見えないだろうに。

そういった事柄を考えれば、今 ここにランドセルがあることは 極めて非合理で、不合理で、不条理なことなのだが、だからといって、今 ここにランドセルが存在する事実までは、氷河にも否定できない(ので、氷河は否定しなかった)。
今の氷河には むしろ、今 ここにランドセルが存在する事実より、ナターシャに そのランドセルを背負って仕事に行くように求められたことの方が、より切実で、より深い謎だったのだ。

「それを背負って、仕事に……?」
もちろん冗談で言っているのだろうと決めつけて(というより、冗談であってほしいと期待して)、氷河はナターシャに反問したのだが、ナターシャは冗談どころか大真面目。
深刻と言っていいほど真剣かつ大真面目な目をして、彼女は氷河に言い募った。
「日本のランドセルは、軽くて丈夫で お洒落で、すごく素敵って、外国でも人気なんだって。お店の人が そう言ってた。ナターシャが小学校に入るのは ずっと先だから、このランドセル、それまでパパが使って」

ナターシャは大真面目のようだが、水瓶座の黄金聖闘士が薔薇色のランドセルを背負って、一応 大人の憩いの場とされているバーに出勤するのは、多分ギャグにしかならない。
それも、社会風刺やウィットやエスプリの要素皆無の爆笑ナンセンスギャグにしか。
そして、氷河は、たとえナターシャの頼みでも、ナターシャのパパとしての尊厳を守るために、そんな道化た真似はしたくなかったのである。
「いや、さすがに それは……」
氷河が瞬にSOSの視線を送る。
その視線を受け取った瞬は、氷河からランドセルの箱を預かり、箱の側面に記されているランドセルのサイズを確かめて、その箇所をナターシャに指で示した。

「ナターシャちゃん。ほら、見て。このランドセルの肩ベルトは、横幅が30センチ以上 広がらないようになってるの。日本のランドセルは確かにとっても素敵だけど、小学生のためのものだから、氷河が背負うには小さすぎるんだよ。氷河が このランドセルを背負って お仕事に行くのは無理なんじゃないかな」
「エ……」
そう言われて、ナターシャは、一瞬 つらそうに眉根を寄せた。
パパとランドセルを交互に見詰め、やがて項垂れるように頷く。
背負うことができないのでは どうしようもないと、ナターシャは その点は理解し、受け入れてくれたようだった。

「ナターシャ、ずっと しまっておいたら、ランドセルが寂しがるんじゃないかなって思って、それで……」
「ナターシャちゃん、ランドセルのことを心配してあげてたんだね。それなら大丈夫だよ。ランドセルは、ナターシャちゃんに背負ってもらえる時を、わくわくしながら待っててくれる。ナターシャちゃんが お出掛けの日を楽しみに待ってる時と同じようにね」
「ン……ウン」

理屈では納得できるが、感情では納得できない。
そんな目をして、ナターシャは、彼女が小学校に入学する時まで ランドセルをしまっておくことに同意してくれたのだった。


翌日は、ヌイグルミだった。
首に赤いリボンをつけたクマのヌイグルミ。
ナターシャは、氷河に、そのヌイグルミを連れて仕事に行けというのだ。
それは、『クマさんがお酒の匂いに酔っぱらって暴れたら大変だから』と言って、諦めてもらった。


翌々日は、AI搭載の お喋りロボット。
翌々々日は、完全電化キッチンままごとセット。
その後も、さすがにナターシャ用の洋服を着て 仕事に行くように言ってくることはないのだが、バッグや玩具等、カミュに買ってもらったものを氷河のところに持ってきて、それを使うよう、ナターシャは 氷河に求め続けた。

ナターシャのパパとマーマが、さすがに これは何かおかしいと思うことになったのは、ナターシャから一時預かりした人形や玩具の数が10個を超えた時、超えたから。
そして、ほぼ同時に、
『ナターシャに服を買ってやっても、着てくれない。気に入っていないということはないと思うんだ。ナターシャ自身が選んだものなんだから』
と、カミュに相談されたからだった。
その時には、1シーズン先のものを買ったのなら、ナターシャが購入した洋服を すぐに着て歩かないのは当然のことと思い、深刻に考えなかった。
が、カミュがナターシャに買ってやった洋服の実物を、ナターシャの親権者たちが見ていないことを奇異に思い、ナターシャに尋ねたところ、なんとナターシャは カミュから買ってもらった洋服の入った紙袋を十数袋、氷河の部屋のチェストの奥に隠すように押し込んでいたのだ。

ナターシャは賢い子である。
現金で購入し そのレシートを処分したのでない限り、どんなに隠しても、買い物の内容はパパとマーマに いずれは ばれることを知っている。
おじいちゃんが買ってくれたもののことで 自分が叱られる事態は生じないということも、ナターシャは承知しているはずだった。
いつか必ず ばれることを承知の上で、ナターシャが、カミュに買ってもらった洋服を自分の部屋の自分のチェストではなく、氷河の部屋の氷河のチェストの中に隠していた理由。
それが氷河と瞬には――カミュには なおさら――わからなかったのである。






【next】