恋のバビロン捕囚






バビロニアという国は、バビロンの町を首都とする国のこと――と定義して、大きな支障はないだろう。
肥沃なメソポタミア地方にある最も有名な国――という説明に反論を試みようとする人間も多くはないに違いない。

そんなバビロニアには、隆盛期が二度あった。
その第一は、紀元前19世紀の建国から最初の数百年間。
いわゆる“バビロニア”。
歴史学者たちが、後代に興った新バビロニアと区別するために、“古バビロニア”と呼ぶ国、その時代である。
バビロニアは、その後、アッシリアに征服され、アッシリア帝国の一部になるが、アッシリア帝国の衰退と共に、新バビロニアとして独立する。
それが バビロニアの第二の隆盛期ということになるが、バビロニアの第二の隆盛期は短かった。

これは、バビロニアが第一の隆盛を誇っていた数百年の間のいずれかの時代の話である。
古代ギリシャ人たちがギリシャの地に ポリスを中心とした文明を築く1000年以上前。
無論、既にギリシャにはギリシャの神がおり、その力を誇っていたが、その地に生きる人間の文明のレベルでいうなら、当時のバビロニアとギリシャの間には雲泥の差があった。
オリエントの中心地、肥沃なメソポタミアの華やかな大都会バビロニアのバビロンに比べれば、当時のギリシャは 瘠せた土地をしか持たないから海に出ていくしかない田舎の小さな漁村といったところだったろう。

最盛期のバビロニア。
文明の時代に続く扉を これから開けようとしている未開の地ギリシャ。
当時のギリシャが当時のバビロニアに勝っている点は ただ一つ。
ギリシャには、人間に崇められる 美しく尊く力強い神々がいたが、バビロニアでは 人間の信仰を集める美しく尊く力強い神は滅びかけていた――ということだけだったろう。
バビロニアは、良くも悪くも 人間が建て、人間が支配する国だったのである。

さて、その文明と頽廃の国バビロニア。
建国当時、民に敬われ畏れられる尊き神の導きもないのに 古バビロニアが隆盛を誇った理由は、単純に言えば、当時の王たちが賢明だったからだった。
というより、愚昧・暗愚な王は、バビロニアでは すぐに排除されたのである。
支配欲にかられて、外国と戦ばかりして内政を顧みない王や、奢侈に溺れる王、愛欲に溺れる王は、すぐに神殿の神官たちによって取り除かれたのだ。

愚昧な王や自分の満足だけを考えるような王が現われると、バビロニア神殿の神官たちは、『占卜で、凶事の前兆があった』と、国中に宣言する。
この宣言が出ると、王は6日以内に、国の上から凶事を取り除く王の務めを果たさなければならなくなる。
すなわち、王は、馬が引く一人乗り戦車に乗り込み 競技場を疾駆する“凶事払い”の儀式に臨まなければならなくなるのだ。
もし王が戦車から振り落とされ落命すれば、凶事は王の命と共に消滅する――とされていた。

戦車を引く馬は、神官たちによって、大量の興奮剤を飲まされているので、凶事は9分9厘、王の命と共に消滅する。
王が戦車から落ちず、落命しなければ、凶事は消滅しないが、凶事の実現の時が1年 遠のくことになっていた。
もっとも、そういった場合には、その1年が過ぎる前に、次の凶事の予兆が神官たちによって宣言されるのが常だったが。

つまり、“凶事の予兆”という占卜の宣言が出るたび、大抵の王は死ぬ。
そして、バビロニアは新しい王を選ぶことになる。
新しい王は、王気を感じ取ると言われている聖鳥を、王宮からバビロンの都の空に放して選ぶことになっていた。
鳥は大抵 安定して大きな屋敷の屋根――有力者の館の屋根――に止まり、その家にいる最も分別のある成人男子が、バビロニアの新しい王となるのだ。
もちろん鳥は 気まぐれなものだが、王としての美質に恵まれていない者は すぐに神官たちの占卜によって取り除かれ、国の政治に向いた者だけが、国の王でい続けることができる。
そうして、バビロニアは長く繁栄の時を謳歌してきたのだった。

このシステムが、良好に稼働しているのは、王の排除権を持つ神官たちが 野心を持たず、私利私欲に走ることなく、常に国を憂う公明正大の士である場合のみ。
神官たちが国益より自分の都合を優先して、気に入らない王を排斥するようになった時、バビロニアの“王のシステム”は腐っていく。
システムの腐敗は、“凶事の予兆と共に排除させる愚昧な王”を“邪悪な神官たちに操られる人形としての王”にする。
今、バビロニアの“王のシステム”は腐りつつあるようだった。

そのバビロニアから、聖域に救援を求める使者が来た。
それも、バビロニアの国王からではなく、バビロニア神殿の神官長から。
崇める神が違うのに―― 否、そもそもバビロニアの神官たちは、神を利用はしても、信じてはいない。
彼等は バビロンの神を信じてなどいないのに、国を動かす力を保持する建前として、神に仕える神官でいるだけなのだ。

そんなバビロニアの神官たちは、自分たちで解決できない問題が発生するたびに、“世界の平和”を維持するためという名目で、聖域のアテナに、彼女の聖闘士の力を借りにくる。
大きな戦いになる事態を初期の段階で解消するために、アテナは、バビロニアの要請を受け入れ、彼女の聖闘士を派遣することが多かった。
そして、バビロニアは大きな戦に巻き込まれることを回避するのだ。
そんなふうに、散々 アテナとアテナの聖闘士の力に助けられ、聖域の力がどれほどのものなのかを知っていながら、バビロニアの神官たちは決してアテナに帰依することはないのだ。

神を信じていないのに、神官として、神を利用し、神官であることを利用し、聖闘士を利用し、感謝も畏れの気持ちも抱かぬ傲慢な人間たち。
あまりに胡散臭くて、氷河はバビロニアの神官たちが嫌いだった。

バビロニアは、本来 領土的野心の強い 好戦的な国である。
そして、いつも自分の都合で聖域や聖域の聖闘士を利用している狡猾な国でもある。
好戦的な彼等がギリシャを征服しようとしないのは、彼等がアテナの聖闘士の力を知っているからではあるだろうが、それ以上に、ギリシャという国(土地)には 戦力を割いてまで自国の領土とする価値がないと 考えているからだろう。
ギリシャの財産といえば、美しく尊い神々と、地中海を自由に行き来できる船くらいのものなのだ。
聖域のアテナが 十代の少女の姿をしているので、『アナテ、与し易し』と侮っているところもあるかもしれなかった。

女神アテナをすら、それほど軽んじるバビロニアの神官長の使者の訴えは、『大神か大悪魔の加護を受けているとしか思えないほど、恐ろしく強い王がバビロニアの王位に就いてしまった』というものだった。
数ヶ月前、王気を感じ取る聖鳥によって選ばれたバビロニアの現国王は、暴政悪政の限りを尽くしている悪王なので 王位から排除したいのだが、どうしても排除できない。
あれは よほど強力な力を持つ悪魔と契約を交わした邪悪な人間であるに違いない。
あの王が王位に就いている限り、バビロニアの国は平和を守ろうとする神官たちの意が取り入れられない殺伐とした国になっていくだろう。
だから、王の排除に、聖域の聖闘士の力を貸してくれ――と、バビロニアの神官長は言ってきたのだ。






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