「凶事払いの儀式は、もともとは好戦的で戦ばかりする王を王位から除くために、バビロニア神殿の奴等が作った仕組みだったと聞いている。戦をしない王なら、別の王に取り換える必要もないはず。奴等は、こんなに綺麗で可愛い王様の何が気に入らないのか、俺には全く理解できない」
氷河は 基本的に、腹芸ができない男である。
嘘をつくのも下手だった。
だから、バビロニアの神官たちの極めて婉曲的に美しい言葉で飾った物言いが嫌いなのだ。
瞬に好意を抱いた その日のうちに、氷河は、『死なない王の正体を探ってくれ』という神殿の要請を受けて、事実を探るために 自分がバビロニアにやってきたことを、瞬に知らせてしまっていた。

瞬は 氷河の告白(というより報告)に驚き、呆れ、
「僕は、神に選ばれたから王になって、その務めを果たそうとしているだけです。凶事払いの儀式で 馬に振り落とされずにいるのは、『死なずに王として励め』という神の意思なのだと思っていたのですが……」
と、困惑するばかりだった。
「神官たちは、これまで自分の思い通りに王を排除できていたから、それができなくなって、いらついているんだろうな。奴等は、神官のくせに、神の意思も力も信じていないから」

バビロニア神殿の神官たちが 神を信じていないという氷河の言葉に驚きはしても、瞬の心のどこかには 以前から『そうなのかもしれない』と疑う気持ちがあったのかもしれない。
瞬は氷河への反駁には及ばず、細い溜め息だけを返してきた。
瞬は、バビロニアの神官たちが神を信じていないことより、氷河の明け透けで打ち解けた態度の方にこそ、より深い意外さを感じているようだった。
氷河は一応、バビロニアの神官長の要請で瞬の正体(?)を探りに来た、聖域の使者ということになっているのに。

「アテナは やたらと戦いばかりしたがる奴が嫌いなんだ。おまえが そんな王なら、俺も ここまで こっちの事情をぶっちゃけたりしない。様々な勢力が割拠しているこのオリエントで、おまえが戦をせずにいられるのも、ある種の奇跡だが――。おまえが王になる前には、バビロニアの周辺でも 大きな戦いや小競り合いが頻発し、実際に兵も出していただろう。それが、おまえが王になった途端に ぱたりと止むというのは、これも神の加護とやらなのか」
「どうでしょう。でも、僕は 戦は嫌いなんです。僕は戦で両親を亡くしましたし、バビロンの町には そういう子供があふれている。そんな子供たちを増やさないために、僕は 自分からは決して 他国に戦いを仕掛けることはしません」
「おまえが仕掛けていかなくても、向こうが仕掛けてくるだろう」

こちらが仕掛けていかないと、仕掛けられない弱みがあるのだと決めつけて、向こうが仕掛けてくるのが世の常。
それが全世界に共通した考え方と対応――とまでは言わないが、大小 いくつもの国々が割拠しているオリエントでは、それが普通で常識的な考え方と対応だった。
弱み(もしくは、弱みらしきもの)を見せられたら、そこに つけいっていくのが。
弱み(もしくは、弱みらしきもの)を見せてしまったら、そこに つけいられるのが。
そんなオリエントで、他国に 戦を仕掛けずにいることはできても、他国から戦を仕掛けられずにいることは、一方の国の王の一存で どうにかなることではないのだ。

にもかかわらず、ここのところ バビロニアは、戦闘行為と呼べないほどの小競り合いも含めて、他国と どんな いさかいも起こしていない。
地上世界から戦いをなくしたい戦いの女神に仕える彼女の聖闘士としては、それは非常に興味深い謎だったのである。
アテナでさえ できずにいることが、どんな神の加護を得られれば可能なのか。
氷河の疑念に対する瞬の答えの中に、だが、神は登場してこなかった。

「僕は、戦を仕掛けてきそうな国の気配を感じると、それが バビロニアより弱い国が相手のことであれば、バビロニアの戦力を知らせて、そちらに勝ち目はないと知らせ、引き下がってもらうんです。軍事的にバビロニアに 引けを取らないほどの大国が相手の時は、僕が その大国と戦うことになったら どう攻めるか、その作戦を具体的に示す。そんなふうに、こちらから 手の内をさらされると、それは真実か、何か裏があるのではないかと疑心暗鬼を生んで、どこの国の支配者も、我が国との開戦を ためらってしまうみたい。僕、戦は嫌いですが、軍略戦略については、ある人について、理論から具体的な兵法戦法まで学んだことがあるんです。それが、こんな形で役立っています」

