憧れの季節






正月、バレンタインデー、雛祭り、端午の節句、七夕、月見、クリスマス。
日本人が季節のイベントで盛り上がらなくなったと言われるようになって久しい。
その理由は、諸説ある。
長い不況のせい、少子化のせい、単身世帯の増加のせい、老人人口の割合が大きくなっているせい、将来への不安が あまり楽天的ではない性向の日本人を 消費より貯蓄に走らせているせい等々。
おそらく、それらの説は どれも正しい。
日本国の現在の状況は、それらの理由の一つ一つ、もしくは複数が、同時多発的に発生し、影響し合って作られたものなのだ。

しかし、日本人が季節のイベントを重視しなくなった最大の理由は、何といっても、生きていることの喜びや楽しみのすべてを、スマホの中に見い出す人間が増えたから――なのではないだろうか。
正月に一人暮らしの部屋で 雑煮も食べず、カップラーメンを食べていても、クリスマスに一緒にケーキを食べる人がいなくても、昨今の日本人は、少しも寂しくないのだ。
手許にスマホがあるから。
そして、一人ぽっちなのが自分だけではないことも、スマホがあれば わかるから。

そんな世の風潮は、だが、氷河と瞬とナターシャの家の中には入り込む隙が無い。
昨日のバレンタインデーも、氷河と瞬とナターシャの家では大騒ぎの大盛り上がりだった。
バレンタインデーの前日である昨日、ナターシャは マーマと一緒にバレンタインデー用のチョコレートを作った。
もちろん、大好きなパパに贈るために。
どんなチョコレートにするかは、前月、松の内が過ぎた頃から考え始め、マーマに相談を持ち掛けていた。
なにしろナターシャのパパは、ナターシャが何を贈っても喜んでくれるが、その喜び方が特殊なので、扱いが難しいのだ。

互いの胸と嘴を合わせてハートマークを作っている2羽の白鳥のチョコレートを作るのはどうか――というアイディアを出してくれたのは、マーマだった。
ナターシャは大賛成して、マーマのお仕事が お休みの日に、マーマと二人で(パパには内緒で)、チョコレートの抜き型を買いに行った。
動画サイトで、チョコレートのテンパリングの仕方も勉強した。
バレンタインデー前日は パパをキッチンから追い出して、マーマと大奮闘。
チョコレートの型抜き作業は難しく、何度か失敗もしたが、3時間もの時間をかけて、ナターシャは 何とか理想のハート形を作り上げたのである。

「普通のチョコだと、パパは『もったいなくて食べれない』って言って 食べてくれないだろうって、ナターシャ、思ったんダヨ。そしたら、マーマが、白鳥ハートのチョコはどうかな? って言ってくれたの。白鳥ハートは、ハートのところがぽっかり空間で、チョコじゃないでショ。チョコの白鳥は食べれるけど、ハートは食べれない。ハートは ずっと そのまま、見えなくても ずっと そこにあるんダヨ。『いちばん大切なものは、目に見えない』んダヨ」
マーマに教えてもらったのだろう『星の王子様』の名言を、ナターシャはすっかり自分のものとしているらしい。
パパに教えるように、ナターシャは得意げに そう言った。

「理想のハートを作るために、ナターシャちゃんは何度も作り直したんだよね」
「ウン。ナターシャは頑張ったヨ!」
「そうか、ありがとう。嬉しい」
無表情で 抑揚がなく 低い声でのパパの『ありがとう』。
それでも ナターシャの顔が ぱっと明るく輝くのは、ナターシャに贈られた白鳥ハートのバレンタインチョコレートを、パパが大喜びしてくれているから。
滝涙を流して踊り出したいほどパパが喜んでいることが、ナターシャにはわかるから、だった。

ナターシャのクールでカッコいいパパでいるために――突然 滝涙を流して踊り出したりしないよう――パパは 常に自分の感情の表出を制御しているのだということを、ナターシャはマーマに聞いて知っていた。
パパは滅多に笑わないし、大仰に喜ぶこともしないし、できるだけ涙を我慢しようとする。
だが、無表情で声に抑揚がないからといって、パパが喜んでいないわけでも、悲しんでいないわけでも、怒っていないわけでもない。

氷河の心を知りたかったら、その瞳を見るように。
『ナターシャちゃんなら きっと、氷河の心がわかるから』
ナターシャは、マーマに そう教えてもらったのだ。
そして、マーマが言ってくれた通り、ナターシャにはパパの心がわかる――わかるようになった。
今 パパは、白鳥ダンスを3番まで踊りたいくらい、ナターシャからもらった白鳥ハートのチョコレートを喜んでくれている。
それがわかったので、ナターシャも とても嬉しかった。

「嬉しくて、仕事になりそうにないから、今夜は店を休みにするか」
とパパが言い出したのも、本当のことを言えば、ナターシャはとても嬉しかったのだが、マーマを見ると、マーマは首を横に振っていた。
だから、それはいけないことなのだと、すぐに ナターシャは了解したのである。

「ナターシャのパパは、真面目に お仕事する立派なパパダヨ!」
それは、パパの喜びに水を差す言葉。
にもかかわらず、マーマの躾が行き届いて、幼いのに しっかりした娘の言葉に、パパは気を悪くするどころか、いよいよ嬉しそうに 青い瞳を明るく輝かせた。

「ああ、そうか。そうだな。ナターシャのためにも、俺は真面目に働くぞ。その代わり、明日の日曜は、公園に行って、目一杯 遊び倒そう」
氷河の『目一杯 遊び倒そう』は、氷河がナターシャの遊具になって、超タカイタカイや飛行機ブーン、パパすべり台やパパ登り、空中でんぐり返し等に興じることである。
光が丘公園ちびっこ広場には、ターザンロープやネットクライミング等、子供に人気の遊具が たくさんあったが、どんな遊具も“パパと一緒”の魅力には敵わない。
「ワーイ! ヤッター!」
パパの遊び倒し宣言に、ナターシャは欣喜雀躍、大喜びだった。






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