昨日の予言






雪の中にぽっかりと、直径10センチくらいの穴が開いて、下の土が覗いている。
それがまるで、冬の終わりから早春にかけて咲く春の花たち――スプリング・エフェメラル――や、春先のフキノトウが地表に姿を見せる時の様子そっくりだったから、俺は急いで その穴の側に駆け寄ったんだ。
花ならマーマに見せて喜ばせてあげられるし、フキノトウなら食べられる。
どっちにしても、これを見逃す手はないと思ったから。

え? フキノトウを知らない?
ああ、そうだな。普通は知らないよな。
フキノトウってのは、日本原産のフキっていう植物が春先に芽を出したばかりの状態のやつをいう。要するに、フキの若芽だ。
フキは幻覚作用がある植物で、昔――ロシアが今よりもっと閉鎖的で息苦しかった頃、誰かが、それで一儲けしようと考えて、こっそり日本からシベリアに持ち込んだらしい。
残念ながら、その誰かが持ち込んだのは幻覚作用のあるフキとは別の種類だったらしくて、この辺りに植えられたフキは、結局 植えられた時のまま 放ったらかしにされたんだ。

それが、今では、春先にはフキノトウとして、秋には山菜のフキとして、俺とマーマの食料になってくれてるんだから、世の中、何がどう転ぶか わからない。
幻覚剤を作って一儲けしようっていう、悪党の悪巧みで持ち込まれた日本の植物が、日本人の血を引くハーフの子供と その母親の貧しい生活を支えてくれてるなんて、皮肉な因果を感じるじゃないか。

ちなみに、フキノトウは揚げ物にして、食う。
秋まで待って成長したフキは、その茎をいろんな味で似て食う。
甘く煮たのは瓶詰めにして、町に持ってって、アンゼリカとして売るんだけど、これが結構 人気を博してる。
美味いし、保存食として1年はもつからな。

フキには、強烈な えぐ味がある。
その上、もともとシベリアにはなかった植物だもんで、馬も牛もトナカイもウサギも――どんな動物も食わない。
この辺りの住人で、フキやフキノトウの あく抜きの方法を知ってるのは、俺とマーマくらいのもんだから、まさに取り放題。
フキのアンゼリカも、俺とマーマの専売特許で、まさに一社独占状態。
この辺りの動物や人間にとって、フキは、何の役にも立たないのに、やたら たくましく はびこる無駄な雑草なんだ。
使い方を知らない奴には、テレビだって洗濯機だって、無駄に場所を取る邪魔な粗大ごみでしかないってことだ。

フキのあく抜きの方法を、マーマは、昔 シベリアに地質調査に来ていた日本人に教えてもらったって、言ってる。
それが俺の父親なのかどうかは知らない。
そうだったとしても、そうでなかったとしても、知る必要はない。
そんな奴、いなくても、マーマと一緒にいられさえすれば、俺は幸せだから。
いつでも、どこででも。

いや、そんなことはどうでもよくて、問題は雪の中の穴だ。
この直径10センチくらいの穴が、どうして開いたのか。
まだ新しい年になったばかり。さすがに春の花やフキノトウには早すぎたらしい。
雪の中にぽっかり開いた穴の中に見えたのは、この時季には懐かしささえ覚える土の色だけ。
植物の熱で生まれた穴でないとすると、この穴は動物の足跡だろうか。

だとしても――ウサギやキツネが こんなに深い足跡を残すはずがないし、クマの足跡にしては小さすぎる。
これが誰かの足跡だとして、最も 可能性が高いのは、人間の足跡ってパターン。
でも、この雪原に俺以外の人間が来ることは 滅多にないし、真冬なら確実に皆無だ。
本当に この穴は何なんだ――と思ったら、俺の前に、なぜか やたらと目のでかい小さな女の子がいた。
俺が何なのか突き止めようとしていた穴の正体は、この女の子の足跡だったらしい。

毛皮じゃないけど、すごく あったかそうな真っ赤なコートを着てて、内側がもふもふのムートン(多分)の長くて黒いブーツを履いてて、歳は 3歳か4歳くらいかな。
俺より小さいし、俺よりは年下だと思う。
ちなみに、俺は今 6歳だ。

着てるものから察するに、いいとこのお嬢さんなんだろうけど、いいとこのお嬢さんが 一人で こんなとこにいたら、遭難して凍え死ぬぞ。
いや、いいとこのお嬢さんでなくても、俺以外の子供が一人で こんなとこにいたら、確実に凍死する。
そもそも、なんで ここに こんな小さな女の子がいるんだ。
見渡す限り何もない雪原だぞ、ここは。

「おまえ、誰だ」
「ナターシャダヨ」
『誰だ?』と訊かれたから、名前を答えたんだろうけど、名前だけ名乗られたって、何の意味もない。
そもそも 俺が知りたいのは名前なんかじゃなくて――でも、ナターシャか。
それは いい名前だ。

「ナターシャ? 俺のマーマと同じ名前だ」
俺が そう言うと、女の子は嬉しそうな笑顔になった。
やけに得意そうに、力いっぱい、チビのナターシャは 俺に頷いてみせた。
「ウン。ナターシャの名前は、パパのマーマからもらった名前なんダヨ」
「へー。ってことは、おまえのおばあちゃんがナターシャなんだ」
「ウン! ってコトは、やっぱり、アナタがナターシャのパパなんダネ!」
「なに言ってんだ? ナターシャは俺のマーマの名前! だから、俺はナターシャの子供」
「ウン。だから、ナターシャのパパダヨ。パパ!」
この女の子、すごく頭のよさそうな目をしてるのに、ネジが1本 どっかに飛んでっちまってるのかな。
言ってることのわけがわからないぞ、全然。

「だから、その『パパ』ってのは、どっから出てきた代物なんだよ。俺を呼ぶなら、パパはやめて、氷河と呼べ。俺の名前は氷河だ」
「パパをヒョウガって呼ぶの? マーマみたいに?」
いや、だから、俺をパパって呼ぶなって。

「確かに、俺のマーマは俺を氷河って呼ぶけど、おまえ、俺のマーマを知ってんのかよ?」
「パパのマーマは知らないけど、ナターシャのマーマは知ってる。ナターシャのマーマは、ナターシャのパパを『氷河』って呼ぶノ。ナターシャの公園のお友だちのママたちは、お友だちのパパたちを『パパ』って呼ぶのに、どうしてマーマはパパのことを『パパ』って呼ばないの? って訊いたら、氷河はナターシャのパパだけど、ボクの氷河でもあるからだよって、教えてくれた。ナターシャのパパとマーマは、とっても仲良しなんダヨ」
「そりゃ、よかったな」
何を言ってるんだか、おまえの言ってることの意味は、俺には全然 わかんないけどな。
わかるわけないだろ。
俺には、パパなんてもんはいないんだから。






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