瞬のためにする“何か”。 その“何か”は何か。 最も正当で妥当な対応は、瞬に邪神が憑いていないことを証明し、神官たちを黙らせることだろう――と、氷河は最初は 極めて正当で妥当なことを考えた。 そして、とりあえず その正当で妥当な対応をしてみたのである。 その正当で妥当な対応に対する神官たちの反応を見て ただちに、氷河は、彼等に正当で妥当な対応をするのをやめた。 バビロニアの神官たちに、誠実に正直に誠意をもって接することをやめた。 神官たちは『瞬に強力な邪神の加護はない』と聞くや、『ならば 凶事払いの儀式を繰り返していれば、いつかは 瞬を排除できる』と考えたらしく、またしても、『凶事の前兆が』と言い出したのだ。 これでは話にならない。 氷河は 基本的に、腹芸ができない男である。 嘘をつくのも下手だった。 人には、誠実に正直に誠意をもって接する。 好きな相手には、少々過剰と言っていいほど 誠実に正直に誠意をもって接する。 だが、嫌いな相手、不信を抱いている相手には、その限りではない。 好きになれない(だけの)相手は 徹底的に無視することで済ませた。 だが、積極的に嫌いな相手には、誠実に接することはできない――接したくない。 不信感を抱いている相手に、誠意を示すことはできない――示したくない。 氷河は、人類にとって害悪でしかない邪悪の徒には、嘘をつくこともできたし、奸計を用いて倒すことを ためらうこともしなかった。 国と国の民を思う、善良で優しく綺麗で有能な王の排除を目論むバビロニアの神官たちは、氷河にとって、“好きな人を陥れようとする悪者”であり、“好きになれない相手”どころか“嫌いな相手”であり、“信じることのできない人間”であり“人類に害を為す邪悪の徒”でもあった。 そういう者たちに、誠実に正直に誠意をもって接するほど、氷河は お人好しではない。 正当で妥当な対応で、彼等に絡む事態の解決を図ることを、氷河は早々に放棄した。 アテナの聖闘士の力をもってすれば、どんな神も信じず、ゆえに当然 どんな神の加護も受けていないバビロニアの神官たちを根絶やしにすることは 極めて簡単な仕事だったが、それは おそらく“瞬のための何か”にはならない。 凶事払いの儀式に何度 駆り出されても神官たちへの報復や処罰に及ばないことからして、瞬は邪魔者を取り除いて 物事の解決を図ることが好きではない――考えたことさえないのだ。 氷河がしたいのは、“瞬のための何か”。 氷河は まず、瞬が何を望んでいるのかを確かめなければならなかった。 「そんなに僕にバビロニアの王でいてほしくないなら、僕に代わる王を選んでくれればいいのに……」 バビロニアの神官たちの目的は 凶事を消し去ることではなく、自分たちが王を取り換えることなのだと、はっきり氷河に知らされた瞬の最初の一言がそれだった。 そして、それは 氷河にとっては意外な呟きだったのである。 瞬はバビロニアの国を守り繁栄させることを望み、バビロニアの王位に在ることを喜んでいるのだと、氷河は思っていたから。 だが、そうではなかったらしい。 瞬がなりたいものは、バビロニアを繁栄させる栄光に満ちた賢王ではなかったのだ。 「おまえ、王位に執着はないのか?」 そう問うた氷河に、瞬は、氷河の気が抜けるほど あっさりと頷いてみせた。 「僕は、自分が王に選ばれたから、自分にできることを頑張っているだけです。僕は もともと、アルビオレ先生のように、不遇な子供たちを助けてあげられる仕事をしたかったので、王になれば それがしやすくなると思いましたし。実際、今、バビロンの町に養護院と救護院を建てて、その運営方法について検討中です。でも、僕より王にふさわしい人がいたら、王位は その人に譲りたい。アルビオレ先生は、僕がバビロニアの王になるなら、バビロニアの子供たちは大丈夫だろうとおっしゃって、他の国に向かわれました。僕も 本当はそんなふうに――バビロンの町だけじゃなく、バビロニアの国だけじゃなく、世界中の子供たちを助けるために努めたいんです」 そのためにも、一度、どこの国にも属さず、すべての国に対して中立を守り、“国”ではない聖域を統べるアテナに会ってみたかったのだと、瞬は言った。 「そうか……それが、おまえの本当の望みか」 瞬は バビロニアの王位に執着していないと知らされて、氷河は俄然 やる気になったのである。 瞬のための“何か”。 そして、もちろん、自分自身のための“何か”を。 バビロニアの神官たちを無力化し、瞬に代わる王を立て、瞬を聖域に連れて行く。 それこそが、瞬のための“何か”である。 その“何か”は、氷河のためにもなる“何か”だった。 瞬に 王にふさわしいのはどんな人間だと思うかと尋ねたところ、 慈悲、公平、愛他主義、賢明等の条件を挙げ、瞬が王として王宮に入った際、バビロニアの国王としての業務の基本を教え、幾つもの裁定を下す時に多くの助言を与えてくれた官吏の名を挙げた。 バビロニアの国王が頻繁に入れ替わっても、国が滞りなく運営されていたのは、王が口や手を出さない限り 動き続ける官吏組織のおかげで、組織の運営規則を定め、文書化した人物が彼だという。 バビロニア人ではなくアムル人らしいが、ハンムラビという名の30代半ばの男。 氷河は早速 瞬が推挙した男に さりげなく探りを入れてみたのである。 彼は、一般行政や経済だけでなく、軍事戦略方面の知識もなかなかのもので、恐ろしく多くの分野の業務内容と規則を文書化し、整然と体系立てて行なう姿勢が、いかにも王(特定の人物)に頼れない国の官吏らしいことが、氷河には非常に興味深く感じられた。 一国の王として“悪くはない”。 そう思ったのである。 何より瞬が、彼は自分よりバビロニアの王として適していると言うのだから、それは 気まぐれな鳥に頼るより はるかに確実な人選に決まっていた。 瞬の後継者さえ決まれば、あとは邪魔者を排除するだけである。 その大掃除の日を、氷河は、(記念すべき?)10回目の瞬の凶事払いの儀式の日と決めた。 |