翌日、光が丘公園 ちびっこ広場には、パパで遊ぶナターシャの歓声が響き渡り、公園にやってきたたくさんの子供たちは、ナターシャ専用遊具を羨望の眼差しで見詰めることになった。
「ナターシャちゃん、いいなー」
女の子たちは、カッコいいパパを遊具として独占するナターシャを羨んでいるようだったが、
「ナターシャちゃん、僕とも遊んでー」
男の子たちは、ナターシャがパパとばかり遊んでいることを詰まらなく感じているようだった。
危ないことはしないように厳重注意を受けている男の子より はるかに度胸のあるナターシャは、光が丘公園ちびっこ広場に集う子供たちのリーダー的存在だったのだ。
だが、今日のナターシャはリーダー休業。
誰にでも、こんな日は必要である。

そんなふうに小休止を入れながら、2時間半。
パパで遊び倒して大満足したナターシャは、今度は、最近 駅前にできたカフェの偵察に行くことを パパとマーマに提案した。
もちろん、パパはナターシャの言いなりだったが、こういうことの決定権はパパではなくマーマが握っている。
幸いマーマは、ナターシャの提案を、笑顔で採用してくれた。

それが昨日、失敗しても投げ出さずに白鳥ハートのチョコレートを作り上げたことと、お仕事をさぼろうとしたパパを止めたことへの ご褒美なのだということが、ナターシャには わかっていた。
何かを いい子で我慢したり、努力したりすれば、マーマは必ず ご褒美をくれる。
あるいは、パパの前で、ナターシャのしたことを褒めてくれる。
いい子でいることは、結局 自分の得になるということを、ナターシャは よく知っていた。
自分の努力や我慢のおかげで許された、新しいカフェの偵察。
そう思うと、新しいカフェに行けることも 誇らしく、嬉しい。
ナターシャは、高揚する気持ちをスキップにして、パパとマーマと一緒に、新しいカフェの様子を偵察すべく 公園を出たのだった。



新しいカフェの売りは、スフレチーズケーキのようだった。
ナターシャは心得たもので、飲み物は甘いジュースではなく、温かい お茶をオーダー。
瞬は ナターシャの選択に、教育的指導を入れる必要もなかった。
パパと二人でケーキ屋さんに入った時も こんなふうに“心得て”いてくれればいいのだが、それはあまり期待できない。
甘いケーキに甘いジュースという組み合わせが健康上 よろしくないということ以上に、パパが自分に甘いという事実を、ナターシャは しっかり“心得て”いるのだ。
パパと一緒の時は 甘いもの三昧、マーマが一緒の時は少々 控えめ。
それくらいが ちょうどいいだろう――と、実は瞬も思っていた。

その日のお茶の席での話題は、バレンタインデーの翌日なだけあって 自然に、というか 必然的に、バレンタインチョコレートのことになった。
とはいえ、その話題を持ち出した氷河の関心は、バレンタインチョコレートそのものではなく、バレンタインチョコレートを贈る者と贈られる者たちの人間関係にこそ、向けられているようだったが。
「ナターシャは可愛いから、もてるのではないか? 今日、ちびっこ広場にいたガキ共の中にも、ナターシャからのチョコレートを欲しがっているような顔が幾つもあった」
それが、氷河は ずっと気になっていたらしい。
「ナターシャ。もしかして、俺の他にも チョコレートを贈った奴がいるのか?」
ということが。

スフレはテーブルに運ばれてきたら、焼き立てを すぐに、しぼんでしまう前に食するのが鉄則。
そのタイミングを逃すことなく、ふわふわスフレの ふわふわ とろーり感を しっかり味わった直後だったナターシャは、にっこり笑って、パパに首を横に振ってみせたのである。
「いないヨー。ナターシャがチョコをあげたのは、パパと星矢ちゃんだけ。紫龍おじちゃんは、春麗おねーちゃんがいるからパスで、一輝ニーサンは住所不定だからパスダヨ」
「なんだ、そうだったのか。それなら、いいか。星矢は、まあ、仕方ない」

