長方形の炬燵の長辺の一方に星矢と紫龍、もう一方に氷河と瞬、お誕生日席にナターシャ。
ナターシャの目は 当然、何でも知っているマーマの上に据えられていた。
とはいえ――瞬は 本当に“何でも知っている”わけではない。
瞬にも、もちろん、不得手分野はあるのである。
ナターシャが知りたがるようなことは、大抵 答えることができるだけで。
鼠年に関する質問も、幸い、瞬の守備範囲内にあった。

「そう、今年はネズミ年なんだよ。“年”に動物を割り当てるのは、元々は 中国の風習で、それが日本にも伝わってきたんだ。毎年、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥――鼠・牛・虎・兎・龍・蛇・馬・羊・猿・鶏・犬・猪の12種類の動物を、順番に割り当てていくんだ。それを十二支っていう。十二星座みたいなものだね。今年は、その1番目の年なんだよ。ねうしとらのね――ネズミ」
「ドーシテ、1番目がネズミなの? ヒツジさんじゃないの? 十二星座は 牡羊座から始まってるノニ」
瞬が いい例え話と思って持ち出した十二星座との違いが、ナターシャは気になったらしい。
こんなふうに 色々なことに疑念を抱くナターシャの性向を、瞬は好ましく思っていた。
子供は こうであってほしいと思う。
それは 幼い頃の瞬には許されない知識欲だったから。

「全然 違うように思えるかもしれないけど、十二星座と十二支は とっても似てるんだよ。十二星座の最初の星座が牡羊座なのは、牡羊座が春の始まり――命が芽生える時季の星座だからなんだ。同じように、十二支の最初の『子』っていうのは、新しい命が種の中に生まれ始めることを意味する文字なの。2番目の『丑』は、種の中で芽が出て まだ種の外に伸びることができないでいる状態、3番目の『寅』は、暖かくなって植物が種の外に出て伸び始める状態を意味してる。そうして、植物が 育って、熟して、枯れて――全部で12の段階を通って、十二支の最後の『亥』は、命が種の中に閉じこもった状態。十二支は、植物の命の12の段階を 12種類の動物に当てはめたものなんだよ」

「んなこと、俺、全然 知らなかったぜ。そうだったんだー」
と、瞬の説明に 最初に感心したのは、ナターシャではなく星矢だった。
ナターシャが嬉しそうに、
「ナターシャも全然 知らなかったー」
と、星矢に唱和する。
「そっか。俺と一緒だな」
「ウン。ナターシャは、星矢ちゃんと一緒!」
ナターシャと一緒なことを素直に認め受け入れられるところが、星矢の偉大なところである。
温かい炬燵の力なのか、アラサー男子と3歳の女の子の やりとりに向けられる紫龍の苦笑も、今日ばかりは どこか ほのぼのしていた。

「でね。最初に 十二支に当てはめる12種類の動物を選ぶことになった時、十二支の中に入りたい動物は 神様のところに来るようにって、神様が おふれを出したんだ。猫さんは 十二支に入れてもらおうと張り切って準備をしていたんだけど、鼠さんが神様のところに行く日を、1日遅く猫さんに教えちゃったんだって。そのせいで、猫さんは 十二支の中に入ることができなかった。それで 猫さんは、その時の文句を言おうとして、今でも鼠さんを見掛けると追いかけまわすんだって」
「どうして ネズミさんは1日遅れの日を教えたの?」
「どうだろう。ネズミさんも勘違いしていたのかもしれないし、ちゅう月ちゅう日を にゃあ月にゃあ日と聞き違えちゃったのかもしれない」
「ちゅう月ちゅう日!」
それは確かに 同じ日でも違って聞こえるだろうと、ナターシャは納得したようだった。
本当は納得できていなかったのだとしても、目の前に並べられたケーキのせいで、おそらく ナターシャは その件を忘れてしまった――あるいは、ネズミを嘘つきだと思いたくなくなった――のだ。

「はい、星矢たちが買ってきてくれたネズミさんのケーキだよ。ルコントのスウリー」
そう言いながら、瞬がケーキ皿に載せて ナターシャたちの前に並べたのは、白いフォンダンでコーティングされたネズミの姿をしたケーキだった。
これを買ってきてもらうために、瞬は洋菓子店初売りの日を調べて、炬燵パーティーの日を今日に設定したのである。

「ネズミ年の初売りだからなんだろうけど、ケーキ屋、すごく混んでたぞ。そんで、みんなが そのネズミのケーキを買ってくの。スウリーって、確か」
「フランス語で、二十日鼠のことだ。発音は、スウリーではなく、souris 」
「やかましいわ」
幼女と一緒に十二支のことを知らなかった事実は素直に受け入れられるが、氷河にフランス語の発音を直されるのは不愉快。
星矢のプライドは、なかなか複雑だった。

