一国記






北の大国 ヒュペルボレイオス と 南の大国 エティオピア。
二つの大国が対立し、宿命的な戦に突入することになった そもそもの原因は、領土争いだったとも、経済的な利害の不一致だったとも、政治的イデオロギーの相違だったとも言われている。
暖かい気候と地味豊かな土地に恵まれ、寒さも飢えの苦しみも知らない南国エティオピアの民を、厳しい冬に耐えなければ生き延びることのできないヒュペルボレイオスの民が妬んだという説。
豊かな地下資源を有効活用できる優れた科学力と 高い文化を誇る北国ヒュペルボレイオスを、農業国の悠長さゆえに文化的には後進国のエティオピアが僻んだのだという説。
建国の際、両国が ある神の寵愛を争ったという説。
当時の南北両国の王子が 一人の美しい娘の愛を得るために争い、流血の結末を迎えたからだという説もある。

ともかく、ヒュペルボレイオスとエティオピア 二大国の戦いは もう200年以上 続いていて、その対立の真の原因は誰も知らない。
戦いが200年も続くと、戦いが始まった そもそもの原因など、誰も どうでもよくなってしまうものなのだ。
それほど長期間に及んでしまった戦いは、戦いの そもそもの原因を取り除いても、戦いが終わることはないから。

無論、二つの国が、200年の間 常に 持てる力のすべてを傾けて 戦いを続けていたわけではない。
そんなことをしていたら、どれほどの国力、軍事力を有している大国でも 息切れしてしまう。
南北双方の部隊が ほぼ全滅するような激戦が起きたり、戦闘そのものが一定期間 途絶えたり――二国間の対立の緊張度に強弱の変化が生じることは たびたびあった。
そして、それでも 両国の戦が終わることはなかった。

和睦や戦争終結の話が これまで一度も出なかったわけではない。むしろ、幾度も出た。
だが、出ても、結局は立ち消えになる。
南北どちらかの国に、戦を好まない王が立って和睦を考え始めると、もう一方の国が その機に乗じて猛攻を仕掛け、和平の話など すぐに なかったことになってしまうのだ。
あるいは、両国の王が同時に 戦いは無益と考え、和睦を図ろうとしても、それまでの戦いで親兄弟や友を殺された者たちが、敵と和解することを拒否して、戦いを続ける。
民の大部分が戦いに倦んで、平和を求める空気が 両国を包んでも、必ず誰かが 憎しみや悲しみの感情に突き動かされて 敵に戦いを仕掛け、そのために 結ばれかけていた和睦の約束は反故にされてしまう。
ヒュペルボレイオスとエティオピアの200年は、そんな200年だった。


北の大国 ヒュペルボレイオス と 南の大国 エティオピア。
南北の大国は、山と海に隔てられている。
北のヒュペルボレイオスの南方には、リパイオス山脈。
南のエティオピアの北方には、イオニア海。
リパイオス山脈とイオニア海に挟まれた地域は、南北どちらの国の領地でもない中立地帯――ということになっていた。

中立地帯に暮らしているのは、戦乱で家を失った者、故郷と呼ばれる場所を破壊された者、戦う術も 戦意も持たない者たち等。
その ほとんどが、いわゆる 弱い者、虐げられた者たちである。
他に、戦いに倦んで軍隊を脱走した兵士や、積極的に戦争に反対している反戦主義者もいた。
理由や経緯は どうあれ、戦いを厭う者たちが集まって、寄り添い合い、支え合い、助け合って暮らしているのが中立地帯なのだ。
そして、中立地帯で暮らす者たちは、南北どちらの国の民でもないことになっていた。
元々は 南北どちらかの国の民だったのだが、家を失い、故郷を失い、多くの親族や友を失って、『戦さえなければ どんなにいいか』と思うようになった者たちに、所属する国はない。

戦は 基本的に破壊行為である。
200年間の戦火と戦渦は、多くの家を、村や町を、人を壊した。――今も、壊し続けている。
そんな悲惨な世界で、だが、人は生きようとする。
人は なぜか、自分だけなら死んでもいいが、我が子や親や兄弟姉妹たちには、どんなに つらく苦しい状態に追い込まれても 死んでほしくないと考えるようにできているらしい。
我が子や親や兄弟姉妹たち――大切な者たち、愛する者たち――を死なせないために、人々は 中立地帯に逃げ込んでくるのだ。

中立地帯は、最初は、住む家を失った10人20人の戦争罹災者が寄り添って暮らす、ただの荒れ地だった。
面積はヒュペルボレイオスやエティオピアに匹敵するほど広いが、ただ それだけの荒れ地。
そこには、家も食べ物もなく、あるのは 石と砂ばかり。
風雨や敵兵の目を避けるのに都合のいい丘や窪みが多く存在するだけの荒野だったのだ。
だからこそ、誰も その土地を欲することがなく、弱い者たちが そこに集まることを 誰も妨げなかったのであるが。

そんな不毛の荒れ地である中立地帯は、200年の時をかけて、拡大していった。
武器を持たず、戦火に追い詰められ、居場所を失った人々。
戦は、そんな人間を量産する。
そんな人々が、中立地帯に流れ込んでくる。
中立地帯の人口は、日々 増えていた。
特に ここ数年の人口増加率は大きい。

人が増えれば、できることも増える。
色々な技術や才能を有する者たちが、荒れ地での暮らしを少しでも快適にするために、持てる力を使った。
住む家を建て、畑を作り、農具を作り、水路を引き、雑貨を作り、衣服を作り、牛や馬を飼い馴らす者たちも出てきた。
小さな集落だったものが、村レベルになり、町レベルになり、人口が5万を超える頃には、多くの住人を公平かつ効率的に保護するための公共の施設も作られるようになった。
幾つもの通りができ、通りは交差し、町としての体裁が整い、それは都と呼べるものになり、自治体としての仕組みが整い、エティオピアやヒュペルボレイオスとの貿易も始まっている。

今では 中立地帯の人口は50万を超えた。
選挙か話し合いで代表者を決めれば、都市国家と呼んで差し支えないものになっている。
その動きは出始めている。
弱い者、虐げられた者たちだけが暮らす国。
戦を厭う者たちだけが暮らす国。
当然、軍隊はない。
それは 奇妙な国だった。






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