瞬の指揮による演奏は、それから10日後――瞬の休日、グラード財団が かつてのグラードコロッセオ跡地に建てたグラードシンフォニーホールで行われた。
世界のオザワは、数日前に来日し既に録画録音を終えたとかで、そのせいもあるのか、グラード財団交響楽団のメンバーは、かなりリラックスしていた――緊張感を欠いていた。
瞬にとっては、その方が、素人指揮者を大真面目に真剣に迎えられるより心理的負担が少なくて好都合だったが。

自分が抱いている曲の完成イメージを楽団のメンバーに伝え、そのイメージに沿った演奏を行なうにはどうしたらいいか、瞬は楽団のメンバーにアドバイスを求めた。
なにしろ、『こう演奏しろ』と指示を出せるほどの知識を、瞬は持っていなかったから。
「リーダーシップを欠いた指揮者で、申し訳ありません」
と、瞬が謝罪すると、
「謙虚な美少女――と聞いていましたが、本当に腰が低い。瞬さんは、初めて接するタイプの指揮者で 面白いですし、新鮮です」
という答えが返ってきた。
オーケストラの指揮者というのは、やはり、強烈なリーダーシップを備えた絶対王者タイプが多いらしい。

3分の曲を作るのに、3時間。
予定時間(普通の指揮者が曲の仕上げに要する標準時間)を 2時間以上超過して、瞬の『白鳥』は出来上がった。
最終的に、世界のオザワの『白鳥』と、瞬の『白鳥』、メトロノームの『白鳥』の完成形を、解説付きで30分程度の動画に編集。
編集後のビデオが 瞬の許に届けられたのは、収録から半月後。
それから更に1週間後、グラード財団主催、文化庁協賛の指揮者コンクールの開催と課題曲が ニュースリリースされた。

沙織の予想通り、指揮者コンクールは 生徒学生の部があることが大きな話題になり、第一次のビデオ予選についての問い合わせが 日を追うにつれて増えているとのこと。
参加問い合わせの増加に大きく貢献したのが、瞬が参加した三者演奏ビデオだったらしい。
実際、届けられた三者演奏ビデオは、『これは多くの子供たちが“指揮者”という存在と その活動内容に興味を持つことになるだろう』と、瞬も確信できる内容になっていた。


三者演奏。
演奏するオーケストラは同じグラード財団交響楽団。
曲も同じサン=サーンスの『白鳥』。
だが、指揮者が違うだけで、その三つの曲は 完全に別物だった。

世界のオザワの『白鳥』は、『瀕死の白鳥』の別名に ふさわしく、華麗で悲愴。
冷たく澄んだ湖で、悲しく孤独な白鳥が 生きるために必死に もがき、やがて力尽きて 息絶えるまでを、これ以上ないほど美しい響きで 表現した作品になっていた。

それに比して、瞬の『白鳥』は、温かく優しい湖で、ゆっくりと安らかな眠りに落ちていく幸福な白鳥の姿を彷彿とさせた。
曲調は白鳥にとっても、『白鳥』を聞いている人にとって、子守歌のそれ。
母の胸の温かさ やわらかさを 曲にしたような調べである。

そして、最後のメトロノームの指揮による『白鳥』は、まさに機械仕掛けの白鳥だった。
無感動の一本調子。
故障知らず、正確無比、死にもせず、眠りもせず、永遠に同じ強さで、そこに存在し続けるだろうと思える命。
その表現。

同じ曲、同じオーケストラの演奏なのに、三つの作品は完全に別作品だった。
そして、三つの作品それぞれに異なる魅力があった。
この動画を見た子供たちの中に、
「僕なら、こうする」
「私なら、もっと違う曲にする」
と思う者は多いに違いない。
指揮法などという 技術的なものは、この際、どうでもいいのだ。
『自分なら、この曲を こう表現する』
三者演奏のビデオは、音楽に親しみ 音楽を愛する子供たちの心を 強く揺さぶるに違いなかった。
多分、沙織の狙い通りに。
瞬は そう確信した。






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