Any Day Now




■ 当該作品中には、映画『チョコレートドーナツ』の結末に関する記述があります ■


“台風”は秋の季語である。
それは承知しているのだが、それにしても 今年の秋は台風が多かった。
それも、強い勢力のまま 日本に上陸し、大きな被害をもたらす台風が。
『数十年に一度の大雨になる可能性が』だの『これまで経験したことのないような重大な危険が差し迫り』だのといったフレーズを数日おきに見聞きさせられ、慣らされて、最近では 慎重派の瞬でさえ緊張感が薄れ、危機管理意識が低下気味だった。

緊張感の欠如もしくは鈍化という、その病は、どうやら瞬だけでなく、いつのまにか日本人全体に蔓延してしまっていたらしい。
危険に対する感覚が麻痺し、たかをくくり、避難指示や避難勧告が出ても避難せずにいて 災害に巻き込まれたり、命を危険にさらしたりした人たちのニュースが、台風通過の報告とセットで報じられるのが、最近の日本国の恒例になっていた。

「あの表現がよくないんだよ。『これまで経験したことのないような』って、5歳の子供と80歳の老人とじゃ、“経験”の内容が違うし、台風上陸数の多い沖縄県民の『数十年に一度』と それほどでもない東京都民の『数十年に一度』も全然 違うだろ。気象庁は、もっと客観的で わかりやすい指標と表現を採用すべきなんだよ。『邪武が いきがってるくらい』とか『アルゴルが騒いでるくらい』とか『アイオリアが暴れてるくらい』とか『ポセイドンが怒ってるくらい』『ハーデスが機嫌を損ねてるくらい』とかさ」

先週 皆が城戸邸に集まった時、星矢が冗談めかして そう言っていたが、あの提案は 例えが冗談だっただけで、現状を憂える星矢の気持ちは完全に真面目で真剣だったと思う。
なにしろ星矢は、ハーデスとの戦いで負った傷を癒すため、日本で最も台風上陸回数の多い沖縄に長く暮らしていたのだから。
とはいえ、星矢の危機管理能力は、沙織のいる場所で、
「いちばん危ないのは、『アテナが おかんむりなくらい危険』かな、やっぱり」
と言ってしまうような、お話にならないほど低レベルなものだったが。

「今の言葉は どういう意味かしら」
沙織のその言葉に震え上がったのは、発言した星矢以外の黄金聖闘士たちだけ。
確かに、危険を察知する人間のセンサーの感度は 人それぞれである。
そして、アテナの聖闘士たちの会合の話題に上るほど、今年の秋の台風発生数、日本上陸回数、勢力、進路、被害規模は、例年に比して かなり多く、大きく、特異で、広く甚大だった。

しかし、さすがに、これが今シーズン最後の台風だろう。
今週末が過ぎれば11月が終わり、日本国は 師も走りまわるほど忙しい月に突入するのだから。
もっとも、人間の定めたカレンダーなど意に介さない大自然の仕事の内容は、冬の到来と共に、『数十年に一度の大雨』が『数十年に一度の大雪』に変わるだけなのかもしれなかったが。

「雨も強いけど、風がもっとすごいね。今、お外に出たら、ナターシャちゃんの身体は 軽いから、どこか遠くに飛ばされて、おうちに戻ってこれなくなっちゃうかもしれない。だから、今日は公園に行くのは我慢してね」
「ウン。ナターシャ、いい子で おうちにいる」
ナターシャは最近、台風に関しては、すっかり聞き分けのいい子になってしまった。
それもこれも、台風被害のニュースで、乗用車が氾濫した濁流に呑み込まれ流される映像や、樹齢数百年の大木が根こそぎ倒れたりする映像を 幾度も見せられたせい。
車よりずっと軽くて、根もない自分は、海の向こうまで流され、世界の果てまで飛ばされてしまうのではないかと、ナターシャは本気で心配しているようだった。
そして、それは あながち杞憂ではない。

「公園で遊ぶ代わりに、絵本でも読む? 映画やアニメの方がいいかな? ブロックで十二宮作りに挑戦するのでも、氷河とお遊戯の練習をするのでも、氷河の筋肉体操のお手伝いをするのでも いいよ」
外に出て駆け回りたいのを、いい子で我慢してくれているのだ。
瞬は、今日の嵐の日を できるだけ ナターシャが楽しく過ごせるようにしてやりたかった。

「ナターシャ、お菓子作りしたいナ。チョコレートケーキか、チョコのクッキー」
「んー。チョコレートケーキを作るには、肝心のチョコレートがないから――お店に頼めば配達してくれるだろうけど、こんな嵐の中、配達をお願いすると、お店の人がチョコレートと一緒に飛ばされちゃうかもしれない」
「お店の人が飛ばされちゃったら、大変ダヨ。じゃあ、ナターシャ、映画 観る」

ナターシャの聞き分けがよくて、本当に助かる。
瞬は ナターシャの気が変わらないうちにと、急いでパソコンを起動した。
動画サイトのトップ画面から キッズお薦めコーナーに進もうとした瞬の手を、ナターシャの小さな手が キーボードを叩くことで引き止める。
ナターシャはカナ漢字変換。拗音や長音の入力の仕方も知っている。
ナターシャが打ったのは、『チョコレート』の6文字だった。






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