酒とダンスと娘と親馬鹿






曲のタイトルは、『祭歌――マツリカ』
幼児にも老人にも 楽に歌える音域の歌。
2番まで歌っても 2分に満たない、短い所要時間。
ラジオ体操より簡単で、いつでも どこでも、幼児にも老人にも容易に踊れる軽快なダンス。
そういった事柄が、その曲のヒットの要因だったろう。
国民的幼児番組で採用され、子供たちが毎日 その歌とダンスに接することになったのも、その曲のヒットに繋がった。

幼稚園の園児たち、小中学校の生徒たち、老人ホームでは おじいちゃんおばあちゃんたちが、職場でOLたちが、最後に会社員のおじさんたちまでが、その曲に合わせて歌を歌い、ダンスを踊り、その動画を動画サイトに投稿するようになったあたりで、曲の発売元のグラード・ミュージックレコーズは、寛大になった。つまり、曲の管理を諦めた。
それまで楽曲の著作権を主張し、無断使用を禁じていたグラード・ミュージックレコーズが、ほとんど 開き直ったように『みんなでマツリカダンスを一緒に踊ろう!』キャンペーンを開始。
当該曲を使ってのパフォーマンス動画を投稿する分には、当該楽曲の使用料を不問とすることを決定、告知。
その決定に伴って、日本国中の運動会、学芸会、発表会等で マツリカダンスが踊られるようになり、また日本各地、世界各地で マツリカダンス・コンクールが開催されることになったのだった。

光が丘公園で、『光が丘公園の中心でマツリカダンスを みんなで踊ろう!』コンクールが開催されることになったのも、練馬区光が丘が 逆らい難い流行の激流に呑み込まれてしまったからだったかもしれない。
『参加資格は、光が丘公園を愛する者であること。参加は、一人でもグループでもOK。お好みの衣装、演出で、お気軽に ご参加ください』
というコンクール参加者募集の立て看板が、光が丘公園や 光が丘駅の各所に設置されることになったのも、その看板を見たナターシャが 可愛いコスチュームを着て そのコンクールに出たいと言い出したのも、すべては流行という現象の持つ力の大きさゆえだったに違いない。

瞬が、病院で同僚たちに その話をしたところ、娘や息子たちに同じことをねだられている医師や看護師が相当数いることがわかり、こうなったら いっそ光が丘病院関係者の家族チームを結成して、皆でコンクールに参加することにしよう――という話が決まったのである。
話が決まると、あとは とんとん拍子だった。

最終的に、光が丘病院関係者チームは、医師、看護師、職員たちの親族で、3歳から7歳までの未就学児童14名で編成されることになった。
チーム名は、マツリカの名にちなんで、チーム・ジャスミン。
白いジャスミンの造花を散りばめた七色のワンピースドレスを まとった7人の女の子たちが、白衣を着た7人の男の子たちとマツリカダンスを踊る――という趣向が決定。
ダンスの振り付けは、改めて覚えるまでもなく 全員が知っているので、練習は自由参加。コンクール直前の全体練習のみ全員参加。
コンクールの3日前からは毎日、病院の庭で立ち位置等の打ち合わせを行ない、チーム・ジャスミンのメンバーは、入院患者や外来患者たちの拍手と歓声を受けていた。






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