そんな奇妙な印象のハインシュタイン城の、トンネルのように長い廊下を通り、瞬が案内されたのは、客間というより、絶対王政時代の王宮の謁見の間とでも呼びたくなるような部屋だった。
部屋の正面奥が 一段高くなっていて、そこに君主の玉座があり、玉座に当主の姿がある。
室内の調度は豪華だが、なぜか すべてが灰色を帯びているように見えた。
この空間で、灰色の空気の影響を受けていないのは、黒色と 金や銀等の輝きを帯びた色だけ。
つまり、瞬をこの部屋に案内してきたパンドラと、この部屋で瞬を迎えたハインシュタイン家当主の二人は、この部屋の(城の?)灰色に染まっていなかった。

パンドラは黒いドレスと銀色の指輪、ネックレス、髪飾り。
彼女の弟であるハインシュタイン家当主は 黒い長衣――聖職者がまとう法衣というより、むしろ中世ファンタジー映画の魔法使いがまとうような長く黒いローブに似た衣装をまとっていて、胸飾りは金。
彼は、パンドラの弟なのだから当然のことなのだが、パンドラより年下。まだローティーンの少年だった。
瞬より大人びて見えたが、瞬と同い年くらいかもしれない。
そこがハインシュタイン家当主の居場所、当主の椅子、そして 当主のまとう衣装なのだろう。
黒衣の少年は、世界に一脚だけの特注品と思われる禍々しく大仰な椅子に、妙に気怠げな様子で腰掛けていた。

「ハーデス様。日本からいらした瞬様です」
パンドラが、瞬を“ハーデス様”に紹介する。
彼女は、彼女の弟を その名に敬称をつけて呼んでいるらしい。
ハインシュタイン家は、当主以外は皆、臣従者という家風の家なのかもしれない。
絶対君主のような“ハーデス様”に比して、瞬は、アテナの聖闘士であることを除けば、いかなる社会的地位も身分も持っていない、どんな肩書きもない無一物の子供である。
グラード財団総帥 城戸沙織の使いというのが唯一の肩書きだったのだが、それは ここでは、あまり力を発揮していないようだった。

しかし、パンドラは、瞬を貴賓扱いしてくれた。
社会的地位や身分を持っていなくても。
瞬が瞬であることに価値があるかのように。
「澄んだ瞳、清らかな眼差し、花のように愛らしい面差し。思い描いていた以上に美しい。我が城に、このような賓客を迎えることができて、光栄至極でございます」
「あの……」

いったいパンドラは何を喜んでいるのか。
これで、彼女の弟にまで、姉と同じ乗りで意味不明の称賛を浴びせかけられていたら、瞬は いたたまれなさに耐えられなくなり、二人の前から逃げ出してしまっていただろう。
が、幸か不幸か(幸だろう)“ハーデス様”は、パンドラに比して 反応が鈍かった。

瞬と同じ年頃――ということは、星矢とも同い年のはずである。
瞬は、なぜか自分とではなく 星矢とハーデスを比べて、陽光と薄闇のような二人の対照性に奇異の念を抱いていた。
確かに そこにいるのに、どこかぼやけた印象。
輪郭がはっきりしないのに、端正な面差しの少年だということはわかる。
もともと表情が乏しい。そして、変化が少ない。

「そなたが……瞬……か」
ハーデスは、その声にも 抑揚がなかった。
「え……あ、はい……」
彼は、見るものを闇の色に染めてしまいそうな黒い瞳で、瞬をじっと見詰め、
「うむ。美しいな」
と、低く呟いた。
パンドラの言葉に頷き、言葉もパンドラが口にしたそれと同じものなのに、なぜかパンドラの意見に賛同したようには聞こえない。
彼は あくまで 彼自身の見解を口にしただけ――なのだ。

“澄んでいる”というのなら、ハーデスの瞳も澄んでいた。
余計な混じりもののない目。輝きが混じっていない闇。
そして、ハーデスの瞳は 不吉なほど静かだった。
長く見詰め、また見詰められていると、気が滅入り――気が滅入るだけならいいが、闇に引き寄せられ、そのまま 囚われてしまいそうである。
そうならないように視線を脇に逸らし、その弾みで、瞬は 自分がこの場にいる理由を思い出すことができたのだった。

『ドイツ・チューリンゲン州にあるハインシュタイン城という城に行き、そこにいる者たちの様子を観察し、彼等について どう感じたか、率直な意見を聞かせてほしい』
“様子を観察して、率直な意見を”、瞬は沙織に報告しなければならないのだ。
あの沙織が、まさか『明るい印象は抱けませんでしたが、美しい姉弟でした』という報告に満足するはずがない。
彼等の人となり、せめて価値観の片鱗だけでも把握して帰らなければ、子供の使いになってしまう。
瞬は、彼等の外見以外の何かを探り知らなければならなかった。

パンドラは気性が激しそうだった。
ハーデスは静かで 大人しそうに見える。
それでも、なぜか 話しかけやすいのはパンドラの方。
瞬は、自分の正面にいるハーデスではなく、脇に控えているパンドラの方を向き、ハーデスではなくパンドラに尋ねた。

「ずっと、こちらのお城に、お二人で暮らしていらっしゃるんですか?」
「ええ。両親は10年以上前に亡くなりましたので、それ以降ずっと。小間使いと下働きは、麓の村の者たちが交代で 城にやってくることになっていて、城内のこまごまとした仕事と雑務は その者たちに任せています。ハーデス様は、人と接することを好まれませんので、ハーデス様の身の回りの お世話は すべて私がさせていただいておりますけれど」
まさか ハーデスには話しかけにくいという瞬の気持ちを酌んでくれたわけではないだろうが、パンドラは そう言いながら、部屋の右奥にあるティーテーブルへの移動を 瞬に促してきた。
いつのまにか、お茶の準備が整ったワゴンが扉の脇に置かれている。
それを用意したのは、あの小間使いだろうから、彼女は本当に ハーデスと直に接することが許されていないらしい。

パンドラは、ハーデスのためのお茶を 彼の玉座のサイドテーブルに置いてから、瞬と彼女自身の分のカップを ティーテーブルに並べた。
ティーテーブルに着いた瞬とパンドラを、ハーデスが少し距離を置いたところから見下ろす形になる。
それはそれで居心地が悪かったが、ハーデスと顔を突き合わせる形で対峙するより、はるかに(心情的に)ましだった。






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