それは、戦の仕組みを熟知した上で 戦を回避しようとした――ということだろうか。
瞬は、どう見ても 十代半ばにしか見えないが、その若さで軍略戦略について学んだというのなら、瞬は それこそ、アテナの聖闘士のような教育を受けたことになる。
そして、戦い方を知っているのに 戦わずにいることは、アテナの聖闘士にとっても至難の業――むしろ、アテナの聖闘士にも それができる者は少ないだろう――と、氷河は思った。
無手勝流は、『言うは易し、行なうは難し』の典型的な難作業なのだ。

「戦わずして勝つ方法は、誰よりも戦いに詳しくなり、誰よりも強くなることによって成し得ることだと、僕の先生は僕に教えてくださいました。僕は軍隊の指揮権は持たない方がいいとも、先生はおっしゃった。どんな敵でも撃破する戦法を思いついてしまうから、軍の指揮権を持てば、おまえは世界を征服したくなってしまうかもしれないって。そんなこと あるはずがないのに」
「戦わずに勝つ方法か。おまえに それを教えてくれた先生というのは――」
それこそが いずこかの神なのではないかと、氷河は疑ったのだが、そうではなかったようだった。

「僕の先生――アルビオレ先生は、バビロンの町で、戦いのせいで親を亡くした孤児たちを集めて、生活の面倒を見て、それぞれが独り立ちできるように指導してくださっていた方です。先生のおかげで、孤児だった僕は飢えて死ぬこともなく、子供時代を無学のままで過ごさずに済んだ。先生ご自身は、以前、アテナのいらっしゃる聖域で色々なことを学ばれたのだそうです。それで、僕も、アテナのことは存じあげていて、尊敬申し上げています。僕の尊敬する先生が敬愛していた方ですから」
「聖域で?」

直接ではなく間接的に――瞬に戦い方を教えたのは、どうやら聖域のアテナだったらしい。
瞬がバビロニアの王に選ばれると、自分は別の国で 子供たちの養育に務めると行ってバビロンの町を立ち去ったそうだが、もしかしなくても、その“アルビオレ先生”というのは アテナの聖闘士である。
だとしたら、間接的にであっても、瞬を加護している神はアテナなのではないだろうか。
多分に希望的観測が混じっていたが、氷河は そう思ったのである。

瞬は いっそバビロニアを出て、聖域にくればいいのに――とも、氷河は思った。
瞬がアテナを敬愛するように、アテナも瞬を好むだろう。
強く、賢くて、綺麗で、しかも戦いが嫌い。
アテナが好まないわけがない。
そうして二人一緒に 聖域で、アテナと地上の平和のために努めることができたなら、自分も瞬もアテナもバビロニアの神官たちまで万々歳である――と、氷河が暫時そんな夢想に浸った。
その夢想を実現しようとすると、瞬が王位を捨てたあとのバビロニアは どうなるのかという、途轍もなく大きな問題が出現するが。

その“途轍もなく大きな問題”が 途轍もなく大きな問題すぎて、浮かれかけていた氷河の心は、一瞬で沈んでしまったのである。
解決策がすぐに思い浮かばない。
そもそもバビロニア国王がバビロニア国王でなくなるためには、凶事払いの儀式で、王が暴れ馬の引く戦車から振り落とされなければならないのだ。

「凶事払いを幾度やっても 馬から振り落とされないというから、もっと筋骨隆々の馬をも押し潰しそうな巨漢の王を想像していたんだが……」
「それは、ご期待に沿えなくてすみません。でも、小柄な方が 馬からは振り落とされないものですよ。馬の背に乗る犬は振り落とされますが、蚤は振り落とされない」
「もっともだ」

氷河としても、瞬が暴れ馬に振り落とされることを望むわけではない。
嘘でも 振り落とされてしまえば、王位を退く理由にはなるとは思うが、それで瞬が 命を落としてしまったら何の意味も益もない。
だが、そもそも バビロニアの神官たちが瞬をバビロニアの王として受け入れられないのは、幾度 凶事払いの儀式を行なっても、瞬が命を落とさないから。
それは 瞬に強力な邪神が憑いているのではないかと疑ってのことである。
その邪神が 瞬を通して、バビロニア神殿を無視し バビロニアを支配しようとしているのではないかという疑念ゆえ。

