双子座の病






「一つの身体に二つの人格って、双子座の聖闘士だけが罹る特殊な病気なんだと思ってたよ。サガがそうだったし、先代のカインとアベルもそうだったんだろ? これが意外と双子座限定のビョーキじゃなかったんだなー」
感心したような声音で そう言った星矢の視線の先には、クールな聖闘士を目指しているという噂の白鳥座の聖闘士の姿があった。
「まさか、牡牛座の人間だけが狂牛病に罹り、蟹座の人間だけが癌に侵されると思っていたわけではあるまいな? 特定の星座の人間だけが罹る病気などあるわけがないだろう」
呆れた口調で星矢に そう告げた紫龍の視線も、今は星矢ではなく 似非クールの評判も高い白鳥座の聖闘士の上に据えられていた。
紫龍が自分を見ていないことを承知の上で、星矢が首を横に振る。

「一般人にまで 当てはめようとは思ってないって。あくまでもアテナの聖闘士限定の話――つか、黄金聖闘士限定。牡羊座の黄金聖闘士や射手座の黄金聖闘士が二重人格になったら、イメージ的に おかしいじゃん。ほら、何つーか、看板に偽りありって感じで。二重人格になるのが許される黄金聖闘士って、やっぱ双子座だろ。百歩譲って、天秤座までだな」
「まあ、確かに、氷河が二重人格と言われても、全くピンと来ないが」
世の中には、“イメージ”で片付けて いい事、物、場合と、“イメージ”で片付けてはならない事、物、場合がある。
そして、この問題は、どう考えても 後者に該当することだった。
それはわかっていたのだが、紫龍は つい 星矢の言に深く大きく頷いてしまったのである。
『氷河には、二重人格――正確には 解離性同一性障害――になるイメージがない』という星矢の見解に、紫龍は心底から同意した。


日本国、東京、城戸邸ラウンジ。
中央のメインテーブルを コの字型に囲んでいるのは、イタリアの某高級家具ブランドのソファ。
どこか氷の色にも似た青味がかった灰色のソファの中央の奥の席に、氷河は無言で座していた。
言いたい放題の仲間たちに 氷河が何も言い返さずにいるのは、ここが刑事裁判の法廷(のようなもの)であり、氷河が その被告人だったから。
そして、今、彼は(検察寄りの)裁判官であるところの仲間たちによって、責任能力の有無を判断するための精神鑑定を受けているところだった。

事件は昨夕、城戸邸の瞬の部屋で起こった。
各時代最大の戦いと言っていい冥王ハーデスとの聖戦が、多くの犠牲を出しながらも終結。
その聖戦で死に瀕した星矢の命を 生者の世界に繋ぎ留めるために、過去に飛び、三度目の十二宮戦を戦うことになったが、それも別時代からやってきた人間にできることは すべて行なって、星矢の命を守るという目的を果たした。
彼等の戦いの日々は終わったのだ。

とはいえ、これから いつどんな敵の襲来があるかもしれず、それゆえ、アテナの聖闘士たちは アテナの聖闘士でいることをやめることはできない。
聖闘士をやめるどころか、アテナは彼女の青銅聖闘士たちに黄金聖闘士の位を継承させるつもりでいるようだった。
彼女自身が、そう言った。
そんなことを言った上で、『あなたたちには、アテナの聖闘士としての人生とは別に、一人の人間としての幸福も追求してほしいの』と、彼女の聖闘士たちに 新たな課題を課してくるところが、さすがは戦いの女神というべきか。
『人生は挑戦(戦い)と愛でできている』
それが、彼女の信条なのだ。

大きな戦いが終わったばかりだというのに、のんびりすることも許されず、沙織に そんなことを言われてしまったアテナの聖闘士たち。
これまで戦うために生きること(だけ)を余儀なくされ、実際に戦い、それゆえ 戦いしか知らない彼等が、アテナの望みに戸惑わなかったと言えば、それは嘘になる。
もちろん、彼等は戸惑った。
かなり戸惑った。
が、どんなに戸惑っても、“アテナの命には従う”が、彼等の習性だったのである。

とりあえず、学校にでも行くか。
あるいは、学校という道を通らずに どこかに向かい、何かを実現するか。
戦いという特技(?)を生かして、聖域という組織の中で、後進を育てるという生き方もある。
『あなた方が どんな道を選んだとしても、私は可能な限りの協力をするし、そのために必要な資金も提供するわ』
沙織に そんなふうに言われ、アテナの聖闘士たちは 現在、自らの進路と将来を模索中だったのだ。

未来への道に、具体的な道標があるのは紫龍だけだった。
『何はともあれ、一度 五老峰に帰らなくては』と、彼は言った。
あの地には春麗がいる。翔龍がいる。
そのまま あちらに落ち着くこともあるかもしれない。
紫龍のその考えを聞いて微笑んだ瞬の様子が妙に気にかかって、その夜、氷河は一人で瞬の部屋を訪ねた――のだそうだった。
『俺には、下心など 毫も なかった』と、氷河は証言した。
『俺には』のところに、特に強いアクセントを置いて。

「俺は、瞬が寂しそうだったから――寂しそうに笑ったから、それが気になって、瞬の部屋に行ったんだ。友として、命をかけた戦いを共に戦ってきた仲間の一人として、瞬の身を――いや、心を案じて。俺は そうだったが、“あいつ”が どうだったのかは知らん。あいつは、紫龍のせいで瞬が寂しそうになったことが 気に入らなかったのかもしれん。だが、あいつも、最初は 特段の下心はなかったと思うぞ」
幾分 弁護に傾いた氷河のその証言は、
「一日24時間 常に下心を抱いてるような男が、“特段”下心を抱いてなかったとして、その事実に どんな意味があるってんだよ」
検察官 星矢によって、即座に却下された。


