神の恩寵と試練






知恵と戦いの女神アテナと、冥界と地下の富を司るハーデス。
2柱の神が、一人の人間を愛でた。
より正確に言うと、『ハーデスが己れの魂の器として、ひそかに定め、成長するのを心待ちしていた赤ん坊が、その事実を知らぬまま 少年と呼ばれる歳になり、女神アテナに仕える聖闘士になった』。

アテナもハーデスも強大な力を持つ有力な神である。
一方は 最高神の最も優秀な娘で、もう一方は 最高神の兄にして、自身も大神と呼ばれる神。
一方は 人間に最も愛されている神、もう一方は 人間に最も恐れられている神。
どちらか1柱の神の加護を得るだけでも大変なことなのに、2柱の神に気に入られ、しかも その2柱が対立する立場。
人類守護の立場にあるアテナと、人類殲滅を主張するハーデス。
そして、どちらも “他に譲る”ということを知らぬ貴き身。

その昔、赤ん坊だったアドニスを巡って、愛と美の女神アフロディーテと 冥界の女王ペルセポネーが争ったことがあったが、争う2柱の神がアテナとハーデスとなると、神としての格が一段 違う。
人間はもちろん 神々でさえ、最上級ランク、トップレベル、最上級格と認める2柱。
アフロディーテとペルセポネーがオリュンポス12神の2軍なら、アテナとハーデスは1軍。
その2柱の神に争われることになった人間が、瞬――アンドロメダ座の聖闘士 瞬だった。


瞬は もともと攻撃一辺倒の戦い方をする聖闘士ではなかった。
アンドロメダ座の聖衣も攻防一体のそれ。
そのチェーンや小宇宙が、瞬自身だけでなく、瞬の周囲にいる仲間や 戦いに巻き込まれてしまった一般人の命を守ったことが 幾度となくある。

聖域の聖闘士たちの中でも、特に瞬と親しい瞬の仲間たちは、何があっても生き延びる奇跡の生命力と幸運の持ち主と言われていたし、瞬の兄に至っては、不死身の呼び名も高かった。
なにしろ、瞬の仲間たち――星矢、紫龍、氷河、兄の一輝――は全員、“死んで、生き返る”経験をしている。
彼等は、黄泉比良坂を黄泉に続く穴に向かって歩み始めたにもかかわらず、生者の世界に戻ってきた者たちだった。
その しぶとさは、彼等より上位の白銀聖闘士や黄金聖闘士たちも舌を巻くほどだったのだが、そういったことが幾度も続くと、人は いつのまにか、それを当たりまえのことと思うようになる。
実際、聖域の人間たちは皆、いつのまにか、『あの五人が死なないのは当たりまえのことなのだ』と思うようになっていた。

ある時――瞬たちが聖域で アテナの聖闘士としての務めを果たすようになって2年が経った頃。
この世界の神によるものか、異世界の神によるものなのかは定かではないが、極めて不自然な巨大隕石が、黒海沿岸のビザンティオン周辺に落下することが判明した。
多くの聖闘士が、隕石の破壊と周辺住人を避難させるために 現地に駆けつけ、そこで彼等は彼等にできることをした。
そして、多くの白銀聖闘士や青銅聖闘士が、自らの務めを果たす中で その命を失った。

瞬たちも その場にいた。
その場にいて、彼等は いつものように 死ななかった。
彼等だけが死ななかった。
隕石落下直撃地点にいたのに、彼等だけが助かり、むしろ直撃地点から離れた場所にいた者たちの方が、隕石の熱と重力に耐え切れず、燃え尽きてしまったのである。
瞬たち五人の他に助かったのは、ちょうど その時 瞬と共に 足の不自由な老人を助けようとしていた白銀聖闘士の魔鈴と、二人が助けようとしていた老人のみ。
彼等五人と、魔鈴、老人は無事だったのに、彼等五人を中心にした半径1キロメートル圏内にいた 他のすべての人間と動物と植物は命を失った。

いくら彼等五人がアテナ直属の御親兵だといっても、これは異常な事態だと考えた魔鈴が、彼等五人の これまでの奇跡の生命力の詳細を調べ始め、瞬の持ち物――孤児という境遇に不釣り合いな黄金のペンダントに気付き、その正体を探り――やがて 彼女は、冥府の王ハーデスに辿り着いたのである。
瞬は 冥府の王にして地下の富を司る大神ハーデスに守られており、ゆえに 常に死を免れてきたという事実を、彼女は 探り当てたのだ。
瞬の仲間たちの しぶとさと幸運は、彼等が常に瞬と共にいたから。
瞬の仲間たちが“瞬を守る者たち”でもあったから。
“不死身”なのは、瞬の兄ではなく、瞬の方だったのだ。

地上の平和と安寧を守るために命をかけて戦うアテナの聖闘士にとって、“死なない”という力は 途轍もない恩寵だった。
魔鈴が探り出した 奇跡の五人の奇跡の意味。
『つまり、アンドロメダ座の聖闘士と仲良くしていれば、死なずに済むということか』
誰かが(おそらく、最初は冗談で)言った その一言が、瞬の身辺を一変させた。
すなわち。

アンドロメダ座の聖闘士は、アテナの聖闘士として 知恵と戦いの女神の加護と寵遇を受けているだけでなく、冥府と地下の富を司る神ハーデスの加護も受けている。
強力かつ有力な2柱の神によって瞬に与えられている恩寵は、瞬の近辺にいる者にまで及ぶ。
アテナとハーデスに愛され守られている瞬を手に入れた人間は、人類最高の知恵、戦いにおける常勝、不死、無限の富を手に入れることになるだろう。
つまり、地上世界の永遠の帝王になれるのだ――。
そう信じる者が現われ始めたのである。






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