そんなことがあるのだろうか――。
これまでは、どんな屈強な王も 必ず落命していた儀式。
その儀式に幾度 挑んでも、必ず生き延びる瞬。
それが、いずこかの神の力が働いているためだということがあるだろうか。
氷河は、非常に不本意ではあったが、瞬に探りを入れてみた。

「おまえは、蚤でもないのに、なぜ 暴れ馬から落ちないんだ? 何かコツがあるのか?」
「コツというほどのものではありませんけど……儀式に臨む時は、戦車を引く馬の気が立っていることが多いので、『落ち着いて』とお願いするだけです。あとは、振り落とされたくないので、しっかり しがみついているだけ」
「馬を制御しようとしないのが、逆にいいのかもしれないな」
「それは、アルビオレ先生にも教えていただきました。既に信頼関係が築かれている馬相手になら、ちょっとくらい我儘を言ってもいいけど、そうでないなら、馬には優しく接し、逆らわずにいるのがいいって」

おそらくアテナの聖闘士であるアルビオレに、瞬は、アテナの聖闘士になろうとする者たちが学ぶことを教えられ、それらを ほぼ完璧に身につけている。
瞬は、正式にアテナの聖闘士として認められていなくても、それに準ずる力を備えているのだ。
凶事払いの儀式は、要するに、暴れ馬に振り落とされなければ それで終わる儀式である。
アテナの聖闘士である氷河には、凶事払いの儀式を切り抜けられる自信があったし、アテナの聖闘士なら 誰でも切り抜けられるだろうとも思う。
瞬も 同じだけの力を有しているのだ、おそらく。
それ以前に、瞬に『落ち着いて』と頼まれたら、どんな暴れ馬でも大人しい いい子になるに違いなかった。
どんな馬も獅子も猪も龍や海獣も、瞬を振り落として怪我をさせたいなどとは考えまい。

そしてまた、氷河には、瞬に邪神が取り憑いているということが、どうにも考えにくかったのである。
瞬の瞳は澄んで美しく、その表情や印象は優しく温かい。
“尊敬する女神アテナに仕える聖闘士だから”という理由によるものだったとしても、瞬が氷河に好意的な感情を抱いていることに 疑いを入れる余地はない。

瞬と バビロニアの神官たちの どちらに好意を抱き、どちらに信頼を置くかと問われれば、神を信じていないくせに神官を名乗り、国益という名の私利私欲を貪り、既得権益に執着するバビロニアの神官たちより、同じ女神の思いと願いに共感する王様の方である。
胡散臭い神官たちより、可愛らしい王様。
それは、氷河にしてみれば、当然の選択だった。

「神殿の神官たちは、おまえが凶事払いの儀式を何度も乗り切ってしまうのは、おまえに 良くない神が取り憑いているからだと考えているようだが、アテナへの敬愛は別として、おまえは どこぞの神の加護を受けているのか?」
「まさか。僕はただの親無し子で、どこかの神様が 僕の誕生に特別な祝福をくださった話なんて、聞いたこともありません」
そうして、おそらくアテナの聖闘士であるアルビオレに、瞬は アテナの聖闘士としての教えを受けている。

バビロニアの清らかな王と、神官たち。
どちらを信じるか。どちらを疑うべきか。
氷河には、瞬より、バビロニアの神官たちの方が よほど悪い神に取り憑かれているように思われたのである。
バビロニアの神殿に たむろしている、神を信じない神官たちは、自分たちが一国の王の首の すげ替えができるほどの権力者であることに酔っているのだ。
王より大きな権力を持つ自分に酔っている。

その権力を、国に損害を与える悪い王を別の王に取り換えるために用い、己れの力の強大に酔っている分には 問題ないが、己れの力の強大に酔うために、善良で有能な賢王まで排除しようとするのは いただけない。バビロニアの民のためにならない。

他国の内政に干渉することは、聖域としては避けなければならなかったが、そもそも氷河を ここに呼んだのは、バビロニアの神官たちである。
わざわざ聖域から呼びつけた使者が、『身体機能が アテナの聖闘士並みなだけで、瞬に邪神は憑いていない』という報告だけをして 聖域に帰ったなら――あの神官たちは、絶対に その調査結果に納得しないだろう。
それでは、氷河自身も すっきりできそうになかった。
だから、氷河は、とりあえず何かしようと決めたのである。
胡散臭い神官たちのためではなく、瞬のために。そして 自分の心のために。






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