以下、氷河と瞬の証言を元に再現した、昨夕の事件の あらましである。

瞬は、自室のライティングデスクの椅子にも、ベンチソファにも掛けておらず、ベッドに腰を下ろしていた。
氷河は、瞬と対面で話をするために、ライティングデスク用の椅子をベッドの脇に引っ張ってきて、それに腰掛けた。
「沙織さんの無理難題に悩んでいるのか? みんな揃って学校に通うのが、おまえの望みだったとか?」
氷河が そういう訊き方をしたのは、『紫龍と離れるのが つらいのか?』と訊きたくなかったから。
瞬は、氷河に問われたことには答えず、逆に氷河に問うてきた。
「氷河もシベリアに――お母さんの側に帰りたいと思ってる?」
やはり瞬は仲間が欠けることを寂しく思っているのだと察し、氷河は胸中でむっとした。
だが、瞬は、氷河の不機嫌に気付かなかった。

「十二宮、アスガルド、海皇戦、冥王戦、その上、過去でまで、僕たちは これまでの日々を 戦いに継ぐ戦いで過ごしてきた。子供の頃や修行時代だって、戦いの対象が 地上の平和を乱すアテナの敵でなかっただけで、戦いの日々には違いなかったと思う。一般的な尺度で見たら、僕たちは、幸福にも幸運にも 縁のない人生を生きてきた。だからっていうわけじゃないんだけど、どんなにつらいことや苦しいことにも――僕は、大抵の試練は 耐えて乗り越えていけるっていう自信があったんだ。でも、僕、みんなが離れ離れになることなんて考えてもいなくて……。どんなにつらいことも どんなに苦しいことも乗り越えられるっていう僕の自信は、もし つらいことに出会って挫けそうになっても、僕には互いに支え合える仲間がいるから乗り越えられるっていう自信でしかなかったんだよ」
紫龍が五老峰に行って そのまま帰ってこないかもしれないという話を聞いて初めて、そうだったことに 僕は気付いた――と、瞬は言った。

「紫龍は春麗さんのいるところ。氷河はマーマのいるところ。星矢はお姉さんのいるところ。兄さんは、何ていうか、旅の中に帰っていくみたいなところがある。僕だけ、帰る場所が どこにもないんだなあ……って」
しょんぼりと肩を落とし、膝の上で 自分で自分の手を包んで、瞬は そう呟いたのだそうだった。
瞬の そんな寂しげな様子を見せられてしまった氷河は、当然 瞬を励ました。
瞬の膝の上で、頼りなく心許なげにしている瞬の手を握りしめて、氷河は瞬に言った。

「まるで 人生の折り返し地点も過ぎて 疲れ切ってる中年みたいなことを言うな。おまえは 自分の歳が幾つなのか知ってるのか? 俺も おまえも、まだ十代なんだぞ。帰る場所など、これから いくらでも作れる。作ればいい。俺たちには、それができるだけの時間がある」
それは 氷河にしては、なかなか的確な励ましの言葉だったろう。
実際、瞬は、それで力付けられ、それまで俯かせていた顔を上げ、僅かに微笑むことができたのだ。
その視線を捉えて、氷河が重ねて言う。

「俺は、シベリアには帰らない。俺が帰るところは、おまえのいるところだ。俺は そう思っている」
「え?」
氷河のその言葉に、瞬は、ほんの少し 首をかしげた。
そんなことを、瞬は これまで一度も考えたことがなかったので、なぜ そんなことになるのか、そのあたりの事情が、瞬には わからなかったのだ。
氷河が、“そのあたりの事情”を瞬に説明する。

「俺だけではないと思うぞ。一輝も そうだろう。そして、紫龍も 星矢も――沙織さんが、一朝有事の際に アテナの聖闘士が 馳せ参じ守るべき城みたいなものなら、おまえは、俺たちが集い心安らげる場所、俺たちの帰るべき家だ。俺はもうシベリアに帰るつもりはないが、紫龍が五老峰に行き、星矢が姉と共に暮らし、一輝が どこをほっつき歩いていようと、『仲間の許に帰ろう』と思った時、疲れ傷付いた心身を癒したいと思う時、俺たちは おまえのいるところに帰るんだ。まあ、おまえ以外の面子は、俺を含めて誰も、落ち着きがないというか、安心感や安定性を持っていないせいもあるが」
「氷河……」

瞬が欲しかったのは、自分が帰る場所ではなく、自分の居場所、自分がいてもいい場所、生きて存在して いい理由だったのかもしれない。
戦場以外の場所に それを見付けられず、自分が存在する意味を見失ってしまったような気がして、瞬は寂しい気持ちになっていたのだったかもしれない。
氷河に それを与えられ――教えられ、瞬の唇は 今度は はっきりと 微笑の形を描くことになった。
「あ……喜んじゃいけないのかな。それは僕たちに故郷がないっていうことでもあるよね。……でも、氷河に そう言ってもらえて 嬉しい。氷河がそう思ってくれているのなら、僕は とても嬉しい」
そう言って、瞬は、その言葉通りに、とても嬉しそうな眼差しで氷河を見詰めた――のだそうだった。






【next】