「ナターシャは、ネコさんのために 猫年を作ってあげればいいと思う。十二宮だって、蛇使い座を増やして十三星座にしたりするでしょ。来年から猫年を作って、それで、ネコさんとネズミさんが仲直りすればいいんダヨ」
「そうだねぇ。そうできたらいいけど……」
こればかりは、ナターシャ一人の一存で決められることではない。
それはナターシャも承知しているらしく、彼女は 殊更に猫年に執着する様子は見せなかった。
スライスアーモンドでできているネズミケーキの耳を食べながら、猫年への執着の代わりに、ナターシャが見せてくれたもの。
それは、猫ではなく ネズミへの執着だった。
可愛いネズミのケーキの姿が気に入ったのか、ナターシャは、
「ナターシャは、ネズミさんを飼ってみたいヨ。ネズミさんは、ネコさんよりちっちゃいから、片手で抱っこもできるヨ!」
と言い出したのだ。
「……」

三人で炬燵を選びに出掛けたショールームで猫用炬燵を見た時から、ナターシャが いつ、『猫用炬燵を買って、炬燵用猫を飼いたい』と言い出すかと戦々恐々していた氷河と瞬には、ナターシャのその要望は 全く想定外のことだった。
猫ではなく鼠。
それは決して無謀な願いではない。
ペットとして、ネズミは、猫、犬、鳥類、魚類の次くらいにはポピュラーな種類といえるだろう。
ナターシャの願いは、ごく普通の、ありふれた願いなのだ。
とはいえ。

二十日鼠、砂鼠、ハムスター、モルモットにデグー。
ネズミ類をペットとして飼っている人間が、つい うっかりケージから逃げられ、壁や柱だけでなく、電気コードやパソコン等の配線コード、ガス管を齧られて、停電や火事、ガス漏れを起こしかけたり、実際に 起こしてしまった話を、氷河は彼の店で3ヶ月に1度は聞いていた。
瞬は、瞬で、医学生時代に、大学の研究室で飼っていたモルモットがケージから逃げ出し、学生総出で探し回る騒ぎに巻き込まれたことがあった。
それだけなら 特段 問題はないのだが、その際、瞬は、高圧電流の電線を齧って感電死したモルモットたちの遺体の第一発見者になってしまったのだ。
そういった経験から、氷河と瞬の中には、もしペットを飼うのなら、たとえ逃げ出されても すぐに居場所がわかる大きさのもの――犬や猫等、もしくは 外に逃げ出す心配のないもの――熱帯魚等――という考えがあったのである。

「ナターシャは、ネズミさんのタマゴを見たいヨ。きっと、ちっちゃくて、可愛いヨ」
というナターシャの誤った知識を訂正することすら思いつかず、瞬はネズミを飼いたいというナターシャの願いを翻らせるための行動に出た。
「ナ……ナターシャちゃん。ネズミさんはね、ネズミ算っていう言葉があるくらい、急激に仲間を増やすので有名なんだよ。たとえば、お正月に、一組のネズミさんカップルがいて、子ネズミを12匹産んだとするでしょう。そうすると、最初のカップルと合わせて14匹になる。そのネズミさんたちは、二月に また子ネズミを12匹ずつ産んで、親ネズミと合わせて98匹になる」

「1月に2匹だったのが、2月には98匹になるの?」
「そうだよ。ネズミは一度に たくさんの子供を産むからね。3月にも、4月にも、5月にも、同じように 月に一度ずつ、親も子も孫もひ孫も月々に12匹ずつ産んでいって、12ヶ月でどれくらいになるかっていうと、276億8257万4402匹」
「え?」
それはナターシャには――誰にでも、とんでもない数だった。

「おうちがネズミさんでいっぱいになって、ナターシャちゃんのいるところがなくなっちゃうね。ナターシャちゃんの お洋服が入ってるチェストや ベッドや玩具も齧られちゃうだろうし」
「ええーっ !? 」
具体的な数字を用いた瞬の説得を聞いたナターシャの頬は 真っ青である。
お洋服が入ってるチェストを齧るネズミが、お洋服を齧らないと思うことは、ナターシャには難しかったのだろう。
おうちの中がネズミでいっぱいになって居場所がなくなるのは、人間が どこかに避難すればいいにしても、お気に入りの お洋服を齧られてはたまらない。
ナターシャは すぐに説得されてくれた。

「ナターシャは、ネズミさんはケーキだけでいいヨ。ナターシャ、裸んぼでいるのは嫌ダヨ」
「そりゃそうだよなー。そんな大量のネズミを飼ってたら、隣り近所にも迷惑がかかるだろうし。ネズミは どんだけ増えても平気な広い野っぱらで、自由に駆け回ってるのが いちばんだぜ」
星矢が けらけら明るく笑って言うので、ナターシャの裸んぼ生活への不安は消えたらしい。

「なかなか偏った教育をしているな」
紫龍の冷静なコメントが、かつてのモルモット大量感電死の悪夢の中にいた瞬を、瞬時に正気に戻してくれた。
自分の経験は極めて特殊なものであって、それをナターシャに押しつけ、ナターシャをネズミ恐怖症にしてはならない――と、瞬の理性が 瞬を諭してくる。
瞬は胸中で自分の理性に頷き返した。






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