ナターシャがバレンタインチョコレートを贈っても、星矢が相手なら、“仕方ない”。
では、もし ナターシャがパパと星矢以外の誰かに バレンタインチョコレートを贈っていたら、それは“仕方ない”では済まないことだというのか。
その時、氷河はどうするつもりだったのか。
仕様のないことを案じている氷河を、仕様のないものを見る目で見やってから、瞬は、詰まらない怒りや疑心暗鬼で 氷河が馬鹿げた騒ぎを引き起こさないように、今時のバレンタインデー事情を氷河に教えておくことにしたのである。

「昨今はね、衛生上の問題で、食べ物の類を、保護者に断りなく子供にあげるのは ご法度なんだよ。保護者に許可を得るのは最低条件、渡すのは封を切っていない市販の物限定。手作りチョコなんて、受け取り拒否に会うか、受け取ってもらえても こっそり捨てられるのが 関の山なんじゃないかな。本当によほど親しくないとね。子供同士じゃなく、保護者同士が」
「なんだ、それは。バレンタインチョコレートというのは、その時点で あまり親しくない者同士が、より親しさを増すために贈るものでもあるだろうに」

氷河自身は、幼い頃にバレンタインデーなどというイベントに興じたことはなかったし、自分の好きな相手から贈られるのでないなら、チョコレート一つに一喜一憂するなど馬鹿馬鹿しいと思っていた。
だが、だからといって、チョコレート一つに一喜一憂する者の存在や その気持ちまで 否定する気はない。

氷河にとって重要なのは、瞬とナターシャが自分にチョコレートを贈ってくれたこと、そして、瞬とナターシャが 自分以外の誰にもチョコレートを贈っていないこと――である。
それ以外のことはどうでもいい。
しかし、そうではない人間がいるとこも知っている。
だから 氷河は、決してバレンタインデー否定派ではなかった。
だというのに。
「今時の子供のバレンタインは、そんなことになっているのか……」

今時の子供の世界のバレンタイン事情だけで、氷河は十分に呆れ 驚いていた。
そこに更に、ナターシャから、
「ナターシャは もてないんダヨ。みんな、ナターシャがパパのこと大好きだって知ってるカラ、最初から諦めてるんだっテ」
という補足説明が入るに及んで、氷河は、今時の子供の世界のマナーのみならず、子供という存在 ひいては 人間という存在に、不信と不審と不安の念を抱き始めてしまったのである。

今時の子供の世界のバレンタインデーの様相は不粋で不可解 極まりないが、それ以前に、“好き”の感情や“恋”のあり方が、昔と今では全く違ってきているのではないか――という疑念。
他人の恋など――ましてや 幼児の恋愛事情になど、どう変化したところで 知ったことではないが、そもそも 人間の恋愛感情というものは 基本的に不変のものではないのか――なかったのか。
現生人類が この世界に誕生して20万年。
科学がどれほど発達しても、大きな変化を見せなかった人間の心や感情というものが、ここに来て 急激に進化(あるいは退化?)を始めたのか。
“好き”の内容、感じ方、意味が、変化する――変化しつつある――変化したのか。
氷河には、それは、理解の域を超えた事象だった。

「冷めているというか何というか……利口なんだな、今時のガキは。身の程をわきまえて 最初から高嶺の花には手を伸ばそうとしないわけか。ガキの頃から、夢も希望も向上心のかけらもない。俺は、ガキの頃から 大人と呼ばれるような歳になっても、誰に何と言われようと、どんな妨害を受けようと、決して諦めず、常に瞬に向かって 手を伸ばし続けていたのに」
「パパは立派ダヨ。だから、マーマと仲良しになれたヨ。星矢ちゃんも紫龍おじちゃんも一輝ニーサンも、パパのシュウネンはスゴイって、いつも 褒めてるヨ!」
「まあな」

星矢たちは もちろん、氷河を 褒めてはいない。
星矢と紫龍は どちらかというと呆れているし、一輝は腹を立てている。
それは、氷河もわかっているのだが、氷河にとっては、星矢たちの真意より、ナターシャがどう感じ考えているのかの方が大事。
むしろ ナターシャがどう感じ考えているのかだけが大事。
そんな氷河に、ナターシャの尊敬の眼差しは 心地良い。
心地良さに浸りきって、氷河は 得意げに顎をしゃくったのだった。






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